芦峅寺ってどこにあるの?
芦峅寺は、立山の登山口である富山県立山町の山間にある人口400人ほどの集落です。
アクセスは、富山駅から富山地方鉄道立山線に乗り、千垣駅下車徒歩12分。千垣駅から県道6号線沿いに2kmほど山間に向かって歩くと集落があります。
なお、富山地方鉄道立山線は立山の登山客がよく利用する鉄道で、立山駅からはケーブルカーとバスを乗り継いで室堂(立山黒部アルペンルート)と接続しています。
立山観光のついでに立ち寄って芦峅寺の歴史に触れてみてください。
芦峅寺・佐伯一族の歴史
・佐伯有頼(さえき の ありより)氏について
芦峅寺のほとんどを占める佐伯姓の祖先は、神仏習合の霊場「立山」を開山したことで知られる佐伯有頼氏だといわれています。
佐伯 有頼(さえき の ありより、天武天皇5年(676年)頃 – 天平宝字3年(759年)?)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての人物。『立山開山縁起』に登場する人物で、越中国司・佐伯(宿禰)有若[1]の息子とされる。霊示を受け、神仏習合の一大霊場である立山を開山したという。出家して慈興と号したと伝えられる。
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佐伯有頼氏(天武天皇5年・西暦676年頃 から天平宝字3年・西暦759年)は、飛鳥時代から奈良時代にかけて霊示を受けて、神仏習合の一大霊場「立山」を開山させた人物です。
佐伯有頼は出家して慈興と号しました。
以来、立山信仰は江戸時代後期まで盛んで、多くの信者が立山に登拝することになります。
芦峅寺は、佐伯有頼氏による開山以来、その子孫たちによって信仰の山「立山」を案内するガイド村として千年以上にわたって栄えてきました。
・立山ガイド黄金期に活躍した佐伯宗作
明治に入ると立山は、信仰の山から本格的な登山を目的にした山へと変貌を遂げ、人気が高まりした。
やがて、立山ガイドの仕事は黄金期を迎え、この頃に活躍したのが佐伯宗作氏(明治30(1897)年~昭和10(1935)年)です。
宗作は、立山や剣岳周辺の未踏のルートを開拓し、誠実な人柄だったため多くの人たちに愛された山岳ガイドでした。
しかし、立山地獄谷で亜硫酸ガスの穴に転落した後輩ガイドを救おうとして穴に入り、後輩ガイドを救ったものの宗作自身は力尽きて命を落とします。
佐伯宗作氏は「山男の鏡」と高く賞賛され、後世に語り継がれることなりました。
・近代登山史に残るガイドを輩出した芦峅寺
芦峅寺出身のガイドには、「山男の鏡」と高く賞賛された佐伯宗作氏だけでなく、「剣の文蔵」と山岳関係者から称された佐伯文蔵氏、
文蔵氏の息子でネパールのダウラギリ山群のグルジャヒマール(7195m未踏峰)への初登頂を果たした佐伯友邦氏、南極1次越冬隊員(1957年~1958年)として南極観測に参加した佐伯富雄氏などがいます。
南極1次越冬隊には、佐伯富男氏の他に、佐伯宗弘氏、佐伯栄治氏、佐伯安次氏、佐伯昭治氏などの芦峅寺の立山ガイドが参加しています。
山小屋のオーナーは山のスペシャリスト
立山周辺にある山小屋には剣山荘や仙人池ヒュッテ、天狗平山荘、立山室堂山荘、剣沢小屋、一ノ越山荘、みくりが池温泉、五色ヶ原山荘などがあり、
すべての山荘に立山・剱岳方面遭難対策協議会救助隊員としていつでも出動できる遭難救助のベテランが滞在しています。
芦峅寺周辺の見どころ・おすすめスポット
芦峅寺周辺には、立山黒部アルペンルートなどの世界的な観光スポットをはじめ、貴重な山岳信仰の資料を収蔵している「立山博物館」、「立山博物館遙望館」などがあります。
立山博物館には、立山曼荼羅(立山曼陀羅)図をはじめとする天平時代から続く立山信仰に関する貴重な資料が展示されています。
また有峰口から少し山間に入った場所には、かつて銀山の採掘で栄えた時代に発見された温泉「亀ヶ谷温泉」があります。
亀ヶ谷温泉は大山町が運営しており、温泉入浴料金は610円、宿泊は夕食と朝食が付いて1泊8,300円からのプランがあります。
リーズナブルな上にとても良い温泉です。立山や剣岳に登山したら、温泉につかって疲れを癒してください。
その他にも立山カルデラ砂防博物館や日本一の落差(350m)を誇る称名滝(しょうみょうだき)といった見どころがあります。
ライター
Greenfield編集部
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