Heart Films 24-25最新作 ”Rays of Light”
Peak Performance | Home From Home | Starring Yu Sasaki
COMPASS HOUSEによる2日間の『Yu Sasaki super session』では、初日ゲレンデセッション、2日目はバックカントリーセッションと豪華なイベントになりました。初日の夜には 悠さんが登場する最新動画2本の上映会も。ライダー本人とフィルマーも登壇し、撮影秘話を聞きながら、大きなスクリーンで楽しめる贅沢な時間となりました。
今回、悠さんにスキーを始めたきっかけからカナダでの生活、怪我を乗り越えて現在の心境に至るまで、一緒にスキーをしながらお話を伺いました。
「好き」だけのスキーから職業としてのスキーへ

佐々木 悠 Yu Sasaki
1986年、札幌生まれ。カナダ・レベルストローク在住。高校卒業後、カナダ・ウィスラーに渡り、山全体の地形を使って滑る、ビッグマウンテンフリーライドスキーの世界へ。
2017年JFO優勝、2018年FWQ Hakuba優勝、2019年FWT Hakuba4位、FWTワールドツアーに出場。世界のトップライダー達と肩を並べて活躍するプロフリーライドスキーヤー。
現在は第一線でのコンペシーンは退いたものの、世界屈指のフィルムレーベルへの作品参加や、日本のフィルムレーベルHeart Filmsのクルーの一員として活動を続ける。
Freeride Adventure(YouTube)
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ースキーとの出会い
もともと父がアウトドアやスキーが好きで、週末はスキーに連れて行ってもらえるような環境で育ちました。札幌の手稲というスキー場に近く、スキーに恵まれた環境で生まれ育ったわりには、スキークラブに所属して本格的に競技をしていたわけではありませんでした。
ーカナダへの渡航と新たなスタート
高校3年生の頃にキロロリゾートというスキー場で、子どもたちにスキーを教えるバイトをしていました。そのときに先輩が、「カナダのウィスラーというスノーリゾートが楽しいらしい」と教えてくれて、カナダ・ウィスラーに行ってみたのがきっかけです。
高校を卒業してからは1年間は旅行会社で働き、その後、20歳になる年にワーキングホリデーを利用してカナダへ行きました。もともと添乗員として働いていたので、カナダに行っても添乗員をするだろうとスーツも持参して。
カナダを選んだのは、英語がきれいで自然も近いという理由でした。そこへスキー板も持って行ったって感じですね。
ーカナダでの生活とスキーへの没頭
カナダに渡ってから、まずはバンクーバーで生活をスタートし、その後冬になるとウィスラーに移りました。ウィスラーでローカルや山に揉まれて毎日のように滑っているうち、そのおもしろさにどんどんのめり込んでいったんです。
当初はワーキングホリデーでカナダに滞在していたものの、ビザの期限が切れるたびに日本に戻り、再度観光ビザでカナダに戻るという生活が続きました。2010年のバンクーバーオリンピックをきっかけに就労ビザを取得。その後永住権を得て、現在はオフシーズンはフードトラックを3つ運営しながら、よりスキーの環境に適したレベルストークという街に家族と一緒に暮らしています。みんな自転車に乗るような感じでスノーモービルを持っている、そんな街です。
ー家族ができたことで変化するスキー
ウィスラーで出会った日本人の奥さんと結婚し、2人の娘(9歳と5歳)がいます。娘たちはスキーに興味を持ち、特に上の子はスキーにどんどんのめり込んでくれて。下の子も、今シーズンから少しずつ滑るようになった感じですね。奥さんはスノーボーダーなんですが、今は家族全員でスキーを楽しんでいます。
家族ができてからの方が、スキーと正面から向き合っているという感じがします。一人だったらどうにでもなるというか、ただただ「好き」だけでやっていたところから、それだけじゃなくて、プラス「責任」というワードも出てきて。今は家族がいるからこそ、スキーを自分の職業として成り立たせるようになりましたね。
日本のフリーライド界を牽引するコンペティターに
ーコンテスト参加とコンペティションへの道
21,22歳くらいのとき、アメリカのフリーライドの大会にいくつか参加はしていましたが、最初からコンペティターとして本格的に活動していたわけではありません。
日本にフリーライド大会が本格的に入ってきたのが約8年前、そのタイミングで再びコンテストに参加し始めたという感じです。2017年JFO優勝、2018年FWQ Hakuba優勝、2019年FWT Hakuba4位という国内での結果を残し、FWTワールドツアーに出場しました。
ー日本人として、海外選手とのギャップの向き合い方
技術面やフィジカル面でのギャップは日本人と欧米人の差をとても感じていたけど、自分の中でのネガティブ要素になったりとかはなくて。
フィジカル面が足りなければそこを強くすればいいし、スキーがヘタクソって言われたらもっとうまくなればいい。叩かれれば叩かれるほど、「よしやってやろう」ってそれだけですね。
怪我を乗り越えて
ーアキレス腱断裂による心境の変化
怪我をしたのは今から3年前、2022年シーズン頭の1月3日でした。どこまでも行けると思っていた矢先に、大きな怪我を負ってしまいました。怪我をした瞬間、それまで考えたことがなかった「シーズンを棒に振る」という現実が目の前に広がり、仕事も失いました。今まで怪我をした人たちが周りにはいたけれど、自分の番になったときの無力感は今でも忘れません。
怪我をした2日後には、MSP(マッチスティックプロダクション)という老舗フィルムレーベルの撮影が控えており、その後ワールドツアーにも参加する予定でしたが、そのチャンスも失いました。「もしあのときチャレンジできていれば、もう一つ上のステージに行けたかもしれない」と思いながらも、結果としてそのチャンスを自分で潰してしまった。「今はこの位置でも納得。しょうがない」と前向きに受け入れ、心の中でシフトチェンジしました。
ーリハビリと復帰
アキレス腱を断裂してから約1年間のリハビリを行いました。怪我をしたのが1月でしたが、4月には足慣らしで少し滑り始めることができ、次のシーズンに間に合わせるために、リハビリは集中して行いました。一般的なリハビリ期間よりも早く回復し、翌シーズンにはしっかりと滑れる状態に戻すことができました。
ー復帰後の叫び・冷静さを超えた情熱の再燃
「俺はスキーが大好きだー!!」と叫ぶシーンが胸を打つ、怪我からの復帰を自身が伝えていくドキュメントムービー
Peak Performance | EAGLE PASS | Starring Yu Sasaki
やっぱり滑ってみたらおもしろかった。年齢を重ね周りも落ち着いてくる中で、自分自身も冷静になりスキーに対する気持ちが少し落ち着くのかなと思っていたものの、実際には性懲りもなく「まだまだいけるな!」と感じる自分がいました。
スキーへの情熱は冷めるどころか「去年よりさらにうまくなったな」という瞬間もあって。まだまだスキーをやりたいんだと再認識しました。
映像作成のよろこびと達成感
ーHeart Filmsと挑んだ、映像の先に見えるもの
ウィスラーに渡って2年くらいした頃、Heart Filmsのクルーであった渡辺雄太というスノーボードのライダーに紹介してもらって、Heart Filmsのフィルマーのケージくんに出会いました。Heart Filmsというビデオクルーのことはもともと知っていたんですが、そこから一緒に撮影するようになって。
カナダやアラスカを旅をしながらスノーモービルで山を走り、斜面を探して山を滑る、そんな風景を撮るんです。

Heart Films 田島 継二 Keiji Tajima
国内はもちろんアラスカやカナダの壮大な自然の中で、プロスキーヤーやプロスノーボーダーと共に旅をし、スティープな山々を滑るライダーたちの自然の地形を活かしたライディング捉える日本のフィルムプロダクション「Heart Films」のフィルマーでありエディター。その魅力を映像作品として発信。さらに、スノーボードやスキーブランドなどの撮影も行い、ウインターアクションスポーツや自然の魅力を多くのファンに届けている。
Heart Films
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ー苦労を超える瞬間
スキーが嫌になる瞬間は何度もあります。撮影をしていても過酷な条件などもあり、大変なことも多いです。それでも納得のいく映像が撮れると、今までの苦労は帳消しというか。
それがただ撮れたというだけではなく、作品として表彰されれば、達成感は大きいですね。
日本のフリーライド文化の未来と発展
ーフリーライドスタイルの広がりを目指して
もっと「フリーライド」というスタイルを知ってもらいたい一方で、今の日本のスキー業界・文化の中ではまだまだニッチな部分。世界が求めているフリーライドを同じように日本人に求めても無理があると思うから、日本の環境や文化に合わせた形でフリーライドを進化させていくことが、今後の広がりには必要かもしれません。
日本のスキー場や地形に合ったスタイルの草の根的な大会として始まった「ちゃんめろフリーライド」や「JFO」のような、「日本基準のフリーライド」というものをこれからもっと多くの人に知ってもらいたいし、広げていきたいなと思っています。
ー若い世代への影響と活動
若い人たちには、僕が住んでいるレベルストークに連れて行き、世界を見てもらいたいと思っています。思春期くらいの世代にとっては、海外で滑ることは人生が変わるような経験になると思うんです。もっと広い世界を知ってもらう、これからはそれに貢献できるような活動をしていこうと思ってます。
ー夢を与える仕事としてのフリーライド
カナダに行って、夢を与えるのが自分の仕事だなと感じました。フリーライドスキー界のパイオニア、サミー・カールソンの生活を間近で見て、子どもたちが憧れるような存在になるってすごく大事だなと思いました。
サミーが家族を持ちながらも楽しんで滑ってる様子は、単なるプロスキーヤーとしてだけでなく、ライフスタイルとして憧れる存在になる。「楽しいことをやりながら周りを幸せにできる大人」の背中を、日本の子どもたちにも見せてあげたいなと思います。
野沢温泉をBASEにフリーライドスキーをサポートするCOMPASS HOUSE
- COMPASS VILLAGE
- M’t DOCK
- COMPASS HOUSE
- COMPASS HOUSE
今回取材でお邪魔したのは野沢温泉村にあるCOMPASS HOUSE。スキーブランドARMADAのパイロットセンターにもなっているため、ギアの相談はもちろんのこと、イベントやツアーなども行っている。

Takaya TKY Kawaguchi
COMPASS HOUSEを運営するドリームシップ代表取締役の河口尭矢さんは、世界をスキー&サーフィンで旅するプロガイド。経験豊富な知識で、これからフリーライドを楽しみたいという初心者の方にも丁寧にガイドしてくれる。国内外から彼の元を訪れるリピーターも多い。
野沢温泉内に3つの店舗があり、冬はスキー・夏はバイクを扱うプロショップCOMPASS HOUSE。野沢温泉スキー場・長坂エリアにはスキー・スノーボードのレンタルショップM’t DOCK。温泉街には小物やアパレルが並ぶCOMPASS VILLAGE がある。
今シーズンもまだまだイベントやツアーが目白押し。参加のご希望はホームページやInstagramのDMにて。
COMPASS HOUSE
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Takaya TKY Kawaguchi
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ライター
Yoco
山岳部出身の父のもとに生まれ、自然を相手に楽しむ事が日常的な幼少期を過ごす。学生時代は雪なし県ザウス育ちの環境で競技スキーに没頭し、気がつけばアウトドアスポーツ業界での勤務歴は20年程に。ギアやカルチャーに対する興味は尽きることなくスキー&スノーボード、バックカントリー、登山、SUP、キャンプなど野外での活動がライフワークとなりマルチに活躍中。最近ではスケートボードや映像制作にも奮闘中。