後藤陽一さんプロフィール
京都大学工学部卒業後、同大学の経営管理大学院修士課程を修了。スイスにあるローザンヌ大学の大学院にてスポーツマーケティングを学び、2011年、株式会社電通入社。電通総研にてエクストリームスポーツ特任リサーチャーとして、企業や自治体のアドバイザリーを手がける。
2014年よりFreeride World Tourの誘致を開始。長野県白馬村へアジア初の大会の誘致に成功する。Freeride World Tour日本支部マネージングディレクター・アジア地区統括。2019年11月に株式会社Pioneerwork創業。
『白馬』と『スイス』、2つの偶然
―Freeride World Tourを日本に持ち込んだ経緯を教えてください。
はじまりは2014年頃でした。当時在職していた電通で、スポーツビジネス分野の新規プロジェクトとしてスタートしたんです。
もともと小さい頃から白馬にある祖父の別荘に通っていたこともあり、スキー・スノーボードは身近な趣味のひとつでした。その流れで、2012年頃からバックカントリースキーを楽しむようになり、フリーライドのおもしろさや可能性を感じていました。
そんなとき、たまたま海外映像でFreeride World Tour(以下FWT)を発見。衝撃を受けたのを覚えています。
―海外映像をご覧になったのが、きっかけだったんですね。
そうですね。日本はウィンタースポーツ環境に恵まれています。FWTの開催ができたら、日本のウィンタースポーツ産業も盛り上がるのではないか。そう考えて、海外のスキー市場や運営事務局などのリサーチをスタートしました。
もうひとつの偶然として、FWTの本社はスイスのローザンヌにあるんです。僕は大学院時代、スポーツマーケティングの勉強で、スイスのローザンヌへ半年ぐらい行っていました。偶然が重なった感じです。
―後藤さんならではの偶然の重なりですね。
環境も後押ししてくれました。当時、僕は電通の新規事業部へ異動になり、若手育成の一環で、好きなプロジェクトにチャレンジできる環境があったんです。
僕がたまたまバックカントリーをやっていたということもあります。小さい頃に遊んでいた白馬でFWTをやるというアイデアは、自然の流れでした。
スイスのFWTの本社に、会社から直接電話しました。「日本開催をしてみないか?」ともちかけたのがはじまりです。
電通の新規プロジェクトからスタート
2014年 スイス運営本部との折衝をスタート
2017年 第1回目の日本大会の開催
2018年 日本支部として組織的運営がスタート
2021年 株式会社Pioneerworkが正式に日本支部の運営を開始
―もともとは電通の新規プロジェクトからスタートしたのですね。
はい、そうです。大企業ならではの大変さもありましたが。
電通では、すでにある大規模なイベントに企業スポンサーを獲得するような案件が多いんです。たとえば、オリンピックやワールドカップなどです。なにをするにしても規模が大きい案件が多いなか、新規事業とはいえ、チャレンジさせてくれたことに感謝しています。
―認知度が低かったフリーライドの大会を、ビジネスとして展開するのは、簡単ではなかったと思うのですが。
そうですね。明確にクライアントがいて、この予算でこういうことをやりたいといったイベントであれば、ビジネスとしても続く可能性は高いです。でも、FWTのプロジェクトはそうではありませんでした。
そもそも新しいスポーツのカテゴリーをつくって、そこに今までまったくなかったコンセプトで企業を呼び込まなくてはいけない。時間をかけて、少しずつそのコンテンツを大きくしていくのって、最初はやっぱり先行投資になりますよね。
―明確に結果が見えないプロジェクトは、歓迎されるような体制じゃなかった?
イベントのコンセプトからつくるような、長期的なことを簡単には続けさせてくれる会社ではなかったですね。FWTの成長性など、社内で理解を得ていくことは非常に大変でした。結果、今の規模でも電通で扱えるような事業ではないので、会社としては正しい判断だったかと思います。
―会社からのストップはなかったのでしょうか?
その後、別の部署への異動があったとき、「そろそろストップが入るのでは」と思ったんです。それから異動先の上司にプロジェクトの話をしたら、案の定、「そのプロジェクトは難しい」といわれたんです。
FWTを完全にやめるとなると、これまで協力してくれた方へも迷惑をかけます。どうすれば継続できるのか、このあとどうすべきなのかを模索しました。
一流企業を退職して開けた道
―会社からストップがかかったとき、日本でのプロジェクトはスタートしていたのでしょうか?
はい。1年目の開催が終わったシーズンでしたね。しかも国からのサポートもあり、3年間は開催できることは決まっていました。なおさら途中で放棄することはできなかったんです。たくさんの協力者の方がいましたので。
―大きな決断を迫られましたが、どのように乗り越えたのでしょう?
FWTの運営を継続するために、電通を退職することを選びました。FWT本社にとっても、日本支部に誰かいてほしいという希望がありましたし。
日本支部の運営を継続するために、Peak-Performanceの代理店企業と、FWTのスイス本社の2社から、全面的なサポートをいただけることになりました。日本支部として再スタートできたのが、2018年2月でした。
―大手の一流企業を退職してまで挑戦されたFWT運営だったのですね。
そうですね。まだまだ認知度の点で課題があり、さまざまな不安はありましたが。
―ビジネスとしての成長性や発展性に確信的なものがあったのでしょうか?
「もしかしたら化けるかもしれない」という考えはありました。日本のインバンド観光市場やウィンタースポーツ環境、自然資源の可能性を深堀していく必要はありましたが。もう少し頑張れば、いけるかもしれないというのはあったので。
日本と海外、その差とは?

―海外の会場と違いがあると思いますが、難しいのはどのようなところか教えてください。
端的にいうと、日本のスキー場では、バックカントリーエリアやサイドカントリーエリアで滑らせてあげる体制がないといったところでしょうか。
以前、北海道のキロロのバックカントリーエリアで大会をやったこともあるんですけど、選手60人ぐらいが大会フェイスまで1時間半フルハイク(板を履いた状態)、もしくは板を背負ったまま歩いて移動しました。
そこまでしないと、FWTが開催可能なレベルの急峻な自然地形に出会えないというのが、海外の会場とは一番違うところですかね。
―今回の会場のアライリゾートはどうでしょう?
アライリゾートはかなり特別なスキー場です。こんなスキー場は、日本ではほかにないというか。リフトで大会が開催できるレベルの斜面までアクセスできてしまうんです。
また、アライリゾートは、スキー場が非圧雪のフリーライドコースのリスクコントロールをしています。だからスキー場の運営会社が許可を出せば、開催はスムーズに決定するんですね。
ほかのスキー場の場合は、完全に管理外のバックカントリーエリアになるので、さまざまなステークホルダーが増えますし、運営側のリスクも高くなります。そこがかなり難しいところですかね。
―ステークホルダーといわれる人たちの理解を得るのは、ハードルが高いですか?
そうですね、かなりハードルが高いですね。日本のFWTの大会は、スキー場の外で行うことが多いんです。最初はスキー場の関係者だけでなく、スキー場の外の人にも嫌がられていました。
―スキー場の外の人たちからも理解を得る必要があるのですね。
はい、そうです。たとえば、バックカントリーガイドの方からの理解が必要になります。
バックカントリーのガイドの方からしたら、普段は人がいないはずの場所で大会が開催される。そうなると、急になにしてるんだってなるのは当然です。
この記事を書いた人
Yoco
山岳部出身の父のもとに生まれ、自然を相手に楽しむ事が日常的な幼少期を過ごす。学生時代は雪なし県ザウス育ちの環境で競技スキーに没頭し、気がつけばアウトドアスポーツ業界での勤務歴は20年程に。ギアやカルチャーに対する興味は尽きることなくスキー&スノーボード、バックカントリー、登山、SUP、キャンプなど野外での活動がライフワークとなりマルチに活躍中。最近ではスケートボードや映像制作にも奮闘中。