スキーベースジャンプとは
スキーベースジャンプとは、ベースジャンプとフリースキーの融合。
世界で最も危険なエクストリームスポーツのひとつ、ベースジャンプを急峻な雪山でスキー滑走しながら行うというものです。
ベースジャンプは、もともと飛行機などから大空を飛ぶスカイダイビングから派生したといわれ、崖や建造物などからパラシュートやウィングスーツを用いて飛び降りるものです。
ベースジャンプのスペル『BASE』は、
B=Building(建物)
A=Antenna(タワーや鉄塔)
S=Span(橋梁)
E=Earth(断崖などの自然)を意味していて、飛び降りる場所を表しています。
広い空間をパラシュートで下降するスカイダイビングと比べ、『BASE』に表現されたように周囲には障害物が近く、地上までの距離も短いので、より危険が伴うことになります。
事実、これまでに330人以上、2017年だけでも17人に及ぶ死亡事故が発生しています。
しかも、この数字はアメリカの『BLiNC Magazine』による調査のみの数字であり、更に多くの事故が起きていると予想されます。
そんな危険なベースジャンプの中でも、険しい斜面や切り立った崖をスキーで滑降しながら飛び立ち、パラシュートなどで降り立つのがスキーベースジャンプです。
世界でも一部の人しか行っていない極限のベースジャンプで、日本人で始めて行ったのが佐々木大輔さんと言われています。
現在でも日本人でスキーベースジャンプを行う人は佐々木さん以外ほとんどいません。
佐々木大輔の挑戦
もともと幼少のころからスキーを楽しんでいた佐々木大輔さんは、高校卒業後、カナダのウィスラーで、現地ガイドをしながらスキー技術を磨きました。
そこで知り合った、フリーライドスキーヤーのシェーン・マッコンキー氏に影響を受け、スキーベースジャンプの世界へと飛び込みます。
その後、1999年にスキーベースジャンプの世界大会IFSAワールドツアーに、日本人唯一の選手として初参加。
以降、2003年IFSAワールドツアーカナダ大会では、最も過激な滑りをした選手に贈られる「シックバードチャンピオン」に。
アラスカ大会では「AKフリーライドチャンピオンシップ」に輝くなどの活躍を魅せます。
2004年には、ワールドツアー大会中に、背骨、腰骨、膝など11箇所を骨折する大怪我に見舞われ、以降競技としてのワールドツアーからは遠ざかってしまいました。
現在は怪我の治療後、スキーベースジャンプを通じて、スキーの可能性とすばらしさを表現するため、日本国内でも次々と新たな挑戦を続けています。
常に死と隣り合わせのスリル
毎年、死亡事故が起こるベースジャンプの中でも、更に過酷なスキーベースジャンプ。より死の影が忍び寄るスポーツであり、そのスリル故に見る者の目をくぎ付けにします。
スキーベースジャンプの世界大会を設立したシェーン・マッコンキー氏。佐々木大輔さんがスキーベースジャンプを始めたきっかけになった人物でもあります。
エクストリームスポーツの先駆者でもあり、世界的に人気の高かったシェーン・マッコンキー氏は、フリースキーの普及のために、IFSA(International Freeskiers Association)を設立し、ワールドツアーを開催します。
その後、スキーベースジャンプはもとより、無謀なスタントと揶揄されることの多かったエクストリームスポーツ全般を、競技としての地位向上に貢献することになります。
しかし、2009年3月、撮影中の事故により39歳という若さで惜しまれながらこの世を去りました。
佐々木大輔さんをはじめ、遺された人々が彼の意思を継ぎ、世界中に驚きと感動、スリルを魅せるエクストリームスポーツを継承しています。
圧倒的なスリルが呼びかけるものとは
佐々木大輔さんが行うスキーベースジャンプは、滑降するだけにとどまらず、自らの力で山も登ることから始まります。
アルパインクライマーばりのクライミング技量にも驚かされますが、スキーやブーツなどの道具を背負って登頂は、更に困難を極めることでしょう。
有り得ない場所まで登り、落ちるように滑り着地する。見るものに息をするのも忘れるほどのスリルと衝撃を与えます。
あまりにも過酷で危険な挑戦を目の当たりにすることで、人類の逞しさと大自然に挑戦するスピリットに感じ入ることでしょう。
佐々木大輔さんの、命がけで目標に立ち向かう勇気と、どんな困難も楽しもうとする姿勢に、勇気づけられる人もいるのではないでしょうか。
ライター
Greenfield編集部
【自然と学び 遊ぶをつなぐ】
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