古くから親しまれてきた古道「島々谷ー徳本峠」
長野県松本市安曇、北アルプスのふもとにある島々集落。島々集落から徳本峠(とくごうとうげ)へと抜ける山道が島々谷です。
さらに徳本峠をつたって行くと上高地にたどり着きます。北アルプスの玄関口である上高地。
観光地として整備されているため道路規制があり、バスでしか行かれない場所となっていますが、実は島々谷を伝えば上高地まで歩いて抜けることができるのです。
道路が発達する以前はこの峠道を通って2日ほどかけて上高地まで行くことが一般的だったらしく、古くから人々に歩かれてきた古道でもあります。
上高地の名を世界に知らしめた、近代登山の父とも言われるウォルター・ウェストンや芥川龍之介、高村光太郎など著名な文人も島々谷を歩いては、いにしえから続く古道に想いを馳せていたようです。
島々谷の伝説
民族学者であり歌人であった折口信夫も島々谷を歩いていますが、島々谷の道の脇にこのような歌が刻まれた石碑が置かれています。
”をとめ子の 心さびしも清き瀬に 身はながれつつ人恋ひにけむ 釈迢空”
「釈迢空(しゃくちょうくう)」とは折口信夫の歌人としてのペンネームです。折口信夫が島々谷を歩いた際に村人から聞いた伝説を元に詠んだ歌です。
その伝説とは、1585年(天正13)、飛騨松倉城主の三木秀綱が当時の天下人・豊臣秀吉への反抗により落城し、秀吉の追っ手から逃げる際に秀綱と奥方は別々に逃げ、奥方は上高地から徳本峠、島々谷へと逃げたのです。
しかしついには島々部落の木こりに捕まり、命を落としてしまうという悲話です。この伝説に対して詠まれた折口信夫の歌を供養として、島々部落で石碑を建てたそうです。
また、男女の交際の場であったり、牛車などが行き交う交易路としても古くから利用されていたようです。
戦国の世を生きた歴史上の人物や、当時の人々の記憶をとどめながらも脈々と存在し続ける、いにしえの道が島々谷・徳本峠なのです。
静寂の秋の森
現在の島々谷は交易路として栄えた時代とうって変わってとても閑散としたものです。登山者以外にも沢登りや渓流釣りを目的に入る人もいますが、徳本峠の頂上まではほとんど人と出会うことはないでしょう。
秋の時期も同様に、上高地や涸沢はとても混みますが、島々谷はいたって静かです。近くを流れる川の音や木々が揺らされる音、鳥の鳴き声、落ち葉を踏みしだく足音など、森の音に包まれます。
川沿いをつたいながらしっとりとした秋の色味を施した原生林の深い森を歩きます。
原生林の森には、北アルプスの華やかな紅葉の山々とはまた違った奥深い美しさがあり、深い森に分け入る興味深さにそそられることでしょう。
森の息遣いに耳を澄ませ、秋の彩りの中に身を置き、いにしえの記憶に想いを馳せながら歩く山道は味わい深いものです。
俗世のことは忘れ、ゆっくりと自然に向き合えるひと時となるでしょう。
歩くときの注意点
島々谷は渓流沿いを行く山道なので雨が降り続いた後などは川の増水などがあり、危険を伴う場合があるので天気予報には気を配りながら計画を立てましょう。
また、島々谷は広葉樹の原生林が広がる美しい森ですが、広葉樹の森はドングリなどの木の実が豊富なため熊がいる山でもあります。
むやみに恐れることはありませんが、早朝や夕方など熊が活動する時間帯には一人歩きをしないなどの心がけは必要です。
そして、島々谷にはニホンザルもたくさんいます。群れに遭遇する可能性もありますが、程よい距離感があれば危害を与えられることはないでしょう。
変に近づき過ぎたり怯えたりせず、平常心を保っていきましょう。
オススメの時期とアクセス
島々谷の紅葉の見頃は例年10月中旬〜下旬頃になります。まだ時間はあるのでこの時期に標準を合わせて計画を立ててみましょう。
アクセスは公共機関の場合は新島々駅からバスで「島々徳本峠入口」バス停まで行くことができます。
車の場合は登山口近くの松本市役所安曇支所に前もってお願いしておけば駐車することが可能です。
帰りは上高地から新島々駅までのバスが出ているのでそちらを利用しましょう。
ライター
Greenfield編集部
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