コンテスト開催は協会活動の一部にしかすぎない
ーまずは読者の方たちに日本スケートボード協会の紹介からお願いします。
一般社団法人という形をとって、スケートボードを通して社会貢献をしている団体になります。皆さんからはAJSA(ALL JAPAN SKATEBOARD ASSOCIATION)という略称で親しまれています。
活動内容としては、皆さんにとってもっとも見近なのはコンテストになります。中でもアマチュアサーキットは東北、関東、中部、関西、西日本の5地区で年間3戦行っており、北海道、中国・四国の2地区もスポットで開催、そこに今年は北陸地方も加わる予定です。これら合計18戦がAJSAの登竜門のような位置付けになります。
そして前出の5地区は年間ランク上位16名、後出の3地区は上位5名に全日本アマチュア選手権の出場権が与えられ、そこから8名がプロ昇格権を獲得できます。そして公認プロになると、翌年から賞金がかかったプロツアーのコンテストに出場できるという流れになっています。
また最近では時代の流れから、AJSAを制した者は世界へ。という傾向が強くなっているように思います。これらが皆さんから見えやすい表の活動になります。
しかし、これらは協会の活動全体からいえば一部にしか過ぎず、じつは世の中のスケートボードに関する問い合わせ対応の方が多いんです。官公庁から公共のスケートパーク建設の話もありますし、それとは逆に警察絡みの問い合わせなどもあるので、そういったさまざまな声に誠心誠意応えています。
AJSAは大会がメインの発信事業ではあるのですが、一般的にはよろず相談所的なところが仕事の約6割を占めています。
数多くの有名スケートパーク建設に尽力
ースケートパークの建設はどこに関わったのですか?
為本的にはパブリックパークの仲介役が大半になります。大きなところでは山形の寒河江スケートパークです。地元の要望をまとめて、協会が山形県とアドバイザー契約を結び、安全面や外から見える部分をチェックしました。最初の建設はもちろん、現在進行形で行っているリリューアルプロジェクトも全面的に関わっています。
あとは近年建設されたものだと、三重県の松坂や新横浜のリニューアルなども携わりました。コンセプトだけなら茨城県の笠間もです。
あとは鵠沼のコンビプールはほとんどAJSAといって差し支えないと思います。運営元の渚パークからリニューアルの相談を受け、日本に足りないスケートパークはこれだというプレゼンして、それが通ってできたのがあのパークなんです。
このように今までいろいろなスケートパーク建設に携わらせていただきましたが、どこも設計は協会主導で進めるのではなく、地元スケーターとの交流をなるべく多く作って進めることを心がけています。
近年はスケートパークの新規建設も一般的になりつつあるので、協会が今まで蓄積してきたノウハウを活かすだけではなく、地元の愛好者の意見も多く取り入れることで、独自の地域色を打ち出していくことが非常に重要だと考えています。
AJSA経由世界行きの流れ
ー先ほどAJSAを制した人は活動の舞台が世界になるとの話されていましたが、そこにはどのような背景があるのでしょうか?
簡単にいうと、アメリカ行きのルートが時代の流れででき上がっていったんです。昔からスケーターの海外挑戦自体はありましたが、どれもスポットで終わっていたんです。それが最近は海外渡航も容易になり、ようやく継続的に行けるようになりました。
今はコロナ禍で難しいところはありますが、過去には江川“YOPPI”芳文も挑戦していましたし、そこから岡田晋や荒畑潤一、米坂淳之介といった世代では複数人が海外から直でスポンサーを受けるようになりました。
協会としても90年代半ばから今のような全国規模のコンテストシステムの構築を始めて、2000年代には海外遠征のバックアップも行い、そこから瀬尻稜といった選手たちを派遣してきました。
そのような時代を経て、現日本代表チームのコーチである早川大輔たちが、8年ほど前から定期的にAJSAの年間ランキング上位のライダーを本場のアメリカへ連れて行くようになったんです。それを毎年続けていった結果が、皆さんご存知の堀米雄斗の活躍です。
彼が世界王者になったことで、今度はそれに触発されたライダーが自分もと海外に挑戦するようになりました。そうして挑戦人数も増えていったというわけです。
このようにアメリカの実績がなくても、日本の実績だけで海外に行けるようになったのが最近の特徴で、国や人種関係なく滑りで黙らせるカッコいい時代になってきたなと思います。
現状はAJSA経由世界行きの流れに具体的なステップアップのルートがあるわけではないのですが、過去のAJSAの年間グランドチャンピオンが世界で活躍しているという現状があるので、ここを獲ったら世界へのチャレンジが始まるというひとつの道標に自然となっていきました。
ー協会から世界への具体的なルートがないというのは、スケートボードにはサッカーでいうFIFAのような世界を統括する組織がないのでしょうか?
はい。世界を束ねる協会を作って、その下がピラミッドのようになるという他のスポーツに見られるような組織形態形をとっているのは、スケートボードの場合は今のところオリンピックにおいてだけです。
スケートボードはもともとスポーツから発展したものではなく、カルチャーの要素が強かったからか、NSAというトニー・ホーク(※1)のお父さんがやってた協会が’80年代に消滅してしまったりなど、この世界ではなかなかそれができないという歴史もあり、どうしても我々が独自でやっていかなければなりませんでした。
選手の海外派遣という部分は、本来なら協会が率先しやらなければいけないところだとは思いますが、そういった事情もあって各国が組織として繋がっていないので、我々協会も含めて各々が様々なルートを開拓して挑戦していました。
※1 スケートボードの認知度を一般認知度を一般に広めたレジェンドスケートボーダー
オリンピック競技採用による恩恵と弊害
ーただスケートボードはオリンピック競技への採用によって世間からの注目が急激に高まりました。協会としても何か変化があったのではないでしょうか?
内部的にはそんなにありません。ただいろいろな記者さんにスケートボードを知ってもらうにあたって、いいお手伝いはできたのかなと思います。ここ数年でメディアの底辺は広がったのではないでしょうか。
それとこれは皆さんもご存知のことかもしれませんが、オリンピックに関してAJSAとしてはほとんど関われていません。日本のシステムを考えると仕方のないことではあるのですが、残念なところではありますね。
ただ良い事ばかりではないのも事実です。日本スケートボード協会と名乗っている以上、どうしても名前が目立ってしまうんです。
そうなると一般からのクレームもAJSAの方に数多く来るようになりました。オリンピックの公認団体ではないにも関わらず、そういった問い合わせが来てしまうのは、業務的にも精神的にも大きな負担になってしまうので、愛好者の皆さんにはマナー遵守を改めてお願いしたいと思っています。
コロナ禍の影響
ーただ昨年は新型コロナウイルスのパンデミックによってそのオリンピックも延期になりましたが、協会にはどのような影響がありましたか?
まず、いろいろなところから「オリンピックって本当にやるんですか?」という問い合わせがすごく寄せられるようになりました。しかしAJSAはオリンピックの公認団体ではないので、我々の立場でははっきりいってわかりません。
質問があった際はそのような事情を説明して丁寧にお答えしていますが、今一度ここでも皆さんにご周知いただけると幸いです。
あとは基本的に他のスポーツ団体と同じかと思います。AJSAも昨年からコンテストは一切開催できていないので、どのようにして今までと同じような形で再開するかが現状の一番の課題です。
2月にはラグビーのトップリーグも再開しましたし、それならスケートボードもできるんじゃないかと各方面から声はかけられるのですが、スケートボードは他の競技以上にパフォーマンスに直結するところがあるので、無観客ではやりづらい側面がある競技ではあると思います。
それにスケートボードはストリートカルチャーがバックボーンにあって、自由であること、自由な雰囲気が魅力でもあります。それなのに選手たちにPCR検査を強要して、無観客にしてまでコンテストを開催することに対しては、今までの歴史を鑑みて議論する必要があると思っています。
ーただコンテストの再開を待ち侘びている人も多くいるのではないでしょうか?
はい。そこは協会としてもちろん早く再開したいと思ってはいます。ただ、まだまだ国内ではマイナースポーツの位置付けであるスケートボードにとって、コンテストの再開はかなり高いハードルです。
サッカーなどのメジャースポーツの場合は組織や予算規模が大きいので、PCR検査もリーグ側で負担できますが、先ほども申し上げたように世界を統括する組織がなく、独自でやっていかなければならない背景があるスケートボードの世界ではなかなかそうもいきません。
このようにいうと、結論的な部分になってしまうかもしれませんが、PCR検査を誰でも簡単に受けれて、しかもちゃんとした精度のものが必要になってくると思います。
スポーツ大会はスケートボードだけではありませんし、少年サッカーでもなんでも、今はいろいろ止まってしまったりやりづらい環境になってしまっているという現状があります。
なのでその辺りを少しでも良いのでやりやすいように政府主導で動いてくれると、協会としても動きやすくなりますし、学校の部活動なども活発になってくるかと思います。
【AJSA取材記 Part②】日本スケートボード協会によるスケートボードを通じた社会貢献と人材育成
ライター
吉田 佳央
1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。