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村上市スケートパークといえば、日本最高峰の施設として今まで数々のビッグコンテストが開催されてきました。そういう良い環境にあれば部活化が進み、国内トップクラスの選手も集まります。最後となるパート6では、単身新潟に移り住み、現在はプロとして国際大会にも数多く出場している松本浬璃選手にお話を伺いました。
 
開志国際高校
【開志国際高校 取材記①】全日制のスケートボード部ってどんなところ?顧問の先生に聞いてみた~前編
開志国際高校
【開志国際高校 取材記②】全日制のスケートボード部ってどんなところ?顧問の先生に聞いてみた〜後編

 

勉強とスケートボードの両立ができる

開志国際高校 取材記⑥

学校が終わった後、寮に戻り練習へ向かう松本浬璃選手

ーまずは自己紹介からお願いします。

松本浬璃(まつもと かいり)です。茨城県出身で年齢は16歳、開志国際高校の2年生です。スケートボードは小学校1年生から始めて、もう11年くらいやっています。

開志国際高校 取材記⑥

小学生の頃には全日本アマチュア選手権ジュニア部門で3位に。小さな頃から将来を嘱望されていた。

ー茨城県出身で、なぜ新潟にある開志国際高校へ進学を決めたのですか?

茨城には、屋内の大規模なスケートパーク施設がありませんでした。笠間市に日本最大級の施設「ムラサキパークかさま」があるのですが、同じ茨城でも実家からのアクセスを考えると通うのが大変でした。

当時は中学生で、平日に行く場合は電車を使います。茨城県内とはいえ結構距離があり、最寄駅からも遠かったので、土日くらいしか行けませんでした。

ー開志国際高校の存在はどのように知ったのですか?

中学2年か3年生のとき、「村上市スケートパーク」に行く機会があり、その時に平野英功さん(平野歩夢選手の父親)から、開志国際高校を教えてもらいました。スケートボード部があることも、そこで知りました。

このパークなら空調が効いていて冬は暖かいし、夏は涼しい。天候や季節の影響を受けないところにも魅力を感じて入学を決めました。

茨城からの距離も近い京の高校に行く選択肢もあったかと思います。なぜ首都圏の高校を選択しなかったのですか?

確かに東京に行くことも選択肢のひとつにはありました。例えば自分と同い年で、以前FLAKE(小学生のキッズアパレルブランド&スケートチーム)でもチームメイトだった池田大暉が通っているVANTAN高等部とか。

他にも第一学院や聖進学院も多くのスケーターが通っていた前例があるので、良いなと思っていました。ただどこも通信制なんです。

自分も両親も勉強との両立を大事にしたいと思っていたので、通信制よりも全日制のほうが良いだろうと。勉強もしっかりできるところが、開志国際高校を選ぶ大きな決め手になりました。

ー推薦による入学ですが、どのような経緯だったのですか?

自分の場合は少し特別で、本来は東京で入試を受ける予定だったのですが、ちょうどコロナ禍のパンデミックと重なり、試験がなくなってしまいました。

ただ学校には、AJSA(日本スケートボード協会)認定のプロ資格があることや、過去のコンテストの実績を全て書いて提出していました。そこを評価していただき入学できたのだと思います。だから形としては、スポーツ推薦になります。

 

時間の使い方を学んだ

開志国際高校 取材記⑥

昨年末のパリ五輪予選を兼ねた「WORLD SKATE世界選手権」にも出場。学業との両立はいかに時間を有効に使うかが大切になる。Photo_Yoshio Yoshida / World Skate

ー開志国際高校に入って感じたことや、 中学の時との違いはありますか?

高校では授業が終わって寮を出発する時間が決まっています。スケボーできる時間が限られているので、中学生の頃よりも時間を気にしながら動くようになりました。

より時間を有効活用しようという意識が芽生えました。当時よりも今のほうが良い生活ができている実感があります。

ー中学生の時はどういう生活リズムだったのですか?

学校が終わると家に帰ってゴロゴロして、夕方にちょっと練習して終わりみたいなことも多かったんです。中学の頃はスケートボード部がなかったので、部活にも入っていませんでした。

何もかも自分次第だったし、今以上に子供だったので、なかなか律することができなかったんですよね。

実は実家にプライベートパークがあって、目の前が練習場になっているんです。でもそういう環境だと逆にだらけてしまうというか、あまり時間を気にせず練習していました。

開志国際高校 取材記⑥

松本選手の実家にあるプライベートスケートパーク。中学生まではここでスキルを磨いていた。

ー普段はどんな日常生活を送っているのですか?

平日は7時くらいに起きて、寮で朝ごはんを食べます。8時50分から始まる授業にあわせて登校し、昼休みを挟んで15時半に学校が終わります。その後、寮に戻ってバスで村上まで練習に行きます。

スケートパークへ向かうバスの出発は16時で、片道30〜40分くらい。寮のルールでは、20時には戻って晩御飯を食べなければならないので、練習時間は2時間~2時間半くらいですね。

ー週末はどのように過ごしているのでしょうか?

村上スケートパークは、スポーツ庁のナショナルトレーニングセンター(NTC)強化拠点施設の指定を受けています。強化指定選手が受けられる特別スクールのようなものがあるので、それに参加しています。

ーどのようなトレーニングですか?

例えば、ハンドレールの下にエアーマットを敷いて、ベストトリックで高得点が狙えるようなトリックを練習しています。

スクールは第1、第2の土日にあるので、9時から12時までトレーニング。昼休憩を挟んで、18時から19時くらいまで練習してバスで帰るのがよくある過ごし方です。

ー全日制となると単位の問題もあると思います。学業との両立はどのようにしているのですか?

やはりテストと大会が被ってしまうことも多いので、その時は帰ってきてから、テストを受けます。ある程度の点数を取れるように課題はしっかりやっています。

あとは可能な限り毎日学校に行って、真面目に授業を受けています。意外としっかりやっているんですよ(笑)。

 

初めての一人暮らし

開志国際高校 取材記⑥

現在は親元を離れて新潟で寮生活。それが人間的にも成長するきっかけになった。

ー現在は実家を出て、寮生活をされていますがいかがですか?

入学したばかりの頃は、1人で早起きするのも洗濯も大変で苦労しました。初めて親のありがたみがわかりました。

でも今はだいぶ慣れてきて生活リズムも安定しているので、人間的にも成長できたのかなと思っています。寮で暮らすことによって意識的なところを変えることができたので、すごく良い経験になっています。

開志国際高校 取材記⑥

2018年のアマチュアコンテストに出場した松本浬璃選手。この頃は当然実家暮らし。スキルはもちろん人間的にも大きく成長している

ースケートボード部ならではの特徴的な活動はありますか?

パークに着いてしまえば、感覚的には中学生の頃とあまり変わりません。部員の皆とは毎日一緒にいるから、友達を作ろうとしなくても、自然と仲間の輪ができるところがありますね。

基本的にみんな寮に住んでいて、お互いの得意技とかも把握しています。それぞれを教えあったりとか、動画も撮りあったりというのは、日常的によく行っています。

いつか部員の映像を集めて、きちんと編集して公開したら面白いですよね!それがきっかけで新たに入学する生徒が興味をもてば、部員が増えるかもしれません。

 

常に仲間と滑ることができる楽しさ

開志国際高校 取材記⑥

部員とトリックの成功を分かち合う。スケートボードの魅力が詰まった瞬間だ。

ー今、松本選手がいる環境は、大きな括りで言うと全日制の私立高校のスケートボード部になります。どういったところに魅力を感じていますか?

自分が一番良いなと思っているのは、時間にメリハリをつけられるところです。通信制の高校だと、あまり学校に行かないと思います。起きる時間も含めて、時間をあまり気にしないんじゃないかと。

それに比べて開志は寮に入っていることもあり、時間が限られています。スケボーするときも、この時間でこれだけの技をやらなきゃ!と思うとダラダラ滑ることがなくなりました。もちろんその分、練習の大変さも感じるようになりましたが。

村上のパークにはコンビボウルもあるので、やることが早く終わったら、そっちでも滑って気分転換をすることもあります。自分にとっては魅力しかないですね。

ースケートボード部がある高校はまだ数少ないですが、それが自分の高校にあることをどう思っていますか?

中学生の頃は学校から帰ってきたら、ずっと一人で黙々と練習する日々でした。正直言ってあまり面白くないと感じることもありました。でも部活があれば、毎日部員と一緒に楽しく滑れます。そこは今までと大きく違うところですね。

開志は他のスポーツでも全国トップクラスの人がたくさんいます。特に表彰されるとかはないのですが、生徒みんなが認知してくれています。

ー具体的にはどのようなことでしょうか?

例えば遠征から帰ってきたら、「大会どうだった?」と聞いてくれます。優勝するとみんなが「おめでとう!」と声をかけてくれて。これも部活があるおかげだと思います。

そもそも中学生の頃は、スケートボード自体を知っている人があまりいませんでした。他のメジャースポーツに比べたら、まだまだなところはありますが、影響はいろいろなところで感じています。

 

キッズスケーターのためにも部活化を

開志国際高校 取材記⑥

自分が子供だった頃と今では環境が大分変わった。だからこそ子供の将来ためにも部活が増えてほしいと話す。

ー今後日本におけるスケートボードの部活動はどうなっていってほしいですか?

増えてほしいです。先ほども少しお話しましたが、以前自分が所属していた FLAKE には、「FLAKE CUP」という小学生までのコンテストがあります。自分が出ていた頃と比べると、今はエントリーが3~4倍に増えているんですよね。

これは、スケートボードをやっている子供が増えている何よりの証拠です。そういう子供たちが大きくなったとき、部活がないから続けられないということがないように、もっと全国各地の中学や高校に広まってほしいなと思います。

ーでは最後に進路に悩んでいる中学生にメッセージをお願いします。

スケートボードと勉強の両立を目指していきたいなら、自分のように開志国際高校に入ってみるのも良い選択だと思います。

大きい大会に出て活躍したいなら、村上のように世界大会ができるくらい大きいセクションがある学校を選ぶことも選択肢のひとつになるかと。もし開志国際に行きたいという人は、入学したらぜひ一緒に滑りましょう!

Photo by Yoshio Yoshida

開志国際高校
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開志国際高校 取材記⑤
【開志国際高校 取材記⑤】全日制のスケートボード部ってどんなところ?第一期生の部員に聞いてみた
全6編に渡る開志国際高校スケートボード部の取材記はいかがだったでしょうか。四者四様とも言える立場でのお話によって、多角的に部活動を捉えることができたのではないかと思います。スケートボードは今後もオリンピック競技として採用され続けていき、部活化の流れはより一層加速していくことでしょう。この記事が、今後の部活化を加速させる一助になってくれたら幸いです。

ライター

吉田 佳央

1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。