どのスポーツでも競技の発展において協会の存在は欠かせません。そこでお届けしている、スケートボードの世界で30年以上の歴史を誇るAJSA(日本スケートボード協会)の取材記事。パート③では長年行っているインストラクター講習会や教育的意義について伺いました。
【AJSA取材記 Part①】日本スケートボード協会によるスケートボードを通じた社会貢献と人材育成はこちら
 
【AJSA取材記 Part②】日本スケートボード協会によるスケートボードを通じた社会貢献と人材育成こちら

安心してスケートボードを教えるモデルケース作り

AJSA(日本スケートボード協会)

ーパート2もまずは読者の方たちに協会の概要説明からお願いします。

一般社団法人という形をとって、スケートボードを通して社会貢献をしている団体で、皆さんからはAJSA(ALL JAPAN SKATEBOARD ASSOCIATION)という略称で親しまれています。

メインの発信事業はもちろんコンテストの開催なのですが、世の中のスケートボードに関する問い合わせにも数多く対応しています。今回お話するインストラクター講習会ももちろん協会の大切な業務のひとつになっています。

ーそもそもなぜインストラクター講習会を始めようと思ったのですか?14年前にスケートボードスクールをやっているところはほとんどなかったと思うのですが。

スケートボードを“安心”して教える事ができるモデルケースを作りたかったからです。今でこそスケートパークは全国各地に建設されていますが、当時はまだストリートで滑るものだという、学校体育とは明らかに違うスタイルだった時代であり、学校体育的な伝承の仕方は難しかったんです。

それでも全国各地でシーンは着実に育っていて、どの地域にもスケーターが集まるスポットが必ずあって、そこを守る人も存在していました。そういう人とインストラクターをやってくれる人が近かったんです。

でも教える場所はあくまでスポットでしかないといいますか、スケートパークのような体裁をとっていて地域から認められていても公的にはグレーな場所も多かったんです。そんな状況を改善するための策のひとつがインストラクター講習会と公認インストラクター制度だったんです。

あとは当時のスケートボードシーンは今以上に小さな村社会でした。競技人口がが増えてきても、昔の職人と同じでスキルは見て盗むものだという認識が強い世界だったんです。

YouTubeもない時代にコマ数が少ないシークエンス写真を見て、イマジネーションで技を覚えていくのが楽しかった部分ではあるのですが、2000年あたりからビデオも雑誌も多くリリースされるようになり、それに乗じて人も増えてきて、同時に少しでも早く上達したいという人が増えるようになってきました。

でも教える人間がいないことにはシーンの発展は望めません。そこで、これからは言葉でスケートボードを伝える人が必要になるだろうな、インストラクター需要は将来必ず起こるなという予感がしたというのもありますね。

ーただそういったイメージを覆すには制度の確立だけでは難しい部分もあったのではないでしょうか?

はい。当時、実際にスポットの管理をやっていた人は、一般の親御さんからしたらちょっと怖そう……、というイメージがある人が多かったと思います。

もちろん知り合ってしまえばどの人も悪い人ではないんですが、なかなかとっつきにくい部分があったのは事実ですね。ただそういう人は個性が強く、人を惹きつける魅力も同時に持っていたんです。

だからそういう人達がゴミ拾いをしたり、インストラクターとして子ども達に物事を教えたり、お祭りの時にデモをやってたりといった、日本に古くからある基本的なことからやらなければダメだと思ったんです。

こういったことはスケーターを育んだストリートカルチャーとは、ある意味真逆のようなことかもしれませんが、それらをやっていかなければ滑る場所は守れませんし、人口も増えませんし、もっと上を目指すスケーターが今のように食えるような世界になることなんて到底手の届かない話になってしまうと思ったんです。

だからそういったところに理解を持って、賛同してくれた地方のショップオーナーさんとかスケート担当の人達が、皆で一緒に盛り上げていこうと動き始めたことで徐々に状況が好転していきました。

今のAJSAのジャッジやスタッフをやってくれている人達は、その時に一緒に盛り上げてくれた人達が中心になっているんです。彼らのおかげで、今の全国各地に行き渡るコンテストシステムができ上がったので、そういった背景が協会自体にもあるんですよ。

 

オリンピック競技採用で参加者が急増

AJSA(日本スケートボード協会)

ーすごく良い話ですね。では講習会を始めた当初はどのような様子でしたか?

最初は14年前、2007年の2月に始めたのですが、杉本瑛生や渡邉裕磨といった当時の有名キッズスケーターの保護者の方の参加がほとんどでしたね。

まだスクールというものが世の中にはまったくといっていいほどなかった時代だったので、親御さんが教えなければならなかったという部分はあると思います。その時に間違ってはいけないという形で受けにきていました。

こちら側も最初はアキ秋山さん、カツ秋山さんという業界の方なら誰もが知るレジェンドを講師に招き、アキ秋山さんが考えた、スケートボードをまたいで、そこから乗って、プッシュして止まるという「スケボー体操」を基本にスタートさせました。

その後は基本的に最初の形を大きく外さないように進化させていき、近年は東京の城南島で大規模なスクールを長年行っている冨田誠との掛け合いでやっています。1時間があっという間に感じられるように、肝となる部分を重点的に共有することを心掛けた構成にしています。

ー今までの開催回数や参加人数などはどれくらいなのでしょうか?

すべてインタースタイルでの開催になるので、2007年から2015年までは年2回、2016年からは年1回のペースで行ってきて、今までで通算25回開催しています。

でも最初は10人いれば良い方でしたね。ただスクールが世の中でメジャーになっていくにつれて参加人数は徐々に増えていきました。そして東京オリンピックの追加種目に選ばれた翌年の2016年でグンと増えて、正式決定した翌年の2017年で初めて満席になりました。

今年はコロナ禍で参加人数は少なかったですが、それまでは毎回40人くらい来ていて、ほぼ満席という状態でした。

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この記事を書いた人

吉田 佳央

1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。