登山家竹内洋岳のプロフイール
日本時間の2012年5月26日、竹内洋岳さんは8,000m峰14座目となるダウラギリ山頂8,167mにたどり着きます、日本の山岳界にとって念願の記録が達成された瞬間でした。
8,000m峰14座への挑戦は、世界でも28人(2012年当時、現在33名)。日本人では9座までが最高記録で、これまで幾度となく有名な登山家が命を落とすなどして、阻まれていた記録でした。
一躍時の人となった「登山家竹内洋岳」ですが、その挑戦は1991年20歳の時、立正大学山岳部としてヒマラヤ山脈シシャパンマでの登山から始まります。
この時は登頂までは行けず7,500m地点までとなりましたが、1995年日本山岳会マカルー登山隊に参加し8,000m峰初登頂。以降17年かけて全14座の登頂に成功します。
また、4座目となるナンガパルバット以降、酸素ボンベなどを使わない無酸素登頂にも成功しており、8,000m峰11座無酸素登頂は、日本人として最多記録です。
これらの活躍が認められ2012年第17回「植村直己冒険賞」を、2013年には『第15回秩父宮記念山岳賞』を授与されています。
デスゾーンと呼ばれる8,000m峰14座
アジア圏にあるヒマラヤ山脈およびカラコルム山脈は、中国、ネパール、パキスタンにまたがり、地球の屋根とも言える最も標高の高い地域です。
標高7,200 m以上の山々が、この地域だけに100峰以上集中していて、地球上で最も高い8,000m越えの山も14峰存在します。
標高が3,000mを超えると高山病の症状が出始めますが、8000mではさらに酸素濃度が下がり、生命の維持が困難になっていきます。
このため登山用語で8,000超えのエリアをデスゾーンと呼ばれています。世界で最も高い山であるエベレストでは、これまでわかっているだけで300人以上の登山家が命を落としました。
デスゾーンでは、人力はもちろんのこと、ヘリコプターなどの救助活動もままならず、200を超す多くの遺体がそのまま放置されています。
凍結した状態で腐食することなく長い年月眠っている遺体は、その姿から「虹の谷」や「グリーンブーツ」などと呼ばれ、エベレスト登頂の目印となっています。
8,000m峰14座一覧
(標高順)
エベレスト | 8,848m |
K2 | 8,611m |
カンチェンジュンガ | 8,586m |
ローツェ | 8,516m |
マカルー | 8,485m |
チョ・オユー | 8,188m |
ダウラギリ | 8,167m |
マナスル | 8,163m |
ナンガパルバット | 8,126m |
アンナプルナ | 8,091m |
ガッシャーブルムI峰 | 8,080m |
ブロード・ピーク | 8,051m |
ガッシャーブルムII峰 | 8,034m |
シシャパンマ | 8,027m |
8,000m峰への挑戦の軌跡

出典 竹内洋岳公式ブログ
竹内洋岳さんの8,000m峰への初登頂は、1995年マカルーから始まります。
翌年にはエベレスト、K2へと続けて登頂に成功し、以降8,000峰のエキスパートとして次々と挑戦を続けていくことになります。
2001年の4座目となるナンガパルバットから、酸素ボンベなど使用しないアルパインスタイルで山頂を目指し、残りの全ての8,000m峰で無酸素登頂を成し遂げました。
2007年10座目となるガッシャーブルムII峰へのアタックでは、雪崩に巻き込まれ、約300mも流されてしまします。
この事故により背骨、肋骨の骨折や肺が潰れるなどの大怪我をして遭難。各国登山隊のレスキュー活動により奇跡的に生還するも、同行した他の2名が亡くなる大事故でした。
事故後、14座への挑戦に更なる使命感を持ち、リハビリに専念。翌年2008年には、事故があった同じルートでガッシャーブルムII峰へ再挑戦し見事に登頂に成功しました。
竹内洋岳8,000峰登頂年表
名 称 | 標 高 | 登頂年度 | スタイル |
マカルー | 8,485m | 1995年 | |
エベレスト | 8,848m | 1996年 | |
K2 | 8,611m | 1996年 | |
ナンガパルバット | 8,126m | 2001年 | 無酸素 |
アンナプルナ | 8,091m | 2004年 | 無酸素 |
ガッシャーブルムI峰 | 8,080m | 2004年 | 無酸素 |
シシャパンマ | 8,027m | 2005年 | 無酸素 |
カンチェンジュンガ | 8,586m | 2006年 | 無酸素 |
マナスル | 8,163m | 2007年 | 無酸素 |
ガッシャーブルムII峰 | 8,034m | 2008年 | 無酸素 |
ブロード・ピーク | 8,051m | 2008年 | 無酸素 |
ローツェ | 8,516m | 2009年 | 無酸素 |
チョ・オユー | 8,188m | 2011年 | 無酸素 |
ダウラギリ | 8,167m | 2012年 | 無酸素 |
竹内洋岳の登山スタイル

出典 竹内洋岳公式ブログ
竹内洋岳さんの日本人唯一の8,000峰14座登頂は、それだけでも偉大な記録ですが、登頂の記録を見ると、そのスピードにさらに驚かされます。
2004年以降はほとんど毎年、時には同じ年に2峰にアタックしているのです。これは、竹内さんがこだわるアルパインスタイルに起因しています。
アルパインスタイルとは少人数、必要最低限の装備で、酸素ボンベや固定ロープは使用せず、シェルパやポーターの支援も受けない登山スタイル。
ベースキャンプから一気に山頂を目指し、登頂後も速やかに下山するスピード重視のアタック方法です。これにより登山費用を大幅に抑えることが可能になり、天候や雪崩などのリスクも軽減できます。
このスタイルだからこそ17年間の歳月で8,000峰14座登頂を成し遂げることができたのでしょう。もちろん高度な登山技術と知識が必要なスタイルで、誰もができる登山方法ではありません。
予想外のアクシデントにより立ち止まってしまった場合、低酸素症や凍傷、脱水症状や飢餓の恐れのある危険な挑戦でもあるのです。