独自の育成メソッドを確立
ー現在行われているスクールですが、実施する上で参考にしている人やモノはありますか?
特定のものはないのですが、周りの仲間がどう教えているのかとか、そういうところから学んだところはあります。やはり人によって教え方は違うし、自分たちはマニュアルがあって教えているわけではないので、「この教え方イイな! 」と思ったことは取り入れて活かすようにしています。
なので教える側の人間も、いろいろなスクールに参加することでより多くのことを吸収することができるんです。そこに自分の長年の経験で培ってきたものプラスして指導するようにしています。
ただスクールは関係なく、自分にインパクトを与えてくれるという意味で上田豪という存在は欠かせないです。彼と接したことのある人ならわかると思いますが、あそこまでの熱血漢は他の業界でもなかなかいないと思います。
プロとしても、仲間としても、経営者としても影響を与えてくれる、本当に面白くてスゴい情熱の塊のような人間です。頼りになる兄貴分であるし仲間でもある、彼と一緒にいるとモチベーションも上がるし、お互いに高め合うこともできる。
言葉では言い表せないんですが、今自分は彼のブランドのSHOWGEKI SKATEBOARDSに乗っているんです!
スケートライフ全体をより充実させたい
ーそれでは今後はこんなスクールをやりたいなどのプランはありますか?
ただスケートボードを教えるだけでなくて、そこから歩みを進めて、スケートライフ全体をより良く、より楽しくさせるようなことをやっていきたいなと思ってます。
例えば、これは実際に生徒さんの親御さんから要望もあったんですが、キャンプとかを一緒にやってくれるところがあったらやってみたいなと。親御さんも自ら参加してカレーくらい作りますよって言ってくれてますし、そう言ったところで新たな触れ合いの場を作れたらなっていうのがひとつ。
あとは、今はコロナ禍で難しいと思いますけど、LAツアーを行って本場のシーンを見せてあげたいと思ってます。自分も若かりし現役時代はアメリカと日本を常に往復する日々を送っていたから、その時の繋がりを活かせばいろいろなものを見せてあげられると思うんですよね。
そうやって今まで自分が経験してきたもの、コトを皆にいち早く経験して楽しんでもらう橋渡しをしていきたいんです。自分が長年かけて培ってきたものを子どものうちから経験できたら、絶対将来にプラスになると思うので。
ただ自分はやるからにはしっかりとやりたいので、旅行会社さんと一緒になってプランを組んで、それをメディアにも来てもらって広めるとか。そういうひとつのパッケージにまとめていきたいんです。
やっぱり自分一人だと細かな配慮までは行き届かせることができないですし、自分の満足いくものにはならないと思っていて。なのでこの考えに賛同してくれるところがあったら、ぜひ声をかけてほしいと思っています。
自分たちが作っていかなきゃいけない
ー常に新たな道を切り開いていくのは、スケートボードに限らずとても大切なことですね。
これは最近感じたことなんですが、自分たちは物事を掘り起こしていく世代だと思うんです。スクールにしろプロスケーター像にしろ、自分たちが作っていかなきゃいけない時代だったから、今まで必死にやってきました。
でもそれを今の子ども達が同じ事をやるとしたら、ものすごい時間がかかってしまいます。だからそこをうまく階段飛ばしで駆け上がるシステムを僕たちが作る必要があると思うんです。
雄斗(堀米)にしても、もちろん本人の血の滲むような努力があったのはもちろんですけど、そういった先輩たちが自らの経験を生かして彼に進む道を示してくれたからこそあそこまで上り詰める事ができたと思います。
スクールやキャンプや合宿、さらにはLAツアーがそこまで到達するための手段のひとつになったらいいなと。もちろん生徒にスケートボードを楽しんでもらうというのが第一ではありますけど。
それにアメリカでは自分が小さな頃から既にスケートキャンプはあったんです。福生の米軍基地の友達が参加してマット・ヘンズリー(※1)と滑ったとか、そういう話はよく聞いていたんですね。それが今になって日本でもようやくできるようになってきました。
だからこれからはそういうことも発展させていくのが自分たちの仕事になっていくと思います。スケートボードが好きで長年続けてきたからこそ、皆が楽しめるようなことをできると思いますし、そうやって好きなことやって楽しみながらでも仕事はできるんだってことを証明していきたいです。
もちろんそこには大変なことも間違いなくありますけど好きなことなら頑張れますし、そういった姿勢を見せることで若年層のこれから生き方の参考に少しでもなってくれたら嬉しいですね。
※1 80年代後半から90年代半ば頃にかけて活躍したレジェンドプロスケーター
ーでは今ご自身の生徒で注目のスケーターや結果を残した人がいれば教えていただけますか?
これに関しては自分が教えたことがある生徒には全員注目していると言わせてください。スキル関係なく、人それぞれにいいところはあるし、それを開花させたいと本気で思ってます。
特に子どもが将来どうなるのかなんて誰にもわからないし、誰もが平等にチャンスはあると思っています。なので強いて答えるなら、本気で楽しみながら真剣に取組んでいる人ですかね。その地道な姿勢が必ず将来の道を切り開いてくれるので。
スクールがあれば楽しみながら上達できる
ーでは最後にこれからスケートボードを始めてみようという人や、興味がある人に何かメッセージがあればお願いします。
これを読んでいる方、とくにスケートボードに接したことがない方々にとって、スケートボードは転ぶもの、痛いものっていうイメージが少なからずあると思うんです。楽しいより危ないが先行してしまうというか。
でも基礎からしっかり教えてもらったり、友達や先生に補助してもらいながらやると、楽しみながら上達することができます。もちろん転ぶ、痛い、ケガするという部分はどうしてもついてきてしまうところではあるんですが、それは他のスポーツでも十分あり得ることだと思います。なのでそういったところでマイナスイメージを持たないで、気軽にスクールに参加してもらったら嬉しいですね。
今は子どもから年配の方までいろいろな愛好者がいますし、スクールも増えて丁寧に教えてくれる先生も増えているので、家の近くでやってるから行ってみようでもいいので気軽に参加してみてください。自分がこうやってインタビューに応えることで、スケートボードをすることに対する敷居が少しでも下がってくれたらいいなと思います。
Profile:荒畑 潤一
1977年1月19日生まれ。東京都小平市出身。
スポンサー:SHOWGEKI SKATEBOARDS、Ninja Bearings、Diamond Supply Co.、PRAY Ⅳ GRIP、Oakley、New Era、ESCAPO TOKYO、Arktz。
145(イシコ)の愛称で知られ、長きに渡り日本のスケートボードシーンを牽引してきた、1977年生まれの黄金世代を代表する人物。スケートメディアはもちろんのこと、端正なマスクでファッション誌のモデルなどで活躍するほか、国内の技術レベルやスケートボード自体の地位を高めたパイオニアのひとり。
現役時代はスイッチや回しを駆使したテクニカルトリックを武器に18歳で全日本チャンピオンを獲得。ワールドワイドな活躍をみせてきたライダーで、40歳を越えても熟練の魅せるライディングは健在。現在は自身のキャリアを活かした個人スクールを中心に、スケートボードの魅力を幅広く一般に伝える活動をしている。
【荒畑潤一】プロスケーターを経て育成のプロフェッショナルへ〜取材録Part1
【荒畑潤一】プロスケーターを経て育成のプロフェッショナルへ〜取材録Part2
【荒畑潤一】プロスケーターを経て育成のプロフェッショナルへ〜取材録Part3
ある程度スケートボードに乗れるようになってくると、今度はいろいろな場所で滑りたくなります。そしていろいろな場所へ行くことで新たな仲間に出会い、スケートライフがよりいっそう充実していきます。ここで荒畑さんがおっしゃっていたスケートキャンプやLAツアーは、日常ではなかなか体験できないスケートボードの魅力が詰まっています。今後はスケートボードをスケートパークで教えるだけに留まらない、スケートライフ全体をより楽しくさせてくれる複合型イベントがきっと増えていくことでしょう。
ライター
吉田 佳央
1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。