若年層における人気の高さに加え、日本勢の強さも相まって、スケートボードはオリンピックでも人気種目のひとつになりつつあります。すると、パラリンピックやデフリンピック種目化への機運が高まってくるのも自然な流れ。そこで、いち早く世界に先駆けて今年より立ち上がった「デフスケートボード協会(AJDSA)」にお話を伺いました。
ろう者の子どもに教えることができた喜び

手話を通して子どもにスケートボードを教えることでコミュニケーションの壁は少なくなる
ーAJDSAで活動している人数(選手・スタッフ含む)や活動内容について教えてください。
運営メンバーは現在6名在籍しています。中にはスケートボードをやったことのない人もいますが、まだ助け合いといいますか、私達の活動目標達成のために手伝いたいという人に優先的に組織に入っていただいています。
選手登録選手は現時点で8名おります。ただ、まだ登録のないデフスケーターもたくさんいるので、広報活動を通してアピールしていきたいと思っています。
活動内容については、ろう者の大会や体験会の企画運営もしていますが、今年は「ワールドデフトリプル S ゲームス」※があります。2ヶ月に1回は行いたいのですが、しっかりフォローするために、4ヶ月に1回ほどにしています。
※ワールドデフトリプルSゲームス:今年日本で初開催されるデフサーフィン・SUP・スケートボードの国際大会
ー立ち上げから最も印象に残っている出来事を教えてください。
ろう者の子どもたちにしっかりサポートをすることができたことですね。教えること自体は協会立ち上げ前にも行なっていたのですが、ろう者の子どもたちは、デフスケーターが教えた方が新しい技が早く習得できることが多いです。
それは手話でコミュニケーションがとれるからで、ろう者の子どもたちとデフスケーターの交流している姿がすごくいいなと思いました。
私は過去に思うようにできなかった経験があるので、ろう者のみで多くの人を集めて開催できたこと、そこから底辺が広がっていく瞬間を目撃できたことに協会を立ち上げた意義を感じることができました。
デフの子どもが感じた言葉の壁

デフスケートボーダーの息子を持つ副会長の寺澤さん
ーその「過去に思うようにできなかった経験」を教えていただけますか。
スケートボードの体験会に参加したことがありまして、プロのスケートボード選手と子どもと一対一でコミュニケーションをとりながら教えてもらいました。その時にプロの選手は「 わかる?」などていねいに声掛けをして一生懸命やってくれたましたが、すごく時間かかってしまって。
筆談をするにしても5歳の子どもなのでなかなかうまくいかず、コミュニケーションが行き詰まってしまいました。その時に私が呼ばれて、プロスケーターの方は筆談で伝え、私がそれを手話で子どもに伝えるということがありました。
ー聴者がろう者の子どもとコミュニケーションを取るには二重通訳が必要になってくるのですね。
はい。その時に私はお金を払ってお願いしているのに、なぜ通訳までしなければいけないのだろう? という疑問を感じました。子どもにはいろいろ体験させたかったのでどうするのがよいのか考えましたが、やはり聴者に教えてもらうには、どうしてもコミュニケーションで大きな壁ができてしまいます。
課題はデフスケートボーダーへの「情報保障」

聞こえない人が大会やイベントに参加する時、スクールを受ける時、このようなイベントに聴者のゲストを招く場合は情報保障(※)が課題となる
ーだから協会を立ち上げてろう者がサポートする場を作ろうと?
はい。今や息子だけではなく、他のろう者の子どもにとってもスケートボードはとても魅力的に映っています。たとえば、オリンピックで堀米雄斗選手が金メダルを取ったり、多くの選手の活躍のおかげで、やりたいという子どもが増えました。でも同時に「どうやって教わろう?」という悩みも多く聞くようになりました。
そこで自分の子どもと同じ気持ち、同じ困難を抱えている人が多いことに気付きました。だからこそ協会を立ち上げることが、多くのろう者の子どもが集まって、ろう者の選手が教える環境づくりに繋がります。
※情報保障: 身体的なハンディキャップにより情報を収集することができない者に対し、代替手段を用いて情報を提供すること。
ー協会として、スケートボーダーの支援体制はどのようになっていますか?
聴者からしたら、協力したいと思っていても、どう支援したらよいのかわからないところもあると思います。そこは我々が万全の準備を整えて気持ちよく参加してもらえるシステムを整え、聞こえる聞こえない関係なく楽しめるイベントを作っていきたいと考えています。
人間関係の広がりと認知度向上

体験会ではろう者どうしが手話を通じて真剣に楽しく交流する姿が見られた
ー日本デフスケートボード協会を新規に立ち上げたことで起きた変化はありますか?
人との関係性の広がりを実感しています。今まではろう者だけで行動していましたけど、聴こえる人たちの協会との繋がりもできましたし、そこの方々もデフスケボー協会があることをアピールしてくれています。積極的にフォローします! とのお声掛けもいただきました。
同じスケートボードに取り組む者として互いに協力し合う形ができ始めてきたといいますか、ろう者もスケートボードを真剣にやっていることを知っていただけたので、これからは認知度も徐々に上がっていくのではないかと思っています。
ー協会のビジョンやミッションを教えてください。
デフリンピックにスケートボードが競技として追加されることですね。じつは過去にも他のデフスポーツで登録をしようと活動していたことがありました。でもなかなかうまくいかず、4年後も認められず、8年後にようやく公式種目として採用された経緯があります。
ですので、私としてはこれはかなり高い目標だと思っていて、簡単に競技として認められるわけではないのは理解しています。だからこそ種目採用が一番のビジョンであり、ミッションですね。
音から感じられないバランス感覚。ろう者ならではの壁

デフスケーターは音から得られるタイミングやバランスを感じることができない
ーデフスケーターから見たスケートボードで、聴者とは視点が違ってくる部分はありますか?
バランス、平行感覚をとるのが難しいのではないかと思います。たとえば、すごくきれいに成功した時はパチンと気持ちいいキャッチ音がしますが、ろう者はそれらを感じとることができないので、音から感じるバランス感覚に影響が出ます。
外見は同じでも、トリックの習得にはろう者ならではの壁があります。だからこそ、ろう者のスケーターがトリックを成功させて「ろう者でもトリックを覚えられる」と伝えていくことは、ろうの子どもに夢を与えることにつながりますし、活動が広まっていけば、今私たちが行っていることがロールモデルにもなっていくと思います。
ろう者のオブラートに包まない文化「ろう文化」

イベントでも真剣に意見交換しながらよりよい体験会にする様子が伺えた
ーデフスケートボードに特有のルールやマナーはありますか?
そもそも、ろう者と聴者では文化が違います。たとえば、ろう者と接していると、聴者は「ろう者って失礼だな」と感じることがあるはずです。でもそれは、ろう者にとっては当たり前の行動なのです。
たとえば、人を呼ぶとき、ろう者同士では肩を軽く叩いたり、場合によってはテーブルを叩いたり、電気を消したりして呼ぶことがあります。これは視覚を重視するろう文化の中では、ろう者にとって一般的な呼び方であり、聴者を呼ぶ際にも同じ方法を使うことがあります。
そして、遠回しな言い方や、いわゆる「オブラートに包んだ表現」はあまり使わない傾向があります。
聴者がろう者のところに来たとき、初めましての挨拶よりも、すぐフレンドリーに接するろう者もいます。他にもいろんな文化や慣習がありますが、お互いを理解した上でコミュニケーションをとってもらえると、よりよい関係性を築くことができると思います。
あとは、ちょっとでもよいので、身振りや手話をしてもらえるとうれしいです。たとえば、「おはよう!」「一緒にスケボーしない?」などの簡単なものだけでいいので、身振り手振りで表現をしてもらえると、ろう者の皆はすごく喜んでくれると思います。
ーそれは手話を一つの言語として捉えた場合、日本語よりも表現の幅が少ないために、そうならざるを得ないのでしょうか?
手話を知らない人が多いため、どう伝えればいいかわからず、結果として表現が限られてしまうように感じるのかもしれません。
日本手話も日本語や英語と同様に一つの言語であり、表現の幅が日本語や英語より狭いということはありません。むしろ、英語やその他の外国語と同じように、ろう者と実際に交流をしながら手話を学ぶことで、コミュニケーションの質をより深めることができます。
たとえば、「オブラートに包んでほしい」と感じるような場面でも、そもそもそうした遠回しな言い回しの文化がないために、「ちょっと、そこどいてくれよ」とか「やめてくれよ」といった話し方が、ストレートすぎると受け取られてしまう場合があります。
しかし、これは決して失礼や悪意があるわけではありません。こうした違いは、お互いが丁寧にコミュニケーションを重ねることで、自然と理解し合えるようになります。
デフ(Deaf):耳が聞こえない人
ろう者:手話を必要とする耳が聞こえない人
ライター
吉田 佳央
1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。