自由なスキーを目指して、バックカントリーシーンへ
ーその後、20歳から25歳まで、技術選には5年連続で出場されていますね。
はい。でも、あの頃は、思い描いていたこととのギャップを感じて、スキーをあまり楽しめていませんでした。
年齢を重ねて、スキー以外のいろいろな遊びを覚えたのも理由です。自由な部分を求めるようになって、1番大事にしてきたスキーが、逆に窮屈になっていたんです。
ーその頃に、バックカントリーを始められたんですね?
そうです。ほかの遊びで知り合った先輩たちが、スノーボードを買って山に登り、パウダーを滑って遊んでたんです。初めて経験したときは、「こんな世界があるのか」と驚きました。
ーその当時から一緒にスキーヤーとしての活躍を目指していた仲間やライバルの方はいらっしゃいますか?
佐々木大輔です。高校時代のスキー部の後輩ですが、プロスキーヤーになりました。プロスキーヤーの三浦雄一郎さんのお弟子さんで、一緒に基礎スキーの大会にも出てたんです。
大輔は高校卒業と同時に、「山木先輩、僕は手稲に行きますから」って宣言して。一緒に札幌市内の盤渓スキー場で練習してたので、すごいショックでした。
今思えば、大輔の気持ちも理解できます。彼が目指していたようなスキーヤーに成長するためには、手稲の環境が最高だったんですよね。
ーバックカントリーを始められて、なにか心境の変化はありましたか?
大いにありました。バックカントリーで滑るためには、技術が必要です。ゲレンデは二次元的で、平面的ですが、山に行くとそうはいかない。雪がボコボコした箇所があり、斜面も荒れています。バックカントリーにはいろいろな状況があって、三次元的なんです。
どんな状況下でも滑ることができる人こそ、うまいスキーヤーだと思いました。バックカントリーに出会って、あらためてスキーの奥深さや、おもしろさに気づかされました。
ー基礎スキーで磨いてきた技術が、バックカントリーでも生かせたのでは?
いえ、残念ながら、基礎スキーの技術は通用しなかったんです。基礎スキーでは、結構、成績も残していました。ある程度、自分でうまいと思ってたんですよ。
ところが、山へ行ったら全然滑れなかった。のちに海外でも滑ることになるんですが、最初の頃は滑っていても、周りの人たちに置き去りにされてました。「俺、スキー下手じゃん」って、落ち込みましたよ。
山木匡浩さんのインタビュー記事は下記から御覧下さい。
【山木匡浩】国内外の山々で挑戦を続けるビッグマウンテンスキーヤー/vol.2
【山木匡浩】国内外の山々で挑戦を続けるビッグマウンテンスキーヤー/vol.3
この記事を書いた人
MORITAX
スキー専門誌にライター・編集者として在籍し、現場取材から選手スキー技術解説記事、ニューアイテム紹介まで幅広く担当。現在はライター・編集者として、スキーのみならずアウトドア関連の情報発信にも携わる。趣味はスキーヤーとキャンプで、スキー歴は30年以上。最近はカヌーでいろいろな湖に行くのが楽しみの一つ。