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13歳でプロ合格し、16歳になる年に日本プロサーフィン連盟(JPSA)のグランドチャンピオンを獲得した川合美乃里選手。まだ21歳と伸びしろたっぷりの選手ではありますが、これまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。年齢以上にさまざまな経験をしてきた川合選手のキャリアを振り返りつつ、これからの活動について聞いていきます。
川合美乃里選手のプロフィール
川合美乃里(かわい・みのり)。2000年12月14日生まれ。6歳のときにサーフィンを始める。13歳のときに史上最年少で日本プロサーフィン連盟(JPSA)のプロ資格を取得し、2016年にはグランドチャンピオンに。その後も国内外のコンテストで好成績を残す。これからも活躍が期待される若手女性サーファーの1人。

嫌で仕方なかった始まり

川合美乃里 サーフィン

―まずは、生年月日などプロフィールを教えてください。

川合選手 2000年12月14日生まれで、AB型です。13歳のときにJPSAのプロになりました。

―サーフィンを始めたきっかけはどんなことだったのでしょうか?

川合選手 お父さんがサーフィンをしていたんです。お母さんと一緒にビーチでサーフィンを見ていたら、お母さんが急に「私もサーフィン始めようかな」って言い出したんですよ。私としては置いていかれるのが嫌で、お母さんについて行って始めたって感じです。

―自ら「やってみよう」という思いはなかったのですね。

川合選手 全然。そのころは、顔を水につけられなかったんですよ。そもそも好きじゃなかった。怖いっていう気持ちもあったんですけど、サーフィンを始めたのが冬だったので、寒くて寒くて。

毎日、海に連れていかれるときに車の中で「波ありませんように!」って祈ってました(笑)。それで波がなかったら「よしっ!」ってなったりして。本当に嫌いでしたね。

あと、ライフジャケットとゴーグルをつけてやってたんですよ。顔に水が当たるだけで怒っていました(笑)。それが6歳のときです。

―どうしてお母さんは突然、冬にサーフィンを始めたのでしょう?(笑)

川合選手のお母様 季節に関係なく、サーフィン欲が高まっちゃったんですよ(笑)。

川合選手 冬だったし、嫌いだったけど、サーフィンを辞めるっていう選択肢はなかったですね。お父さんがスパルタだったので。お父さんはプロサーファーになりたかったんです。でも無理だったから、その夢が私に来たので、私にとっては最悪でした(笑)。

 

プロサーファーになるために

川合美乃里 サーフィン

―いつからサーフィンが楽しいと思い始めたのですか?

川合選手 小学校5年生のときです。NSA(日本サーフィン連盟)で勝てるようになってきたんです。そのあたりから、勝つことが楽しくなってきました。全国に友達ができるようになったのも大きな理由ですね。試合会場に行けば友達に会えるじゃないですか。

―初めてサーフィンをした場所はどこでしたか?

川合選手 徳島市の小松海岸です。普段はほとんど波がない場所だったので、週末には高知県の生見海岸とかに行ってました。

―6歳から小学校5年生になるまでサーフィンが楽しくなかったというのは、嫌いな期間が結構長かったんですね。

川合選手 もちろんある程度は楽しいとは思いましたけど、自分の気持ち的に「やりたい」って本気になるまでは時間がかかりました。

―もともとサーフィンをさせたかったお父さんとしては、お母さんと一緒に美乃里選手が始めると言いはじめたのは「しめた!」と思ったのかもしれませんね。

川合選手 そう!しかもお母さんは3年でサーフィンを辞めちゃったので、お父さんの熱は全部私に向いたんですよ(笑)。

川合選手のお母様 小学校4年生のときに、NSAの全日本選手権に初めて出場したんですけど、それに向けて美乃里が練習を始めたら、私は映像を撮る方にシフトしちゃって。私が先にサーフィンを辞めて、それから美乃里が1人で波に乗れるようになったら、パパもビデオ係になりました。

川合選手 サーフィンだけだったらまだよかったんですけど、スケートボードもやらされていたので…。

―やらされていた、という感じだったんですか?

川合選手 はい、完全にやらされていました。サーフィンと同じ6歳のときに始めて、中学校に上がる前までやっていました。そのころはスケボーが毎日の日課で、サーフィンよりもやってましたね。学校から帰ってきたら、波がないからそのままスケボー。

―スケーボードで陸トレして、その成果を週末にサーフィンで発揮していたということですか?

川合選手 そうです。波があっても、スケボーでのトレーニングはやっていましたよ。夏だと20時くらいまで明るいじゃないですか。波があったら日没までサーフィンして、そこから室内でスケボーを22時までやるんです。わけもわからずスケボーの試合にも出場させられましたし(笑)。

スケボーはコケると痛いじゃないですか。私はそこまでプレーで攻められなかったし、ひどいケガをしたらサーフィンができなくなるから辞めました。

―サーフィンとスケートボードのどちらを取るか、天秤にかけることはありましたか?

川合選手 それはなかったです。というか、地元にあったスケボーショップがなくなったのも、やらなくなった原因でした。自分にはある意味ありがたかった(笑)。

―スケートボードは今でもできますか?

川合選手 ある程度は。昔に比べたら全然できないです。ただ滑って、少し技ができる程度。オーリーはギリギリできるけど、ストリート系は無理です。ケガをするから、という理由でお父さんが私にストリート系をやらせなかったですね。

―お父さんの考えとしては、あくまでもサーフィンのためのスケボーだったのですね。

川合選手のお母様 今でもたまに言いますよ、「スケボー、せぇへんかなぁ」って(笑)。

 

2度と同じ波が来ない奥深さ

川合美乃里 サーフィン

―川合美乃里選手にとって、サーフィンの一番の魅力はなんですか?

川合選手 えぇ〜っ、なんだろう…。いろいろあるけど、やっぱり同じ波が来ないことなのかなぁ。ウェーブプールもやったけど、どうしても飽きちゃう。反復練習にはなりますけどね。感動を味わえないっていうか。

サーフィンをやっていると「あぁ、今のよかったぁ!今日一番の波だった」って感じることがあるじゃないですか。でも、ウェーブプールだと待てば絶対に波が来るので。「同じ波がいっぱい!」っていううれしさはありますけどね。海でやるサーフィンには、やっぱり幸福感があります。

―今まで乗った中で、一番よい波をウェーブプールで作り出せて、何本も乗れるとしたらどうでしょう?

川合選手 えーっ!わざわざその土地にまで行って、たまにしか来ない波に乗れるから魅力を感じるのに、何本も乗れるとなると、なにに魅力を感じるのかわからなくなりそう。飽きてやらなくなる気がする。私は「行ってよかった」「また行きたい」って思いたい。

 

サーフィンが楽しいと思えるように

川合美乃里 サーフィン

―ちなみに、一番よかった波はどこですか?

川合選手 オーストラリア・ゴールドコーストのスナッパーが一番よかったですね。長く乗れるし、私がレギュラーフッターだから。あと、上手い人もいるし。あの混雑の中から波を取る楽しさもあるし(笑)。「よし!頑張ったぞ!」みたいな。

―根っからのコンペティターですね(笑)。では、サーフィンのキャリアのなかで、ターニングポイントとなった出来ごとはどんなことでしょうか?

川合美乃里 サーフィン

川合選手 今、WSL(ワールドサーフリーグ)のCT(チャンピオンシップツアー)に上がるためのツアーがCS(チャレンジャーシリーズ)とQS(クオリファイングシリーズ)に別れたじゃないですか。でも、新型コロナが流行する前はみんなQSを回っていて、私も回っていました。

千葉県の一宮町で、2017年に開催されたQS3,000で優勝して、必然的にQSを回れるようになって。ある程度成績を残していたので、上位の方で回れていたわけですけど、新型コロナが流行する1年~1年半前くらいから海外で勝てなくなってきて。そもそもいい波に乗れない状況が続いてたんです。

とりあえず、波に乗れば勝てるっていうヒートもあったんですけど、負けすぎていろいろな感情が沸き起こっちゃって。そもそも試合会場に来るまでにお金かかってるし、「また負けたらどうしよう」って思うようになったんです。

それまでそんなことはまったく思わなかったんですよ。本当に病んでるというか、サーフィンを辞めたいって思うくらいになって。お父さんにもいろいろ言われましたね。

川合選手のお母様 シーズン最初の試合会場だったオーストラリア遠征に向かう瞬間、まさに「さぁ行くぞ」っていうときに、ね。

川合選手 なにか変えないといけないと思って、試合前の練習を多く取ろうとゴールドコーストに行くことにしたんです。

川合選手のお母様 出発当日に「勝たないと、来年はツアーを回れなくなるぞ」って言われたんですよ。

川合選手 それは本人が一番わかっていることじゃないですか。しかも親のお金で海外を転戦しているわけじゃないのに。

でも、実際にゴールドコーストに行ったら結構楽しくて、サーフィンも変わったんです。そうしたら、コロナの影響で試合がなくなって、試合から離れられて。友達と遊んだり、普通に楽しくサーフィンする時間を過ごせたりしたんです。

それで、自分が好きになってやってることに対して、ここまで追い詰められて、辞めそうになるくらいにまでになるのは「絶対におかしい、サーフィンをもっと楽しんだほうがいい」って思うようになりましたね。180度考え方が変わったというか。前まではコンペだけだったので。

コンペで遠征しても、行った国で楽しむことはなかったし。あんなにいろんな国に行ったのに、観光さえしてこなかった。でも、今年はインドネシアのニアスやクルイに行ったけど、負けても「せっかく来たんだから、その土地のことを理解したり楽しんだりした方がいい」って思えたんです。

川合美乃里選手がサーフィンを始めたきっかけや、サーフィンに対する意外な感情などを聞いた今回のインタビュー。決してポジティブではなかった始まりでしたが、サーフィンの魅力に気づいたという話になりました。さて、この続きはvol.2で展開予定です。川合美乃里選手のキャリアや目標について伺っていくのでお楽しみに。

ライター

中野 晋

サーフィン専門誌にライター・編集者として20年以上携わり、編集長やディレクターも歴任。現在は株式会社Agent Blueを立ち上げ、ライティング・編集業の他、翻訳業、製造業、アスリートマネージング業など幅広く活動を展開する。サーフィン歴は30年。