アルパインチーム『ギリギリボーイズ』
1977年生まれの天野和明さんは、明治大学体育会山岳部を経て、アルパインスタイルで世界の8,000m峰に挑戦していきます。
無酸素でのヒマラヤガッシャーブルムⅠ峰、Ⅱ峰やアンナプルナ、とくにヒマラヤのローツェでは日本人初の無酸素登頂に成功し、国内外で注目されていきます。
そんな天野和明さんが最小限の精鋭チームで挑むユニット名が「ギリギリボーイズ」。嶮しく困難な世界の山々に、必要最低限の装備で登頂を目指すアルパインスタイルにマッチした名称です。「ギリギリボーイズ」は、固定したメンバーの集団ではなく、天野さんをはじめとしたアルパインスタイルを貫くクライマーたちが、その都度用いる登山ユニットのチーム名です。
もともとは、日本人クライマーの山田達郎さんと佐藤祐樹さんが、ニュージーランドにあるクック山へのチャレンジの際に使用したのが始まりだそうですが、現在はアルパインクライマーの憧れのユニット名となっています。
ギリギリボーイズの名付け親でもある山田達郎さんは、2008年マッキンリーで井上祐人さんと共に遭難し、帰らぬ人となってしまいました。
「ギリギリ」という軽妙な言葉に、アルパインスタイルの過酷さと何事にも代えられない達成感、その背景にある命の尊さが表されているのではないでしょうか。
アルパインクライミングとは
天野和明さんがこだわるアルパインスタイルとは、最低限の装備で人間の力を極限にまで高めた登山方法です。
8,000m峰などの困難な高所登山は従来、極地法と呼ばれる安全性と成功率を高める登山方法を中心としていました。
現在でも多くの登山パーティーや公募隊で用いられる手法ですが、登頂までの時間や予算が多くかかり、大量な人員を投入するため、ゴミ問題などの環境破壊が問題視されています。
一方アルパインスタイルとは、最低限の装備、人数で登頂を目指すため、時間が短縮でき費用も少なくて済みます。
しかし、高所ポーターやシェルパの支援を受けず、酸素ボンベや固定ロープなどの設備も持たないことから、天候変化などにより足止めされた際の命の危険が高くなってしまいます。
ベースキャンプから出た後は下界の接触を断ち、一気に登頂を目指すアルパインスタイルは、クライマーの卓越した技術と経験、危機管理能力が試されます。
酸素も薄い高峰での静寂の中、限界に挑戦して登頂した達成感は、極地法では得られないアルピニストとしての至福の瞬間なのだと思います。
アルパインクライマー天野和明
天野和明さんは、ヒマラヤ山脈のローツェに日本人として初めて無酸素登頂に成功したほか、世界の8,000峰6座で無酸素登頂を果たしています。
またアルプスや世界の高峰で未踏破ルートへの挑戦も無酸素のアルパインスタイルで成功するなど、日本人アルピニストとして確固たる評価を得てきました。
現在、開校から携わっていた石井スポーツ登山学校の講師をはじめ、地元である甲州市で富士山ガイドを務めるなど、後進の育成や登山人気の拡大に力を注いでいます。
国立登山研修所、日本山岳会青年部などにも所属し、講師や指導員を務めるほか、甲州市の観光大使にも任命され、多方面で活躍されています。
世界に認められたクライマー
2008年、天野和明さんは、アラスカをはじめとした世界の山々で、トップクライマーとして実績を誇る佐藤裕介さん、一村文隆さんと「GIRI GIRI BOYSカランカ峰登山隊2008」を結成し、インドにあるヒマラヤのナンダデビに挑みます。
ナンダデビは、標高6,931mの東峰カランカ、西峰標高6,864mのチャンガバンの双峰を持つ山で、ヒマラヤでもその美しさが際立った存在です。
20世紀初頭から数多くの登山家がこの山に挑み、登頂してきましたが、カランカ北壁からの登頂だけは人間の侵犯を拒んできました。
天野さんを含めた「GIRI GIRI BOYS」の3名は、難攻不落のカランカ北壁からの登頂を、アルパインスタイルでの初登頂に成功します。
途中、天候の悪化に見舞われ、5日間の行程予定が倍の10日間に及び、最低限の装備しか持たないアルパインスタイルには、食糧不足などの過酷な状況に陥りましたが全員無事に下山します。
この快挙が世界的にも認められ「第3回ピオレドール・アジア」並びに「第17回ピオレドール賞」を共に日本人として初の受賞に輝きます。
アルパインクライマー天野和明の名前が、歴史に刻まれた受賞でした。
ライター
Greenfield編集部
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