安心してスケートボードを教えるモデルケース作り
ーパート2もまずは読者の方たちに協会の概要説明からお願いします。
一般社団法人という形をとって、スケートボードを通して社会貢献をしている団体で、皆さんからはAJSA(ALL JAPAN SKATEBOARD ASSOCIATION)という略称で親しまれています。
メインの発信事業はもちろんコンテストの開催なのですが、世の中のスケートボードに関する問い合わせにも数多く対応しています。今回お話するインストラクター講習会ももちろん協会の大切な業務のひとつになっています。
ーそもそもなぜインストラクター講習会を始めようと思ったのですか?14年前にスケートボードスクールをやっているところはほとんどなかったと思うのですが。
スケートボードを“安心”して教える事ができるモデルケースを作りたかったからです。今でこそスケートパークは全国各地に建設されていますが、当時はまだストリートで滑るものだという、学校体育とは明らかに違うスタイルだった時代であり、学校体育的な伝承の仕方は難しかったんです。
それでも全国各地でシーンは着実に育っていて、どの地域にもスケーターが集まるスポットが必ずあって、そこを守る人も存在していました。そういう人とインストラクターをやってくれる人が近かったんです。
でも教える場所はあくまでスポットでしかないといいますか、スケートパークのような体裁をとっていて地域から認められていても公的にはグレーな場所も多かったんです。そんな状況を改善するための策のひとつがインストラクター講習会と公認インストラクター制度だったんです。
あとは当時のスケートボードシーンは今以上に小さな村社会でした。競技人口がが増えてきても、昔の職人と同じでスキルは見て盗むものだという認識が強い世界だったんです。
YouTubeもない時代にコマ数が少ないシークエンス写真を見て、イマジネーションで技を覚えていくのが楽しかった部分ではあるのですが、2000年あたりからビデオも雑誌も多くリリースされるようになり、それに乗じて人も増えてきて、同時に少しでも早く上達したいという人が増えるようになってきました。
でも教える人間がいないことにはシーンの発展は望めません。そこで、これからは言葉でスケートボードを伝える人が必要になるだろうな、インストラクター需要は将来必ず起こるなという予感がしたというのもありますね。
ーただそういったイメージを覆すには制度の確立だけでは難しい部分もあったのではないでしょうか?
はい。当時、実際にスポットの管理をやっていた人は、一般の親御さんからしたらちょっと怖そう……、というイメージがある人が多かったと思います。
もちろん知り合ってしまえばどの人も悪い人ではないんですが、なかなかとっつきにくい部分があったのは事実ですね。ただそういう人は個性が強く、人を惹きつける魅力も同時に持っていたんです。
だからそういう人達がゴミ拾いをしたり、インストラクターとして子ども達に物事を教えたり、お祭りの時にデモをやってたりといった、日本に古くからある基本的なことからやらなければダメだと思ったんです。
こういったことはスケーターを育んだストリートカルチャーとは、ある意味真逆のようなことかもしれませんが、それらをやっていかなければ滑る場所は守れませんし、人口も増えませんし、もっと上を目指すスケーターが今のように食えるような世界になることなんて到底手の届かない話になってしまうと思ったんです。
だからそういったところに理解を持って、賛同してくれた地方のショップオーナーさんとかスケート担当の人達が、皆で一緒に盛り上げていこうと動き始めたことで徐々に状況が好転していきました。
今のAJSAのジャッジやスタッフをやってくれている人達は、その時に一緒に盛り上げてくれた人達が中心になっているんです。彼らのおかげで、今の全国各地に行き渡るコンテストシステムができ上がったので、そういった背景が協会自体にもあるんですよ。
オリンピック競技採用で参加者が急増
ーすごく良い話ですね。では講習会を始めた当初はどのような様子でしたか?
最初は14年前、2007年の2月に始めたのですが、杉本瑛生や渡邉裕磨といった当時の有名キッズスケーターの保護者の方の参加がほとんどでしたね。
まだスクールというものが世の中にはまったくといっていいほどなかった時代だったので、親御さんが教えなければならなかったという部分はあると思います。その時に間違ってはいけないという形で受けにきていました。
こちら側も最初はアキ秋山さん、カツ秋山さんという業界の方なら誰もが知るレジェンドを講師に招き、アキ秋山さんが考えた、スケートボードをまたいで、そこから乗って、プッシュして止まるという「スケボー体操」を基本にスタートさせました。
その後は基本的に最初の形を大きく外さないように進化させていき、近年は東京の城南島で大規模なスクールを長年行っている冨田誠との掛け合いでやっています。1時間があっという間に感じられるように、肝となる部分を重点的に共有することを心掛けた構成にしています。
ー今までの開催回数や参加人数などはどれくらいなのでしょうか?
すべてインタースタイルでの開催になるので、2007年から2015年までは年2回、2016年からは年1回のペースで行ってきて、今までで通算25回開催しています。
でも最初は10人いれば良い方でしたね。ただスクールが世の中でメジャーになっていくにつれて参加人数は徐々に増えていきました。そして東京オリンピックの追加種目に選ばれた翌年の2016年でグンと増えて、正式決定した翌年の2017年で初めて満席になりました。
今年はコロナ禍で参加人数は少なかったですが、それまでは毎回40人くらい来ていて、ほぼ満席という状態でした。
乗り方以外の重要点も共有
ーでは講習会の具体的な中身を教えていただけますか?
とにかくスケートボードは乗らないことには始まりません。スタンスを決めて、乗って進んで止まって降りるまでを参加者の皆さんと”共有”しています。跳んだり回したりというのはまた別の話になります。
ただ、正しくスタンスを決めるにしても何通りか方法はありますし、それが100%当てはまるかといったらそんな事はありません。
そういうファジーなところが多々あるのがスケートボードの特徴のひとつなので、その中で進めていくにはというどうすればいいの!? という疑問に対して間違いのない情報をいくつかお伝えしています。
そうすることで、教える側もいろいろなアプローチができるので、幅が広がるというわけです。
スケートボードは、正しくプッシュして、正しく曲がって、正しく止まるという基本をしっかりと丁寧に教えてあげないと、すぐにつまらなくなって皆さん辞めてしまうので、そうならないようにするために多くのパターンを共有することはとても大切なんです。
ーではそのような方法論以外の部分で、受講者の方々と共有していることはありますか?
もちろんあります。昨今のスクールは大人の参加はもありますが、子ども中心のスクールの方が圧倒的に多く、全国各地で盛んに開催されています。
そういう場では親御さんも必ず見ているので、言葉の使い方やジェンダー差別といったものにも注意を払わなければなりませんし、受講生のケガといった不測の事態にも対応しなくてはいけません。
なので保険の加入方法なども含めて総合的な視点で、スクールを円滑に進めるために必要な内容を、講習会には盛り込んでいます。
数を重ねるごとに講習内容もアップデート
ー先ほど講習内容も常に進化させているとおっしゃっていましたが、どのようにして改良を加えていったのですか?
講習会を重ねていくと、自分達にとっては当たり前のことでも、意外と地方の人たちにとっては、そうではないという事があるんです。それを私たちが皆さんと共有することで、それぞれがそれぞれの地元に持ち帰って実践してくださっています。
ただ私たちはこうしてくださいと教えているわけではないので、そこから皆さんが自らのスクールを通じて発展・応用してくれているんです。
そして、それをまた皆で共有することで協会にもいろいろな統計が溜まっていきます。その情報を元に講習内容をアップデートさせているというわけです。
なので数を重ねるごとに中身の確実性も着実に上がっていきますし、多くの指導パターンが確立されていきます。そうすることで時代に合わせて進化させていくことができるようになります。
ーそれでは今年の講習会はどのような内容でしたか?
今年も今までと基本的には変わりません。今まで全国各地から集まったいろいろな先生方との共有事項は、主としてこんなことでしたというのをお伝えしました。今年もまたひとつ数を重ねたことで、得た感想を来年にフィードバックしていきたいと思っています。
スケートボードスクールはまだ歴史が浅く、こうしなくちゃいけないというインストラクターマニュアルというのは存在していないのが現状です。そこは協会として作らなけれないけないかもしれませんが、スケートボードの持つ特性上なかなか作れないというのもあり、このような形で細く長く続けているんです。
スクールが盛んになるにつれて発生したこと
ー回数を重ねるうちに講習会の参加者の顔ぶれにどのような変化がありましたか?
2010年代中頃から徐々にスクールの重要性がわかってきて、トッププロだった人の参加も見られるようになってきました。
今は個人スクールが当たり前になりましたけど、まだ当時も藁を掴むような感じではあったので、そういったプロ達もにもピンときていなかったところがあったのではないかと思います。
だからそれを確認するような感じの中で、皆さん自分を見直すために、最近のスクールはどんな感じなんだろうという思いで受けにきていたのだと思います。
ーでは講習会を経て実際にインストラクターとして活躍されている方にはどのような方がいらっしゃいますか?
トッププロとしての実績がある有名なところだと、荒畑潤一なども受けにきていました。それと大会ジャッジでおなじみの亀岡祐一なども着実に実績を積み上げていて、個人スクールを職業としています。
ただそういった人物が増えることによって、生まれてくる弊害もあります。スクールをやっていると、公共の施設なのにお金の受け渡しを行っている輩がいるだとか、そういった根拠のない苦情投稿が役所に届くようになったという事例も発生しています。
しっかりとした私営のスケートパークでオフィシャルでやっている場合は問題ないのですが、一般の方々も利用する公共施設ではそういった人がいるのも事実なので、スケートパークの中には個人が営業目的でスクールをやることを禁止しているところもあります。
そういった部分も講習会で受講者の皆さんには伝えるようにしています。今は教える側もいろいろなところに気をつかわなければいけない時代になりました。
これからもいい畑を耕し続けたい
ーこの講習会の今後の方向性を教えていただけますか?
パート1でお話させていただいたスケーターがアメリカに旅立っていくのと同じで、日本においてスケートボードスクールの講師というものが、立派な職業として成立するようになれば嬉しいですね。
それもただ生活ができるというレベルではなくて、戸建てを手に入れて子どもを大学まで行かせられるくらいにまでなれば、ひとつのゴールなのかなと思います。
それに今はスケートスクールも学習塾のようにチェーン店化が考えられていると聞きます。そこには様々な専任講師がいて、どのようにして効率的に受講できるようにするのかというシステム化も進められているようです。
実際に関西にはPSJ SKATEBOARD ACADEMYというものもありますし、もう協会が仕切る時代でもありません。この講習会から得たものを各々がさらに発展させて、事業運営できる人が少しでも増えてくれたら嬉しいですね。
ー色々とお話を伺わせていただきどうもありがとうございました。最後にこれからの協会全体としての活動方針を伺わせていただけますか?
基本的には今までと変わらず時代に合わせて必要なことを取り入れていきたいと思います。AJSAが掲げる座右の銘に、「とにかくいい畑を耕す」というのがあります。
今まではコンテストシステム構築という名の土壌を長年かけて耕してきました。そこにメーカーやショップの人たちが種を植えて育ててくれたことで、今やどんどん素晴らしい選手が生まれ、世界というマーケットに出荷しています。
そして、それはインストラクターも同じです。野菜(生徒)によって育て方は違うので、そこは農家(インストラクター)に任せれば良い。我々はそういう農家(インストラクター)たちが活躍できる土壌をこれからも耕し続けていきたいと思っています。
農家が育てている野菜にスポンサーという名の強力な肥料を与えることで、立派な実が多くできれば嬉しいですね。
このやり方は例え古いといわれても今後も変える気はありません。抽象的ではありますがそのような例えで締めさせていただければと思います。どうもありがとうございました。
ライター
吉田 佳央
1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。