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東京五輪の延期は、伸び盛りの年齢にある選手にとっては大きなアドバンテージになる可能性があります。現在、国内で2番手につける中学生の織田選手。今後の日本スケートボードシーンを背負って立つであろう織田選手を取材しました。

 

習い事から始めたスケートボード

スケートボード 織田夢海

ーまずはインタビューに際し、自己紹介からお願いいたします。

織田夢海(おだゆめか)です。14歳で中学2年生のスケートボーダーです。スケート歴は7年くらい。2019年に2戦行われた全日本選手権で、共に3位と表彰台に上がれたことで強化指定選手に選んでいただきました。

その後は海外でもDew Tourで5位に入賞したり、STREET LEAGUEも2回決勝に進出して8位を獲得できました。現状の世界ランクは11位なんですけど、もっと順位を上げられるように頑張っていきたいと思っています。

ーではスケートボードをはじめたきっかけから聞かせていただけますか?

ちょっとだけなんですけど、じつは最初はスノーボードをやっていたんです。ただ1年中できるものではないですし、オフシーズンになるとやることがなくちゃってたんですよ。

そんな時にたまたま家の近くにThe Dog Bowl Nagoyaというスケートパークがあったので、そのスクールに通うところからはじめました。

最初はよくある子どもの遊びというか、一般的な習い事のような感じでやっていたんです。その流れで「ウチのパークで大会やるから出てみなよ!」と、いわれたことがきっかけでローカルコンテストから徐々に出るようになっていきました。

ただ当時から今のようにストリートをやっていたわけではなくて、The Dog Bowl Nagoyaという名前の通り、最初はランプしかやっていませんでした。他にも家の近くにあるパークがHi-5というパークスタイルに特化した施設だったので、自然とそういったアールのコンテストに出るようになっていったという感じです。

ただ、当時は7歳とかで当然今のような脚力はないので、そういった体格差が出づらい種目で、スケートボードに乗り慣れることができたのは大きかったと思います。

 

オーリーをマスターするまでの道のり

スケートボード 織田夢海

ーご両親もそういった横乗りカルチャーに精通していた方だったのでしょうか?

いえ、両親は私がスケートボードをはじめるまでは全く興味なかったみたいです。

私の場合ははじめたばかりの頃から周りに年上の優しいお兄さん達がいたのと、当時私と同じようにはじめたばかりの友達のお父さんがすごくスケートボードに詳しくて、いろいろなことを教えてもらったからどんどんスケートボードが楽しくなっていったんです。

ーコンテストはランプから出始めたとのことですが、それはスケートボードをはじめてどれくらい頃ですか?

1年にも満たない頃です。オーリーすらまともにやったことないくらいのレベルでも出てました。ただストリートもその数ヶ月後くらいから出るようになったんです。

毎年春になるとAJSAが開幕してシーズンインするので、そこで一緒に練習していた友達のお父さんから、「せっかくなら出てみれば? 」と声をかけられたんです。

最初はそれまでランプしか滑ってこなかったし、種目も違うのでどうするか迷ってたんです。1回ストリートの練習しにいったら、大したことはできなかったんですけどすごく楽しかったので、まずは何事も経験だって思って出る決意をしました。

だからそこからコンテスト本番までの1~2ヶ月は、とにかく必死でオーリーの練習ばかりしてましたね。

ーそこからオーリーはどうやってマスターしたのですか?

私の場合はとにかく数です。毎日スケートパークには行けなかったので、家の裏にある広場でよくやってました。そこは特にスケートスポットというわけでもないですが、プッシュとかオーリーならスペースがあればどこでもできるので。

両親が連れて行ってくれる時はThe Dog Bowl Nagoyaまで行ってました。ココはランプやボウルがメインではあるんですけど、バンク to バンクとかちょっとしたストリートセクションならあるので、そこをひたすら跳んでたっていう感じです。

なので今でもよく回し技をよくやるのは、この時に自然と身についたスタイルなのかもしれないです。

そうやってストリートの楽しさに気づいてからは、とくに意識することもなくストリートばかり滑るようになっていきました。スクールもパークスタイル寄りではなく、ストリートの方をやっていたムラサキスポーツのものを受けるようになっていきましたし、そこで時折会うお兄さんたちに上達を喜んでもらえるのがすごく嬉しかったんです。

好きなことにはとことん没頭

スケートボード 織田夢海

ーその後コンテストで結果が出るようになってくるのに伴って、2017~2018年頃に織田選手の名前が広まったと思いますが、初めてコンテストで優勝したときはどんな気持ちでしたか? またなぜ勝てるようになってきたと思いますか?

もちろん嬉しかったですよ! でもなぜ勝てようになったのかといわれると、はっきりと思い当たるのはないんです。

両親がいうには結構な集中力があるみたいなんですよ。コンテストはよく見に来てくれるんですけど、「周りの声まったく聞こえなかったでしょ!? 」っていわれるんですよ。そこは確かに思い当たる節もあり、好きなことには没頭しちゃうタイプなんだと思います。

ーそれはスケートボード以外でもそうなのですか?

どうなんですかね!? でもスケボー以外は、どこにでもいそうな普通にわちゃわちゃしてる感じですよ。

スケートボードをしてると運動神経も良さそうに思われるかもしれないですけど、じつは体育ではビックリするくらい足が遅いんです(笑)。それに勉強も全然集中できません(笑)。

本当に楽しいことしか集中できないんです。だから、それだけ私はスケートボードが好きなんだって思います。

 

小学6年生で教本の講師に

スケートボード 織田夢海

ー織田選手は2018年に『小学生のためのスケートボード ゼロからわかる「技の教科書」』にも講師役として出演されています。この時のエピソードを聞かせていただけますか? 小学生で教本の講師になるというのは、なかなかないことだと思いますが。

ありがとうございます。でもこの時は撮影が真夏の鵠沼だったので、とにかく暑かった記憶しかないんですよね、日焼けがとにかくすごかったっていう(笑)。

でもそれ以上に反響もすごかったんです。監修していたのが現オリンピック日本代表チームの監督でもある西川隆さんなんですが、「この本はどこに出るんですか?」と聞いたら、図書館とか学校の図書室だよっていわれたんですよ。

ちょうど自分と同世代の人達が手に取りやすいところに置かれたので、出版されてからはいろいろな人から「見たよ!」 って声をかけられました。

私自身、普段はスケートボードばかりしていて図書館に行く機会はほとんどないので、世の中に出回っている実感はなかったんですけど、「どこで買えるの?」とかそういった周囲の影響はすごかったです。

小学生で本になるなんてなかなかないことだと思うので、そこは本当にありがたいなって思ってます。

小学生のためのスケートボード ゼロからわかる「技の教科書」はこちら

スケートボードへの取り組み方

スケートボード 織田夢海

ーその後、2019年には全日本選手権で上位入賞を果たして見事に東京五輪の強化指定選手入りしました。

ありがとうございます。この時ももちろん嬉しかったんですけど、正直なところ私は最初からオリンピックを目指していたわけではなかったんです。

もちろん行けたらいいなとは思っていましたけど。それよりも、まずはどれだけできるのかやってみようという感覚の方が強くて、とにかく目の前のコンテストを必死になってやってきたら結果が残せるようになったんです。

気づいた頃にはステップアップしていて、オリンピック出場を現実的に捉えられるようになってきたという感じなんです。

ー確かにそういう考え方もメンタルコントロールと言う意味では重要なことかもしれませんね

はい。私の場合はオリンピックのような遠い先を目指してしまうと、そこまでの過程も含めて余計に考えすぎてしまって、雑念みたいなものが生まれてしまうんです。だから毎回目の前のコンテストに全力で臨むことだけ考えてやってきましたし、その方が気持ちも楽なんです。

それにそのような感覚にも終わりはないと思っていて、私は一昨年に強化指定選手に選んでいただけたことで海外の大会という次のステップに進むことができました。すごくいい経験もさせてもらったことで徐々に結果が出るようになってきましたし、入賞したことで自信もついてきました。

でもまだ世界の舞台では表彰台も優勝の経験もありません。仮に優勝できたとしても連覇はもっと難しいと思います。そうやって、今後もひとつひとつステップを踏んでいけたらなって思ってます。

 

Profile:織田夢海(おだゆめか)
2006年10月30日生まれ。ホーム:愛知県名古屋市
スポンサー:DC Shoes、RIDERS FACT mozo、Grizzly Griptape、Fullon Eyewear、Skate Candy。
跳び・回し・擦りといったストリート種目のスケートボードにおける必要要素を全て兼ね備え、次々と高難度なトリックを繰り出す次世代筆頭株。小学校高学年で頭角を現すとその後も順調に成長を続け、現在の世界ランクは11位にまで上昇。国内では2番手ながらも、未来のトップの座を虎視眈々と狙う伸び代も十分なスーパー中学生。

【織田夢海】伸び盛りでの五輪延期でメダル獲得も視野に。期待の中学生スケートボーダー〜取材記Part1

【織田夢海】伸び盛りでの五輪延期でメダル獲得も視野に。期待の中学生スケートボーダー〜取材記Part3

スケートボードに限らず、一般的にマイナーとされるスポーツの分野で優れた成績を残すアスリートの場合、両親がその競技に精通していたというケースが多いのですが、織田選手にはそのような通例が当てはまらないようです。それでもここまで成長したのですから、いかにスケートボードが好きで、練習を続けてきたのかがわかります。取材記パート2では強化指定選手として臨んだ海外のビッグコンテストでのエピソードから、最近の活動まで伺います。

ライター

吉田 佳央

1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。