コーチ業とスクール業の違い
ーパート2も、まずは自己紹介からお願いいたします。
笹岡拳道(ささおかけんと)です。年齢は27歳で、スケートボードは小学校4年生の頃からやっているのでキャリアは20年弱になります。
AJSA(日本スケートボード協会)のプロ資格もありますが、現在はプロスケーターとしてよりも、愛知県あま市のHi-5スケートパークで行っているTRIFORCE SKATEBOARD ACADEMYのスクール、TRIFORCE MANAGEMENTというマネジメント会社の代表が主な活動となっています。
そこで次世代の育成をしながら、自分のところから世界へ羽ばたいていった、弟の笹岡建介と岡本碧優のコーチ兼マネージャーを務めています。
ーでは今回はコーチ業から聞きたいのですが、具体的にはどのようなことを行っているのですか? スクール業との違いも含めて教えてください。
かんたんにいうと、コーチングはメンタルなども含めてコンテストで勝つための総合的なサポートで、スクールは単純にトリックをメイクするためのサポートになります。
ただ、コーチの仕事って本当に多岐にわたるんです。例えばコンテスト会場に行って、周りのライダーの滑りを見て、これくらいの滑りならこれぐらいの点数が出るんだな、と分析もします。
さらには、本人の滑りを見ながら会場の特徴に合わせたトリックチョイスの提案もします。
その上で予選はこれくらい、準決勝はこれくらい、っていうルーティーンも考えます。
やはり予選から自分の100%の滑りをして、決勝まで全部同じトリックだと当然点数は下がりますし、リスクのあるトリックにトライしてミスをしたら点数はガクンと下がってしまうので。
建介や碧優の持ち技やメイク率は理解している分、準決勝まではノーミスで滑り切るランを提案したりとか、そういった戦略を考えるのも自分の仕事です。
あとはコンテスト会場のセクションの特徴分析も大切ですね。いざ会場に行くと、いつもならかんたんに出来るトリックでも、アールが違う、コーピングが違う、大きさが違うなどがあって思い通りにいかないということもよくあります。
「ここはコーピングが出てるから跳ね返らないようなエアーをしないとダメだよ」とか、そういったアドバイスも行ってますね。
とにかくライダーには滑りだけ、トリックのメイクだけに集中してもらいたいので、そうやって余計な不安を取り除いてあげるんです。
スケボー界のゴッドハンド
ー笹岡さんのようにコーチング業がひとつの仕事になった背景には、オリンピック種目採用が大きなきっかけになったと思いますが、実際にはどんな影響がありましたか?
単純に人が増えたなと思いますね。オリンピック競技採用によって自分たちがいろいろなメディアに出るようになったのもあると思いますが、純粋にスケートボードをやりたいという子が増えて、スクール生も増えました。
実際に僕のスクールでは、一番遠いところでシンガポールから受けにきた子もいました。
これはVANS Park Seriesのアジアコンチネンタルに建介と碧優を連れて行ったときのことなんですけど、アジアでは男女とも日本の実力が飛び抜けているんです。
そうなると当然、「あの子は誰が教えているんだ!? 」という話になりますし、そこで自分の名前が出てきたら、「ぜひ私の息子にも教えてほしい! 」ってなるんです。
その滞在期間中は2人がパークにくる前に教えていました。「次はぜひ日本でも受けたい」といってくれたので、わざわざシンガポールから自分のところまで来てくれたんです。指導者としてすごく嬉しい出来事ですよね。
あとは日本人ではあるんですけど、オーストラリアにいる子も教えてますよ。ただ今はコロナ禍でなかなか日本には帰れないので、動画を送ってもらってそれを見ながらオンラインで指導しています。国内に目を向けても北海道からも来てくれた人もいるし、神戸や滋賀からは毎週来てくれる人もいるんですよ。
ーそれはすごいですね! 笹岡さんのスクールはそこまでしてでも受ける価値があるということなんですね。
そうやって言ってくれるのはありがたいですが、自分が凄いというよりも、スクール生が頑張ってちゃんと成長してくれたおかげだと思っています。
自分は普段Hi-5にしかいませんし、他の方のスクールを見る機会がなかなかないのではっきりしたことはいえないですが、スクール生が遠方に滑りに行くと、「なんでそんなに上手いの!?」「一体誰に教えてもらっているの!?」という話によくなるみたいで、そこで自分の名前が出るようなんです。
自分は自らのスクールに広告費はかけたことがないので、そうやってスクール生からの口コミで広まって、受講者が増えて広がっていきました。なので噂が巡り巡って、関西では自分のことをゴッドハンドといってくれてる人もいるみたいです。(笑)
この記事を書いた人
吉田 佳央
1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。