盲目でありながらもスケートボードに真摯に打ち込んでいる大内龍成さん。彼は日本のブラインドスケーターを代表して競技としての確立やシーンの底上げのために尽力しています。締めくくりとなる今回は、そんな彼が思い描く未来像と、そこへ向けたプランを中心に語っていただきました。彼の芯の強さを感じてください。
 

スケーターを治療できる仕事

ブラインドスケーター・大内龍成

ー最後となるパート3もまずはインタビューに際した自己紹介からお願いいたします。

大内龍成。年齢は21歳でスケート歴は7年。あん摩マッサージ指圧師と鍼灸師の資格取得のために福島から埼玉に出てきて、今は学生をしています。

小学校一年生の頃に進行性の目の病気「網膜色素変性症」を申告されてしまい、その後高校生の頃に急激に進行したことで白杖(視覚障害者が日常生活で使う杖)を使わざるを得なくなってしまいました。

スケートボードは14歳の頃に始めたので、わずか3~4年で強制的にブラインドスケーターとしての活動を余儀なくされてしまったんです。

ーあん摩マッサージ指圧師と鍼灸師の資格取得を目指して学校に通われているとお話されていましたが、なぜその道を目指そうと思ったのですか?

まず第一に目が見えなくてもできる仕事というのが大きかったですね。あとはこの資格があればスケーターを治療することができるので、それってものすごく夢のある仕事だなと思い資格をとろうと思ったんです。

以前Greenfield企画でインタビューが行われていましたが、スポンサーのNESTA BRANDのチームメイトでもある中坂優太さんと考えていることは同じだと思います。ただ資格が違うだけで思考やアプローチは共通のものがあるかなと。
【中坂優太】プロスケーターから理学療法士へ〜論理的スケートボードスクール取材記①〜はこちら

自分のあん摩マッサージ指圧師と鍼灸師っていうのは筋肉とか靭帯とかに特化して治療を施すので、そもそもスケーターがよく抱えている腰の痛みとか足の違和感をとるには、ものすごく適しているんです。そういった意味でも専門学校に通っているのはスケートボードのためでもあるんですよね。

 

結果よりもその先に求めているものがある

ブラインドスケーター・大内龍成

ー現在はアパレルのNESTA BRANDやシューズのéSといったブランドからサポートを受けていますが、スポンサードされるようになったきっかけを教えていただけますか?

NESTA BRANDはチームのボスの米坂淳之介さんから、ある日突然メッセージが届いたんです。

自分が初めて観たスケートビデオが、当時あった専門誌の『TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN』に付いてきた『BACK IN THE DAYS 1977』と言う付録DVDなんですが、その一番最初に出てきたのが淳之介さんでした。一番最初に観たプロスケーターだったんです。

憧れの人だったので、そんな人から突然連絡が来たのはすごくビックリしたし光栄でした。NESTA BRANDも元々好きでハッシュタグをつけて投稿していたくらいなので、スポンサーの話をもらった時は即決でした。

éSに関しては自分からオファーもしたんですけど、地元の先輩で安田哲也さんというプロスケーターの方がいて、彼が長年サポートを受けているので、窓口になってもらいサポートが決まりました。

他にはImperialというデッキ(ボード)カンパニーからもスポンサードしていただいていますし、徐々にそうやって自分のことを認知し、活動を支えてくれるが増える企業やブランドが増えるのは、やっぱり嬉しいですよね。

ーところで今夏開催された東京オリンピックでは日本勢の活躍が目覚ましかったですが、それに関してはどう思いましたか?

当然活力になりますよね。堀米雄斗さんがって言うだけではなくて、日本人が金メダルを獲ったのは純粋に嬉しいし、大いに刺激を受けました。

前々から思っていたんですけど、自分もコロナが落ち着いたらコンテストも出場しようと思っているんです。2年前に「CHIMERA GAMES」という国際大会につながるコンテストには出たんです。

しかし、そこからはコロナ禍でなかなか出れるものがなかったので、来年はAJSA(日本スケートボード協会)の関東地区アマチュアサーキットなど出れるものから挑戦していきたいと思っています。

ただ、そこでのリザルトにはあまり興味がないんです。正直、日本のトップを目指している人と盲目の自分が同じ舞台で戦って勝てるとは思っていません。ただ自分っていう人間がここにいるんだよというのを証明したいんです。

周りの選手達がどれだけスゴいトリックをやろうが自分は一歩も引くつもりはありません。自分には結果よりも先に求めているものがあるので、やるべきことをやって、そこでやりたいことや伝えたいことが伝わればいいなと思っています。

ブラインドスケートボードの競技化と専用パークの建設

ブラインドスケーター・大内龍成

ーそのやりたいことというのが、ブラインドスケートボードの競技化になるのでしょうか? 実際今年はパラリンピックも盛り上がりを見せましたが、そこにスケートボードは採用されませんでしたし。

はい。もちろんそれもやりたいことのひとつです。ただ今は学生ですし、そこまで動けていないというのが現状なんですよ。

でも卒業したら全国の盲学校を回りたいと思っていて。事前にアポをとってOKが出たところに直接出向いて、スケートボードに乗ってもらい魅力や楽しさを伝えるのが目標なんです。

まだスポンサーに話をするとか、そういう段階にもきていないんですけど、そこでコンプリートデッキを寄付できたら盲学校の生徒達の始めるきっかけにもなるし、競技として広めることにも繋がると思うんです。

パラリンピック競技化まで持っていくとなれば、そこまでの道のりは長いですが、今はオリンピック効果で世間の気運も高まっていると思います。

なので、まずは自分のできることからコツコツとやっていって、その活動に対して賛同して手を上げてくれる企業さんが出てきてくれたら嬉しいなと思っています。

ーただその活動に関してはすでにモデルケースもあると伺いましたが?

はい。実際に自分の滑りを見てスケートボードを始めてくれた盲目の子が、すでに岡山にいるんです。

その子のお父さんも自分の活動に協力してくれていて、岡山にブラインドスケーターでも滑れる施設を造ろうと働きかけてくれているんです。

実現までの道のりは長いし大変だと思いますけど、ブラインドスケーターが集まれる拠点であり、なおかつ一般のスケーターも滑れるような拠点を構えることはなんとしても成し遂げたいです。

もちろん自分1人の力だけでは絶対に無理なので、タイミングになったら同じような考えを持っているダン・マンシーナにも話をして、お互い協力しながらやっていきたいと思っています。そのためにもアメリカに行って彼に会うという目標は絶対に達成したいと思っています。

ーそのブラインドスケーターが集まれる拠点というのは、一般のパークと比べて設計にどんな違いがあるのでしょうか?

セクション(障害物)とアプローチのスタート部分に目印となるものを設置するんです。各セクションにスピーカーを埋め込んで、音が鳴るようにし、その音の方向に滑ればセクションがあるからやり易いんです。

それにセクションごとに出す音楽を変えたり、スタッフが自由に音を出すことも消すこともできるシステムが整えば、一般の方との共存も可能だと思います。

あとは、セクションにアプローチする際のスタート地点となる箇所に、点字ブロックを敷くことも大切だと思います。まっすぐ進めばセクションがあるというのが点字ブロックで確認できるのは、些細なことかもしれないですけどブラインドスケーターにはものすごく重要なんです。

もちろん広範囲に敷いたらライディングのジャマになるので、正方形のパネル一枚をパークの端に置くだけで良いんです。

これらは街中を思い出してもらえばイメージしやすいと思いますが、市街地の横断歩道はだいたいどこも手前に点字ブロックがついています。横断歩道も信号が青になったら音楽が流れるところがあります。

これも視覚障害者のための措置なので、ブラインドスケーター向けのパークも原理はこれらと同じなんです。この2つの要素を各セクションごとに詰め込めたら良いですね。

 

パラ競技化における公平性の課題

ブラインドスケーター・大内龍成

ーパラ競技化には大内さんのようなブラインドスケーターだけでなく、フェリペ・ヌネス選手のような足がないスケーターまで障害が多様です。採点競技という性質を考えると、順位を付けてメダルを与える上での公平性を保つことに課題があるという指摘が目立ちますが、アスリートとしての意見も聞かせていただけますか?

自分は、そもそもハンドスケートとブラインドスケートボードは分ける必要があると思っています。正直フェリペ・ヌネス選手のようなハンドスケートは全然やってないし全くわかりません。もちろんハンドスケートもすごいなと思います。ただ自分はそれが見えないので、その事実がそこにあるのみというだけなんですよ。

だからそれらを一括りにして競技化するのは、はっきりいって自分も難しいと思います。ただブラインドスケートボードに限れば、ブラインドサッカーはすでにパラリンピックの種目になっていますし、可能性はゼロではないのかなと思うんですよね。

そのためにもまずは自分がブラインドスケートボードを競技として確立させて、それをモデルケースにハンドスケートとか他のハンディキャップ競技が生まれてくれれば良いなと思っています。

ーそうは言っても、同じブラインドスケートボーダーでも目の見え方は個人で違ってくると思います。そこで公平を保つにはどうすれば良いと思いますか? 実際にブラインドサッカーの場合は選手それぞれがアイマスクをつけて競技をしていますが。

そこは採点競技という体裁を取らなければ良いと思いますね。そもそもスケートボードは難しいですし、ひとつのトリックを覚えるにしてもかなりの数の失敗を経てようやくできるものです。

そうなると基本的にオリンピック会場のように面積が広くてバリエーションも豊かなパークで、ブラインドスケーターがオリンピック選手と同じルールで同じような使い方をするのは、先ほどのブラインドスケータ向けのパーク設計の観点からいっても難しいんじゃないかと思っています。

それにアイマスクをつけるにしても、昔の自分みたいに若干でも見える人がいたら、事前に会場のセクション配置が確認できるのでスケートボードにおいてはそれがものすごいハンデになってしまうと思います。

でもスケートボードには昔から馴染みのある S.K.A.T.E. GAME(※1)があるので、これであれば公平性を保てて勝敗をつけることができると思うんです。お題はフラットトリック(平な滑走面で行うボードを回すトリック)に限らず長いカーブボックス(長い箱型のセクション)やフラットレール(平均台のようなセクション)を用意して、それぞれが好きなセクションで得意な技を披露する形にすれば、バリエーションも豊かでシンプルにトリックの成功失敗だけで競いあうフォーマットになるんじゃないかと思うんですよね。

※1 親がお題(トリック)を出して成功したら子が同じトリックにチャレンジ。できなかったら1回につき1文字、「S」「K」「A」「T」「E」の順に文字が付く。親がトリックを失敗したら攻守交代で、「SKATE」(1人で5回ミス)になった人が負けというルールのコンテスト。ゲーム感覚で世界的に親しまれているスケートボード特有の競技ルール

 

自身の映像作品制作への想い

ブラインドスケーター・大内龍成

ーそのような競技化の動きの一方で、最近はハンデキャップを背負ったスケーターたちの映像作品も話題になっています。ダン・マンシーナ選手もいくつか残していますし、フェリペ・ヌネス選手に関してはパラリンピック直前のタイミングでフルパートを公開し、実在する海外の有名スポットでもフッテージを残したことが話題になりました。大内さんも自身のパート制作に意欲的だと伺っていますが?

もちろんです。シーンの確立には競技化もものすごく大切なんですけど、自分はカルチャーとしてのスケートボードも忘れないでほしいと思ってるんですよ。やっぱりスケーターならフルパート(自身のライディングを収録した映像作品)を残して、自分という存在をいろいろな人に見てもらいたいですよね。

こうやってメディアに取り上げていただけるところまで来たのなら、このまま黙って自分のスケート人生を終わらせるつもりはないですし、先ほどお話させてもらった活動を実現させるには新たなスポンサーも必要になります。

そのためにも自分の名刺がわりになるようなフルパートが必要なんです。自分には自分なりに刻んでるものがあるので、それはどんな形であれ近いうちに実現させたいんですよね。

ーただフルパート制作でストリートで撮影するとなると、ブラインドスケーターならではの苦労も多いのではないでしょうか?

やっぱり一回も行ったことがない、どういう状況かわからないスポットはリスクが大きいですよね。そこでガツガツ攻めるのは危険性が高いので、スポットをよく知るというのは一般のスケーター以上に大事になってきます。その時点で他の人より一段階ステップを越えなきゃいけないんですよ。トライしたことがあるスポットなら、ここからこう入れば大丈夫とかそういうのが感覚で残ってるのでやりやすいんですけどね。

ただ、そんなことでゴチャゴチャ言っても、結局はやるしかないんですよ。だから自分がやりたいことに対して今何が必要なのかを考えて、シンプルにそれを実行するだけです。今の自分にとってはそれが映像だと思っているので、できることをひとつずつ着実に進めていきたいんですよ。

 

病気に打ち勝ったと言えるドリームトリック

ブラインドスケーター・大内龍成

ーではそのパート制作はどんな状況なのですか? こんなスポット・トリックがやりたい、こんなものに仕上げたいなどの希望があれば教えてください。

まだこれからスタートするところです。埼玉に来て、ようやく近くで自分のパートを撮ってくれると言う人も見つかったんですけど、スケジュールの都合がつかなかったりで、なかなかサクサクと思うようには進まないんですよね。でも気合入れて頑張っていくつもりです。

パートの中身に関してはまだ漠然としてるんですけど、自分ができるトリックはなんでも出したいですね。逆にココでコレをやるんだ! って決め込んで自分の幅が狭くなるよりは、メッセージ性の部分も含めてフィルマーと話しながら決めていきたいんです。その方が伝わるところは大きいと思いますし。

ただそこにもひとつだけこだわりがあって、いつかは目が見えてた頃にやってた思い入れのあるスポットで、目が見えてた時にできなかったトリックと同じトリックをメイクしたいんですよ。それができたらある意味病気に打ち勝ったひとつの証にもなりますしね。

 

自らに言い聞かせている格言

ブラインドスケーター・大内龍成

ーそのスポットとトリックのストーリーだけでドキュメンタリービデオが作れそうですね。では締めくくりとして来年に向けての意気込みと、将来はスケートボードにどんなところで関わっていきたいか聞かせてください。

近い目標でいったらまずはやっぱりパートを残すことですね。そこから次に繋がっていくと思うので。そうした先の将来的な目標がブラインドスケートボードの競技化になります。そのためにも自分がアメリカに行ってダン・マンシーナやジャスティン・ビショップ達と行動を共にして、得たものを日本に還元することもはすごく重要になってくると思います。NHKの特集番組の話がうまくいったら良いですね。そこで手応えを感じてきたいです。

ーいろいろとありがとうございました。では最後に大内さんと同じ障害者の方やスケートボードを上達させたいという初心者にメッセージを。

自分が自らにいい聞かせている格言に「決して囚われるな、ただやるだけ」という言葉があります。

これは何事も自ら行動しなければ何も変わらないんだぞという暗示でもあるんですが、自分のように目が全く見えないのにスケートボードをすると言うことは、世間一般的には普通ではないかもしれません。でも自分はそうは思わないんですよね。

そもそも普通の概念は人によって違うと思います。もしやりたいんだったら、そこで自分の置かれてる現状に囚われる必要なんてないんです。「やってみろ! やってダメなら諦めがつくだろ。やってもないのに諦めたら後悔しか残らないぞ。だからやるだけなんだ! って常に言い聞かせてるんです。

自分は視力というものを失ってしまったからこそ、物事にチャレンジできることのありがたみを身を持って感じています。これは身体障害者に限らず健常者の皆さんにもいえることだと思うので、どんどんチャレンジしてください! どこかで会ったら一緒に滑りましょう。どうもありがとうございました!!

 

ブラインドスケーターとして活躍する大内龍成さんのインタビューはいかがだったでしょうか? 今回のインタビューを通じて、彼からは盲目でも健常者と同じ生活ができるんだということを証明するかのようなパワーを感じました。改めて人間には無限の可能性があるのだなと思いますし、例えハンディキャップを抱えようとも懸命に前を向き、進み続けるその姿勢は、健常者の方の多くの心も突き動かすものだったのではないでしょうか。これからの彼の活躍を心より応援したいと思います。

ライター

吉田 佳央

1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。