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今やスケートボードスクールは全国で盛んに行われています。その中でも中坂さんのスクールは、規模は小さいながらも有名選手を複数輩出し、県外から足繁く通う人もいるほどです。今回は、理学療法士でありスケーターである中坂優太さんについての取材記をお送りましす。

プロスケーター × 理学療法士

スケートボード 中坂

ーまずはインタビューに際して簡単な自己紹介からお願いいたします。
中坂優太です。年齢は36歳でスケート歴は22年です。現在の活動はスケートボーダーとしてなるべく現役で活動しながら、理学療法士として病院にも勤めています。

特徴としてはスケートボードと理学療法双方の知識と経験を融合させた独自理論のスクールを行ったり、運動学に基づいたオリジナルシェイプのデッキ開発、さらにPCIS(Physical Care Insol Skateboarding)という名前でオーダーインソールも作っています。

その他にも静岡県スケートボード協会運営に携わりながらイベントの運営やコンテストジャッジなんかもしながらシーンの底上げをしています。

ープロスケーターとしてのキャリアもお持ちですが、若かりし現役時代の実績も教えていただけますか?
2007年、2008年と2年連続で「éS Game of S.K.A.T.E.」(※1)というコンテストで優勝して、日本代表としてアメリカで行われた世界戦に出場した経歴があります。また当時唯一のスケートボード専門誌だった『TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN』の表紙にも一度選んでいただきましたし、映像作品では『.MOV』と『SHIZUOKA UNITED』という2つのビデオにフルパートという形で出演させてもらっています。

どちらの作品もYouTubeにアップロードされているので、まだご覧になっていない方にはぜひ観ていただけたら嬉しいです。

※1 親がお題(フラットトリック)を出して子がチャレンジ。できなかったら1回につき1文字、「S」「K」「A」「T」「E」の順に文字が付く。親がトリックを失敗したら攻守交代で、「SKATE」(1人で5回ミス)になった人が負けというルールのコンテスト。シューズブランドのéSが主催して世界的に広まり、今やゲーム形式で世界的に親しまれている。

 

理学療法士を志した理由

中坂優太(プロスケーター / 理学療法士)

ーその一方で理学療法士として顔も持ち合わせていらっしゃいますが、お仕事に就かれたきっかけは何だったのでしょうか?
直接のきっかけは母が病気によって重度障害を負ってしまったことです。でも当時は病気の事ことがまったくわからないことから不安が続き、何かをしようにも何もしてあげられませんでした。

自分の知識の無さが情けなく感じ「今こそ親孝行をするときだ」と、一念発起して28歳で脱サラして医療専門学校へ3年間通うことにしたんです。サラリーマンから学生になるのはすごく悩みました。

当時の仕事を辞めて、学費から生活費までお金の面も大変だったので、車など売れるものはすべて売りました。この学生期間は勉強が本当にハードな上、プロスケーターとしても現役で続けていたんです。

先ほどお話した『SHIZUOKA UNITED』のパート撮影もこの時期にしていました。なので、あのパートは8日間で撮りきったんです。そんなこともあり、国家資格を取得するまでの3年間は今までの人生でもっとも激動の時期だったと思います。

なので、きっかけ自体はスケートボードとは関係ないんです。ただ勉強するにつれ自分の中で相互関係が生まれて、今はこの両方を極めることは自分にしかできないことだと思ってます。

ステップアップした新たなスケートボードとの関わり方を見つけることができたので、必然的にスクール活動に力が入っていきますね。

リハビリとスケートボードのアプローチの関係

中坂優太(プロスケーター / 理学療法士)

ー理学療法士としての仕事は普段どんなことを行っているのですか? また理学療法士にもぞれぞれ個人で得意分野などが分かれると思いますが、中坂さんがもっとも得意とされているものはどのようなことでしょうか?
主に医師の指示でリハビリをしていて、典型的な腰痛・膝痛のある人だったり、高齢者の方はもちろん、指定難病の人を診ることもあります。

疾患は多岐に渡りますが、歩行分析はよくしています。分析した後はそれぞれ患者さんの特徴に合わせて必要な運動を教えたりしています。

得意分野というと、個人的に足を勉強することが好きだったこともあって、2016年にシューフィッターの資格を取得しました。とくに運動器疾患が得意で、運動療法やインソールでアプローチしたりしています。

病院での患者さんの痛みの原因とそれに対するアプローチを考えること、スケートボードで技ができない原因を考えることは、どちらも身体の動きを分析するので、リハビリもコーチも同じアプローチ方法をとっているといってもいいかもしれません。

どちらにも物理的な原因もありますし、メンタル的な問題もありますので、どういうプロセスを踏めば効率的に改善するのかを日々考えています。

 

県外からスクールを受けに来るスケーターも

中坂優太(プロスケーター / 理学療法士)

ーでは、スケートボードスクールを始めたきっかけはなんだったのですか?
もともとは15年くらい前に地元浜松市にあるスポンサーである、花川スケートパーク(現在はS.L PARK @slpark_hamamatsu_japan)でスクールをやってみないかと声をかけてもらったことがはじまりです。

そこから隣街の静岡市にあるF2O park(@f2o_park)にも声をかけてもらい今に至ります。最近はどのパークでもスクールは定番化していますが、当時のスケートボードはオリンピック競技化なんて欠片もなく、スポーツというよりカルチャーであって教えてもらうものではないという認識の方が一般的でした。

この頃は全国的に見てもスクールというのはほとんどやっていなかったんじゃないでしょうか。本当に時代は変わったなと思います。

今では県外から来てくれる人も多くなって、遠い所では栃木から毎月来てくれる家族もいました。コロナ禍の時代の今は3密に注意しながら開催をせざるをえない状況ではありますが、他県からわざわざ自分を頼って来てくれるのは本当にありがたいと思います。

ースクールを始めて思った以上に大変だったとことはありますか?
大変なことはたくさんありますが、一番は本人にモチベーションを保ってもらうこと。スケートボードはある程度上手くなってくると、後は恐怖との戦いなんです。

怖さを克服するには、本人の性格もあるので難しいところです。僕は無理矢理突っ込めとは言いません。本人が自ら「行く!」 と言うまで待ちます。

ただずっと待っていてもできない場合ももちろんあります。その場合はあらゆる手段を使って、「やる!」って言うところまで引き出す関わり方を常に考えています。

メンタルがそこまでいくと大抵の人は難しくて怖いトリックでも挑戦するようになるんですよ。そこからが本当のレベルアップ。

本人に”上手くなる”を実感してもらうことと、レッスン後に宿題をだしてモチベーションを保って、次のステップアップに繋げることを考えています。

 

レッスン内容を記録して経過を分析

中坂優太(プロスケーター / 理学療法士)

ー逆に大変だったけど、スクールをやって良かったなと思うことがあれば教えてください。
小さい頃に教えていたスケーターが世界で活躍してくれることですね。こんなに嬉しいことはないです。それに理学療法士的な目線から見ても、自分の考えが間違いではなかったと確信になる瞬間でもありますから。

そうやって長いことスクールを続けて、たくさんの人を見ていくことは、すべて自分の経験値になり知識として身についていきます。

自分はレッスン後に、ひとりひとりの内容を必ず記録してるんです。この経過を分析していくとトリックがどれくらいの期間でメイクできるようになるかなどの統計的なことが見えてきます。過去のデータは今を教える根拠になるのでかなり役立っています。

Profile:

中坂優太(なかさか ゆうた)
1984年2月24日生まれ。静岡県浜松市出身。スポンサー:NESTA BRAND、éS skateboarding、the bearings、excellent、PCIS、S.L. PARK

複雑な回し系のトリックを得意とし、数々のビデオでスキルフルなライディングを披露している他、「éS Game of S.K.A.T.E.」では2年連続で優勝するなど、テクニカルスケーターの代名詞として活躍。現在はプロスケーターとして活動しつつも、理学療法士として身体に向き合う日々を送っている。またケガの予防を目的としたPCIS(インソールメーカー)の代表も務めている他、浜松市のS.L PARK、静岡市のf2O parkでスクールを行い、日本代表候補に選ばれる選手などの育成にも携わっている。

中坂さんはスケートボードのコーチであり、理学療法士であることで他の人にはない独自の指導理論を確立させました。それが他県からも遠路はるばる彼のスクールに通う理由になっているようです。次回の取材ではそのスクール中身をさらに深堀りしていきます。

ライター

吉田 佳央

1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。