父の影響で始めたサーフィン
―生年月日や出身地など、まずは自己紹介をお願いします。
2005年6月19日に東京の板橋区生まれです。小学校4年生のときに千葉の海沿いに引っ越してきました。
―サーフィンを始めたきっかけはなんだったんでしょうか?
父がもともとサーフィンをやっていたんです。海に行く機会が多くて、自分もかっこいいなと思って始めました。5歳のときです。
周りにはまったくサーフィンをやっている人がいなかったんですけれど、父が通っていたサーフショップにチーム員がいっぱいいたので、寂しさはなくて、逆に楽しかったですね。
―小学校4年生のときに移住したということですが、移住を決断した経緯は?
海から離れたところに住んでいたので、サーフィンを始めてからずっと、毎日海に入れないもどかしさがあったんです。
小学校2年くらいの頃から目標に掲げているワールドサーフリーグ(WSL)のチャンピオンシップツアー(CT)に入るためには、毎日サーフィンできる環境じゃないと絶対に無理だと感じました。
それなら早めに海のそばに住んだほうがいいと思って、ずっと引っ越そうっていい続けていました(笑)。
反対された海沿いへの移住
―サーフィンの場合、海のそばに住んだとしても、本当に海の目の前に家がない限り、子供は1人で海には行けないですよね。送り迎えが絶対に必要になってきます。それがサーフィンというスポーツの難しさでもあるわけですが。
(父:岩見公平さん) 僕はCTに入って欲しいとは、最初はまったく思っていなかったんです。移住はダメだ、ふざけるなといっていました。
―お父さんはなぜ移住には反対だったんでしょうか?
(天獅) たぶん寂しいからじゃないですか(笑)?
(父) いや、僕自身、試合に興味がなかったからなんです。かろうじてCTがどういうものかわかるくらい。
あと、天獅が5歳くらいのときに埼玉に家を購入していて、自分でやっている会社の事務所もそこに移していたので、移住は無理だと。それ以前に、天獅がサーフィンをやっていること自体、面倒に感じていた部分もあったんですよ。
―現在のご両親の協力的な様子からすると、まったく想像がつきませんね。
(父) 小学校3年くらいのときに、本人が試合に出たいって言い始めたんです。周りの人たちにも本人が自ら相談していて。
相談を受けた周りの人たちが「運転だけしてくれれば、他はこっちでなんとかするから、かわいそうだし、試合に出してあげて欲しい」って言ってくれたんです。
そのときには千葉の海沿いに別荘を持っていたんですが、そこまで言うなら、1年だけの限定で試合に出ることに付き合おうと決めました。
「出たい大会を自分で選べ」って言って。自分でインターネットで調べてました。