スケートボードを事業化
ー荒畑さんは数年前にスケートボードに関わる仕事をこなすということで独立されました。そのきっかけは何だったのですか?
独立する前はお台場のダイバーシティの屋上にあるスケートパーク、H.L.N.A SKYGARDENで働いていたんですが、そこでスクールのことはもちろん、イベント運営だったりスケートボード全般に関わる仕事をいろいろと学ぶことができました。
社員として自らイベントやスクールを企画立案から開催まで全てこなしたことで、 今までのプロスケーターとは違ったスケートボードの仕事に触れることができたんです。
いろいろなお客さんが自分についてくれるようになったし、そこでの日々も充実していたんですが、この先を考えた時に独立した方がより自分の経験を活かすことができると感じ、周りの環境の変化も重なって、約2年前に独立しました。
ー中でも現在はスクールをメイン事業にされていますね。こちらを始めたきっかけは何だったのですか?
大きかったのはH.L.N.Aのライダーになったことですね。もともとダイバーシティの屋上にスケートパークができる前からライダーはやっていたんですが、その中でパークができるのと同時にスクールもやるという話が決まったんです。そこでライダーだった自分にやってみないかと声がかかったんです。
もともと教えるのも好きだったし、せっかくならやってみるかなという軽い気持ちから始めました。スクールを受ける年齢層は圧倒的にキッズが多いんですが、ちょうどその頃に自分にも子どもが産まれたので、父親になるという環境の変化も、育成を意識する大きなきっかけでした。
もっとスケートボード事業を大きくしていきたい
ーここから、現在のスクール事業をもっと深掘りしたいと思います。現在、行っているスクールの内容はどのようものがありますか?
今やってるのは主に定期スクールで、毎月決まった人たちと一緒に月謝制でやっていたり、だいたいこの日のスクールは入ってくれるっていう生徒さんがいるので、そういう人たちと連絡を取り合ってやってます。
今はコロナ禍の時代というのもあって大きな募集はかけていないんです。個別に無理なくコツコツとやっている感じです。
コロナ前だと東京ヴェルディさんと組んでスクールイベントを開催したり、自分のメインスポンサーのひとつでもある13mindの全国の取引先でスクールしたり、他にもイベントでのコンテストジャッジやデモとセットでスクールもしたりっていうのはよくありました。
コロナが落ち着いたらもっともっと事業を大きくして、いろんな人と絡みたいとは思っていますけど、こればっかりは自分じゃどうしようもできないですから。
とにかく”楽しい”がモットー
ーご自身のスクールにはどんな特徴があるのですか?
自分の場合はとにかく”楽しい”をモットーに、生徒のスキルレベルに合わせた指導を心がけています。なのでレベル別でうまく分けられる時は、その場で簡単なグループを作って進めます。
ただ当然分けられない時もあるので、そんな時はひとりひとりに「あなたはこの課題やってください。」「じゃああなたはこれに挑戦しましょう。」「それならあなたはこれがいいんじゃない!? 」っていった感じで、生徒を分析しながら自分の経験をもとに最適な提案をするようにしています。
あとは生徒さんの「この技やりたい! 」っていう気持ちもすごく大事で大切にしています。自分の場合は生徒さんにスクールを受ける前にやりたいトリックをあらかじめ考えてもらうようにしているんです。
もし考えられなければ提案はしますけど、決して自らお題を出すようなことはしません。
生徒さんが「これがやりたいです!」といえば、「 じゃあそのためにはどうすればいいんだろう!? 」とまずは自発的に考えてもらい、そこでも分からなければ「じゃあ自分が教えるね」という感覚です。
そういった姿勢はこれからのスケートライフはもちろん、一般生活においてもすごく大切なことだと思いますね。
ーそれができるのも荒畑さんの長年のキャリアがあるからなのでしょうね。
経験の幅が違いますから(笑)。「コレができるようになったら次はコレでしょ!」 というのはスケートボード続けていけば必ず出てきますが、それに気づかせるのも自分の仕事だと思っています。
ですので個人の適性を見極めながら、上達に最適な提案なんかも積極的に行って最短距離で上達できるように誘導してあげることも大切だと思います。
例えばですが、スクールでブラントフェイキーというトリックを教えるとします。自分は中学校1年生でできた技なんですが、「当時どういう気持ちでやってたっけ!? 」とか、そういうのを思い出しながら、自分の成長曲線と生徒の年齢を照らし合わせるようにしているんですよね。
あとは例えそこでできなかったとしても、「この動きちゃんとやってる!? 」とか、原因を発見するのも同じくらい大切だと思います。生徒の動きを見てどこが悪かったのか、トラックの掛け方なのか重心の乗せ方なのか、狙ったトリックに対しての出来てないところを明確にしてあげることが上達への近道になることは間違いないです。
個人に寄り添った指導
ーそういう丁寧な指導を心がけてるからこその少人数制なんですね。
はい。今はスクールの数も増えて、中にはトリックごとに難易度を段階分けしてカリキュラムを組んでいたりっていうところもあります。大人数のスクールならばそっちの方がやりやすいと思いますし、皆が万遍なく目標を持ててひとつの方向に向かっていけるという意味では利点もあると思います。それに値段も抑えることができます。
それに比べて自分のような少人数制スクールは、ひとりひとりに合った目標を与えてあげるなど、個人に寄り添った指導になるところに特徴があると思います。その分大人数に比べて値段もどうしても高くなってしまいますが、その分しっかり見てあげることができると思いますし、このやり方が長年いろいろなスクールを経験してきた自分には合っていると思っています。
ーそれだけ今はスクールを受ける側の選択肢も増えていると!?
そうですね。どっちが良い悪いではなくて、それぞれのやり方にそれぞれの良さがあるので、親御さんにはご自身のお子さんに合ったスクール選びをしてほしいなと思います。
自分も大人数を教えることはありますけど、そういう時には大体講師が3~4人はいて、それぞれでクラス分けして教えていく形になります。なので自分の場合教えられたとしていっぺんに7~10人くらいが限界になります。
その分金額もリーズナブルにはなりますけど、一人に教えられる幅も狭くなってしまうので、5人くらいまでに抑えた方が、密度が濃い指導ができるなと思っています。
指導者としてもスケートボードで日本一になりたい
ー大人数を教えることもあるとおっしゃっていましたが、そのような不定期開催のスクールはどう言ったきっかけで開催することになったのでしょうか?
基本的にはスポンサーの絡みとかが多いです。昔から一緒にいる業界の仲間からってケースがほとんどです。
それに今の時代はスケート業界でも自分のようにフリーでやってる人が増えたので、それも大きいと思います。それこそ今回のインタビューもそうですけど、自分のように長くこの業界にいると、古い繋がりの人が新たなフィールドで働くようになって、そこで何か新しいことを始めるってことが多々あるんです。
そんな時に、「こういう案件なら145さん(荒畑さんのニックネーム)がいいんじゃないか」っていうことで声がかかるんですよね。自分はそうやって誰をあてがうのか考えた時に真っ先に人の頭に浮かぶ人間でありたいと常に思っているので、ライダーの活動にしろスクールの活動にしろ、SNSなどもしっかり活用してPRにつなげるようにしています。
ーではスクール事業で最も気をつけているところと、今後の目標があれば教えてください。
まずはケガをさせないことが第一です。とはいえスケートボードにケガはつきものなところはあるので、ヘルメットだけではなく、プロテクターはヒジもヒザも全てつけてもらうようにしています。
ある程度の年齢になったら皆つけなくなるケースが多いですけど、どのスクールでもほとんどのパークがヘルメット着用を義務化しています。あとは今だと検温とかアルコール消毒とかマスクをしっかりつけるっていうコロナ対策にも気を使っています。
今後の目標はライダーでは昔全日本チャンピオンを獲得できたので、今度は教える方でも日本一になりたいなと思います。コーチングに関しては具体的に点数が出るものではないですけど、自分が教えた生徒が、いつの日か全日本チャンピオンになって世界に羽ばたいてくれたら最高ですね。そのためなら自分の経験はいくらでも還元します。
Profile:荒畑 潤一
1977年1月19日生まれ。東京都小平市出身。
スポンサー:SHOWGEKI SKATEBOARDS、Ninja Bearings、Diamond Supply Co.、PRAY Ⅳ GRIP、Oakley、New Era、ESCAPO TOKYO、Arktz。
145(イシコ)の愛称で知られ、長きに渡り日本のスケートボードシーンを牽引してきた、1977年生まれの黄金世代を代表する人物。スケートメディアはもちろんのこと、端正なマスクでファッション誌のモデルなどで活躍するほか、国内の技術レベルやスケートボード自体の地位を高めたパイオニアのひとり。
現役時代はスイッチや回しを駆使したテクニカルトリックを武器に18歳で全日本チャンピオンを獲得。ワールドワイドな活躍をみせてきたライダーで、40歳を越えても熟練の魅せるライディングは健在。現在は自身のキャリアを活かした個人スクールを中心に、スケートボードの魅力を幅広く一般に伝える活動をしている。
【荒畑潤一】プロスケーターを経て育成のプロフェッショナルへ〜取材録Part1
【荒畑潤一】プロスケーターを経て育成のプロフェッショナルへ〜取材録Part2
【荒畑潤一】プロスケーターを経て育成のプロフェッショナルへ〜取材録Part3
スケートボードスクールが市民権を得た今では、数多くのスクールが存在しています。荒畑さんのような少人数制のスクールもあれば、大人数で学校や塾の授業のような形式をとっているところもあります。それぞれに利点欠点があるので、ご自身やお子さんにあったスクールを探してみてください。自分にピッタリなスクールが見つかれば急速に成長していくこと間違い無しです。
ライター
吉田 佳央
1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。