ヘッドコーチ就任までの経緯
ーまずは自己紹介からお願いします。
平野英樹です。年齢は28歳です。新潟県の村上市出身で、今も拠点は変わりません。スノーボードとスケートボードのどちらもプロとして活動していたので、その経歴を活かして、現在はコーチとスクール業をしています。
メインで教えているのは子供たちで、2018年から開志国際高校のヘッドコーチを務めています。
ー開志国際高校のヘッドコーチに就任された経緯を教えてください。
私が就任する前は、バーチカル(※)でトッププロとして活躍していた小川元さんが担当していました。ところが、仕事の関係で小川さんが東京に戻ることになり、元さんと僕の父(平野英功さん。部を設立した発起人のひとり)から自分に話が来ました。
当時はスケートボード部がなかったので、スノーボード部のコーチとして入ったのですが、少しずつこの業界に深く関わっていく大きなきっかけになりました。もう5年以上前の出来事ですね。
(※スノーボードでいうハーフパイプのような滑走面でトリックを競い合うスケートボードの種目のひとつ)
ー就任前はどのような活動をされていたのですか?
当時の自分は、スケートボードもスノーボードも続けてはいたのですが、その2~3年前くらいに競技者生活から退いました。それらに関連した仕事に就くか、全く違う仕事をするかで悩んでいた時期でした。
学校教育の一環として礼儀も重んじる
ー高校の部活のヘッドコーチは、主にどのような仕事をされているのですか?
基本的には、一般的なスクールとそこまで変わりはありません。部活なので、基本的な練習メニューをあらかじめ部員各々に伝えて、それをこなしてもらいます。
具体的なコーチング内容は、ビデオを撮りながら「これはこういう形になっているから、こうしたらもっと良くなるよ」とアドバイスをしたり、終了後の挨拶で、「全体としてもう少しこうあるべきだよね」という反省点を述べたりする流れです。
ー開志国際高校ならではの特徴はありますか?
特徴として言えるのは、学校教育の一環なので礼儀も大事にしているところです。練習を通して技術を教えるだけではなく、規則やマナーも同時に身につけてもらいます。将来を考えると、人としても一人前になるのは大切なことだと思います。
ーモデルケースで構いませんので、1週間のスケジュールを教えていただけますか?
実は僕自身、学校には行ったことがなく、顧問の先生とLINEや電話でやり取りをするくらいです。それも今日は誰々が風邪で休むとか、遠征でいないといった部員の出欠連絡くらいです。
部員には、基本的に指定の曜日、水曜と金曜の部活の時間に、村上市スケートパークに来てもらう形をとっています。
ー何か工夫されていることはありますか?
自分が別の仕事で行けない時は、代わりにスケートボードをしているパークのスタッフに担当してもらいます。その際に、練習メニューや、意識的に取り組むポイントなどを伝えています。
時には動画を送ってもらって、それにレスポンスすることもあります。円滑に進められるように意見交換をするなど、常にコミュニケーションをとっています。
ー普段はどのように部員と関わっているのでしょうか。
基本的にスノーボード部メンバーとは、部活の時間しか会いません。でもスケートボード部は、生徒達だけで毎日のように村上市スケートパークに来ています。
自分はパークの管理もしているので、そこで一緒にセッションしてお互いをプッシュし合うこともあります。その時はコーチと部員という関係よりも、一緒に滑る仲間という感覚に近いです。
生徒と同じ目線に立つ
―では部活の時とセッションする時では、どのようなところが違ってきますか?
部活は生徒と同じ目線になって、将来のことも考えます。平たくいうと人生相談ですね。
というのも、高校生という年代は、進学や就職など進路の壁にぶつかる時期です。これからの未来をスケートボード一本でいくのか、それとも他の道も模索するべきなのかなど、悩みは尽きません。
それに最近のスケートボードシーンは、若い世代の活躍も顕著です。だから余計に不安になるんですよね。もちろん彼らはまだ若いから、努力次第でいくらでも将来を変えられますが。
自分も過去に同じような悩みを抱えていたことがあるので、そこは自らの経験を踏まえて、しっかり導いてあげるようにしています。
ー部活がある水曜と金曜以外は何をしているのですか?
クラス別に週3回スクールを担当しています。例えば初心者だったり中級者だったり、モニターで動画を見せながら進めていく、滑り方の窓口みたいな感じです。今は毎回60人くらい集まるようになりました。
ースクールに60人も集まるのはすごいですね。
人数は徐々に増えていったのですが、やはりオリンピックの効果は凄まじく、そこを境にかなり増えました。村上市に関して言うと、今もその熱気は冷めておらず、親御さんが習い事感覚で預けに来る流れが定着しているように感じます。
私が小さい頃は、村上市でスケボー持っている人がいたら「なんだあいつ!? すげーの持ってるぞ」といった目線だったので、時代の変化を実感しています。
ーコーチは何名いるのでしょう?
スクールは3人のコーチで回しています。行政からの仕事を自分たちが任されている形です。ただ最近は他にもいろいろな仕事があるので、各地を点々とすることも増えました。
スケートボード元来の文化は大切に
ー外部委託という形でヘッドコーチをされていますが、一般的な部活の監督やコーチとの違いはどのようなところですか?
一般的な部活のイメージは、体育会系というか、教師と生徒で上下関係や立ち位置の違いがはっきりしています。でもスケートボードはそうではなく、同じ目線で個性を大事にするところが特徴なんです。
そもそもそスケートボードはスポーツではなく、カルチャーとして生まれたものです。そこから発展、派生してスポーツの側面が生まれたに過ぎません。まだまだスポーツとしての日は浅いですし、部活に入ってくる生徒たちもカルチャー寄りの子が多いです。
ーヘッドコーチに就任して、大変だったことはありますか?
全日制高校のスケートボード部は、過去に事例がありません。僕もどうしたらいいのか、最初は悩んでいたこともありました。
バックボーンを考えると、スポーツとして、決められた上下関係の中で教えられることを窮屈に感じたり、それがきっかけでスケートボードを嫌いになったりしてほしくないと思っていました。
生徒達と一緒になって練習し、同じ目線で話せる環境作りは、自分の中で意識しているところで、ひとつのコンセプトになっています。
ースケートボード特有の文化は尊重すべきであると?
はい。スケートボードは、もともと年齢関係なく楽しめるところが魅力なんです。でもそれって他のスポーツでは、まず見られない光景です。
ー具体的にはどういうことでしょう?
例えばサッカーの場合、アンダー17とか世代別の大会がありますが、スケートボードにはありません。全日本選手権でも、アラフォーと中学生が同じ現場で競い合いながらも称え合っています。
そういうフラットな関係性がスケートボードの大きな特徴なので、年代別の大会はあってもいいとは思いますが、独自の文化は崩さず、新しい部活の形を模索しながらやっています。
ーコーチとして、意識していることはありますか?
ヘッドコーチとして、メリハリをつけるべきところはあります。でも基本は、生徒と目線を同じにして、共に歩んでいくことを意識しています。
可能性を見つけられる場所にしたい
ー開志国際高校には、松本浬璃選手や甲斐穂澄選手といった国内トップクラスの生徒がいる一方で、一般の生徒も在籍しています。部活となると個人差があっても集団行動、練習になると思います。スクールはレベル別に分かれているところが大半ですが、どのように対処していますか?
教える時は、同じくらいのレベルの生徒同士の方がやりやすいことは間違いありません。そこで先ほどお話した、個性の尊重とかフラットな関係性に戻るのですが、自分はここを本当に大切にしています。
レベル差があったとしても、その子たちが将来活躍するフィールドはスキルだけで決まるわけでありません。もしコンテストで結果を出すことが全てで、それだけが正義なら、スケートボードの視野はすごく狭くなりますよね。
ーその視野を広げるには、どうすればよいのでしょう?
例えば、そこから指導者になる道もあれば、ショップを開く、スケートボードメーカーで働く選択肢もあります。それが本当に好きでやりたいことなら、コンテストで優勝することと大差はないと考えています。
だから「上手い=偉い」という風潮はなくすべきかと。自分は部活を様々な可能性を見つけられる場所にしたいと考えています。
ーそれでもレベル差があるとなかなか滑れない人も出てきます。
誰か上手い子が滑っていると、萎縮して滑れなくなる子は確かにいます。でもそういう時こそ寄り添って、一緒に話をします。
どういう風に考えているのか聞きながら、「こういう道もあるんだよ。もっといろんな可能性があるじゃん!」という話をして、その子が何かを得られるような働きかけをしています。
ー素晴らしい考えですね。他にも練習中にスマホで撮るのが楽しければ、将来はフィルマーという選択肢もありますね。
はい。そういう些細なことに気づける場所にしたくて。例えそれが「スケートボードは自分に向いてないな……」でもいいと思っています。
将来、もし違う道に行くことになっても、この場所での経験があったからこそ学ぶことができた。おかげで最良な道を選べたわけです。そうやって、スキルに関係なく、将来の道標になるような部活にしていこうと考えています。
Photo by Yoshio Yoshida
ライター
吉田 佳央
1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。