東京オリンピックの1年延期によって、出場に向けて起死回生のチャンスが巡ってきた藤澤虹々可選手。今インタビューでは、高校時代の話から自身を襲った前十字靭帯断裂の大ケガ、さらには復活後のオンラインコンテスト優勝までの道のりを伺いました。

本場アメリカでメジャーコンテスト初優勝

藤澤虹々可(スケートボーダー)

ー今回も、まずはインタビューに際した自己紹介からお願いいたします。

藤澤虹々可(ふじさわ ななか)です。19歳です。スケート歴は13年で、今はスケートボード中心の生活を送っています。なのでよくプロと言ってくださる方もいますけど、私自身まだまだだと思っているので、これからもっと頑張らないとなって思っています。

コンテストでは2019年の全日本選手権で優勝することができたので、東京五輪にむけた強化指定選手に選んでいただくことができました。あとは自分の映像作品を残すことにも力を入れていて、昨年は2つの世界規模のオンラインコンテストで優勝することができました。

ー藤澤選手は高校時代の2017年に出場した「EXPOSURE 2017」での優勝が、ご自身再び脚光を浴びるきっかけになりました。翌年には「X GAMES 2018」でも6位入賞を果たしています。この時はどんな気持ちでしたか?

「EXPOSURE 2017」は、パーク種目で強化指定選手に選ばれている希花(小川)ちゃんが前年に出てたんです。そのため「今年は虹々可も出れば良いじゃん!」という感じで誘っていただきました。

ちょうど高校受験失敗もあり、スケートボードに打ち込むと決めた時期だったので、アルバイトで貯めたお金を使って本場のアメリカまで行って出場しました。

ちゃんとした大会で優勝できたのはこれが初めてだったので、自分にとってはひとつの大きな転機になりました。

この事がきっかけで、大会後も今でもサポートしてもらっているMEOW SKATEBOARDSのフィルマーさんに撮影していただいたり、などの活動の幅も広がりました。「自分が選んだこの道は間違いじゃなかったんだ!」って思えましたし、すごく自信がついた大会になりました。

「X GAMES 2018」は、その少し前に開催された「WHEELS OF FORTUNE」のプロクラスで優勝したことが決め手で招待していただいたんです。この時はマライア・デュランとかレイシー・ベイカーという世界トップのガールズも出場していたのですごく不安だったんです。なので優勝は正直、運が良かった部分もあると思います。

どちらかというと、X GAMES本番で入賞できたので、そのときに「世界でもやっていけるんだ」という気持ちになれました。

 

“安定感”という課題克服に向けて

藤澤虹々可(スケートボーダー)

ーその一方で、2018年の全日本選手権やAJSA ASIAN OPENなど成績が振るわない時もありました。実力は誰もが認めるところだと思いますが、少し安定感に欠けるのかなという印象をお持ちの方もいると思います。本人はそこをどう捉えていますか?

私、小さな頃はコンテストが本当に嫌いだったんです。もちろん、ただ慣れていなかっただけというのもありますが、あのなんともいえない緊張感が本当に苦手だったんですよね。

AJSA(※1)に初めて出たのも小学生5年生で遅めでしたし、周りの皆がAJSAのために運動会を休んでとか、そういうのには全く参加していませんでした。

出るとしても、年に1回開催される地元の小山カップくらいだったので、今でもたまにボロ負けするのは、小さい頃にあまりコンテストに出ていなかったツケが回ってきているんだと思います。

それに今安定して結果を残している人は、皆、小さい時から常にコンテストに出続けていて、確かな積み重ねがある人しかいないですから。

私はいまだに、本番となると頭が真っ白になってしまうところがあるので、持てる力をすべて出し切る入り方っていうのは常に模索しています。ただ裕次郎(寺井)君が来てサポートしてもらった時の中国のXGAMESではいい結果が出たので、メンタル面をケアしてくれる人の存在って大切だと思いました。

スケートボードの世界ではまだコーチという存在は確立していないですし、必ずしも皆さんに必要ではないかと思いますが、私のようにコーチのような人がいる方が、より良い結果が出る人もいるのではないかと思います。

※1 ALL JAPAN SKATEBOARD ASSOCIATIONの略称で、日本スケートボード協会のこと。国内で30年位上にわたりコンテストを開催し続けている唯一の機関

 

強化指定選手への選出

藤澤虹々可(スケートボーダー)

ー紆余曲折を経て2019年に念願の全日本選手権優勝を果たし、東京五輪に向けた強化指定選手に選出されました。この時の気持ちを教えていただけますか?

この大会は、今までのスケートボード人生で優勝したいと一番強く思った大会でした。本番前は会場に通い詰めて本当に真剣に練習に励んでいましたし、気持ちも乗っていて身体の調子も良かったので、そういった要素が全てうまく噛み合っての結果だったと思います。

ただ、優勝が決まってもはじめは実感がわかなくて。大会関係者の方から「お前人生変わるぞ!」って背中を押されて、ようやくジワジワと嬉しさが混み上げてきましたね。

それとこれは余談なんですけど、会場のムラサキパーク東京は全国からトップの人が集まりますし、練習中は皆がどんどん突っ込んでいくから雰囲気が凄いんですよ。

まず空気に飲まれてしまうというか。前年も全日本選手権には出ていたんですが、正直その空間に入るのが怖くて萎縮してしまっていたところがあったんです。それで結果も案の定ボロボロ。

ただ、その時にコンテストに出るスケーターと仲良くなれたので、この時はそういった余計な緊張とかはなかったんです。

だから前回お話させていただいた高校入試のエピソードも含めて、ひとつひとつの積み重ねがあってのできごとだったので、嬉しさはもちろん、安堵感とかいろいろな感情が自分の中をかけ巡りました。

藤澤虹々可(スケートボーダー)

 

前十字靭帯断裂で五輪出場は絶望

藤澤虹々可(スケートボーダー)

ーその後、一難去ってまた一難、その後の五輪予選で膝の前十字靭帯断裂という大ケガを負ってしまいました……。

これは強化指定選手として世界を回っているときで、中国で開催されたコンテストの練習中だったんですけど、ハンドレール(※2)の着地の時に膝を捻ってしまったんです。

その瞬間は「やっちゃったかも!? 」と思いましたけど、中国で行った病院では大丈夫だといわれましたし、自分自身そこまでの痛みではなかったので、次のブラジルで行われるSLSのスーパークラウン(※3)の出場は問題ないなって思っていたんです。

でも日本に帰ってきて病院で検査をしたら、先生が深刻な顔をして出てきたんですよね。「大変なことになってるのわかってますか?」って。

その場には母親もいたので、最初は2人して「えっ!?」という感じだったんですけど、「前十字靭帯切れてますよ」と言われた時は、あまりのことに呆然とするしかありませんでした。

このケガは前に碧莉(西村)もやっていて、半年間お休みしなきゃいけないことはわかっていたので、このときばかりは私も母親も涙が溢れ出てきてしまいました。

まったく予想していなかったので、驚きと悲しみとこれからどうしようっていう不安とで、正直絶望感に打ちひしがれましたね……。ただ、それでもブラジルの大会にどうしても出たかったんです。

それまでの国際大会での成績が振るわなかったので、オリンピックに出るにはこれがラストチャンスだとすら思っていたので、どうしても諦めきれなくて。

だから最初はそんな状態でもスケートボードに乗っていろいろな技を試してみたんです。でも、大会なんてとてもじゃないけど出れる状態じゃなくて……。

そのときに自分の中で諦めがついたというか区切りをつけることができて、ブラジルへは行かずに手術をしてはやく治すという決断をしました。

もちろん、これは母親や裕次郎(寺井)くんにも相談しましたし、2人とも背中を押してくれました。なので、それからは落ち込むこともなく、復帰に向けたリハビリにも前向きに取り組めました。

※2 階段にある手すりを模したセクション(障害物)のこと。リスクが高い分高得点にも繋がるので大会会場ではメインアイテムとして設置されていることが多い。

※3 STREET LEAGUE SKATEBOARDINGの略称で、現在世界最高峰のスケートボードコンテストとされており、五輪出場ポイントも最も高い。

 

夢のような時間を実感!

藤澤虹々可(スケートボーダー)

ーこの大ケガによって、撮影中だった映像作品『ReStart』も無念の途中クランクアップとなってしまいました。ご自身のパートに、米坂淳之介さんや戸枝義明さん、池田幸太さんといった日本のシーンを作ってきたレジェンドたちがフレンド出演してくれました。

あれは本当に嬉しかったです! 自分は試写会当日までまったく知らなくて、いざ自分のパートがはじまったら、まずは純也さん(junyafire)が出てきて「えっ!?」てなって。

意味がわからないまま戸枝さん、淳之介さん、幸太さんに赤羽(賢)さんが出てきてくれて、本当に嬉しくてまた涙が溢れちゃいました。もうありがとうしかないです、本当に。

その後もこのできごとがきっかけで、幸太さんがまだケガで滑れないにも関わらず、先輩方が集まって滑るときに呼んでくれて、治った今も定期的に撮影に誘ってくれます。

皆さん小さな頃から見ていた憧れの人達ばかりなので、現場にいくとすごく緊張しますし、ここに自分がいるなんて本当に夢のようだなっていつも思います。

撮影に同行させてもらうと、ストリートで映像を残すことの難しさを毎回感じます。それでも皆さんはきっちり形に残していくので、本当に尊敬しかないです。

だからこそ、こうやってお世話になっている先輩方のためにも、これからもっと頑張って結果を残さないとなって思っています。

 

神様がもっと頑張れといってるんだな

藤澤虹々可(スケートボーダー)

ーその後、昨年春に新型コロナウイルスによるパンデミックで東京オリンピックが延期になりました。藤澤選手にとっては再チャレンジのチャンスが訪れたといってもいいかと思いますが、そこはどう捉えていますか?

そうですね。私個人としてはリハビリも順調にきていて、ようやく滑れるようになった矢先の知らせでした。

本来ならば予選期間は残りわずかで、出場には首の皮一枚でなんとか繋がっているという状態だったので、まさかこんな時間ができるとは思ってもいませんでした。ただそれは皆さんも同じだと思います。

私は神様が「もっと頑張れ」といっているんだなと前向きに捉えています。

ーそれに伴いコンテストも長らく開催されていませんが、試合勘みたいなものは鈍ったりしないのですか?

そういった不安がないといえば嘘になりますが、私はその前に大ケガも経験しているので、他の人以上に長期間、試合には出ていないんです。

なので今はどちらかといえば、再開がすごく楽しみなんですよね、「一体どうなるんだろう?」って。ケガの間はいろいろ考えることも多かったから、そのおかげでスケートボードに対する気持ちがスッキリしたんです。

それに、いつも会場で会う皆にも長らく会えていないので、仲間に久しぶりに会えるのも含めて、不安よりも楽しみな感情の方が強いです。

そんな感情で滑ったことは今までなかったので、自分でもどんな滑りができるんだろうって楽しみです。

 

ストリートでの撮影と支えてくれたフィルマー達

藤澤虹々可(スケートボーダー)

ーまた、昨年はオンラインコンテストが1つの潮流になりました。その中で藤澤選手も「Urban World Series」と「Virtual Exposure2020」というワールドワイドなコンテストで見事に優勝されましたね。

ありがとうございます。この優勝で本当にいろいろな方からお祝いの言葉をいただきました。

この時は「Virtual Exposure」のパートの方を先に取り組んでいて、その後に「Urban World Series」から声がかかったんです。

「Virtual Exposure」はストリートでの撮影でしたし、撮影期間も2ヶ月と短かったので、撮影中になかなかメイクできなくて泣いちゃったりとか、じつは心が相当病んでいたんです(笑)。

ただUrban World Seriesは招待制ですし、仕事として考えてもすごく良いオファーだったので、どちらの撮影も並行して進めていくことにしました。撮影期間中は本当に辛かったですけど、どちらも最高の結果で終わることができたので、本当に良かったなと思いますし、満足しています。

ーそのパートもですが、他の方にはない藤澤選手の特徴として、すべてストリートスポットで撮影しているということが挙げられます。何かストリートに対してのこだわりがあるのでしょうか?

正直なところ、今回に関しては〆切まで2ヶ月しかなかったので最初はパークでしっかりした映像を撮ろうと思っていたんです。

それでVirtual Exposure2020の運営にも問い合わせたんですけど、「時間はあるからストリートにしなよ!」って連絡がきて。皆ストリートで映像を残しているんだから、自分も負けずにやらないとって思って必死にやってたんです。

でも、いざ蓋を開けたら皆パークじゃん! みたいな(笑)。

ただ裏を返せばそれだけの短期間にストリートで映像を残すのは難しいということですし、私の場合は裕次郎(寺井)くんやユリユリ(村井祐里)っていう映像も撮れて、スポットの回り方も知ってるフィルマーが身近にいたのが本当に大きかったと思います。

この2人もですし、協力してくれたフィルマーさんやスポットを教えてくれたスケーターのみなさんがいなければ絶対パートは完成しなかったですし、優勝もなかったので本当に感謝しています。

Profile: 藤澤虹々可(ふじさわ ななか)

2001年11月8日生まれ 神奈川県相模原市出身 スポンサー:adidas skateboarding、meow skateboards、push grip、Lafayette、act sb store。
ガールズレベルを超越したスピーディーかつダイナミックなライディングが持ち味。2019年の全日本選手権で優勝し、東京オリンピックに向けた強化指定選手として活動しているだけでなく、19歳にしてストリートで収録したフルパートを3本も残し、オンラインの世界戦でも優勝するなど映像作品制作とコンテストの双方で活躍するハイブリッド。チャームポイントのメガネルックと温厚かつ人情味あるキャラクターで多くの人物から愛されている日本を代表するトップガールズスケーターの1人。

※このインタビューは2020年12月に取材撮影を行った記事になります。

ワールドワイドオンラインコンテスト優勝から五輪予選へ。 スケートボーダー 藤澤虹々可 Part1

ワールドワイドオンラインコンテスト優勝から五輪予選へ。 スケートボーダー 藤澤虹々可 取材録パート3

まさに「一難去ってまた一難」をそのまま実体験してきた藤澤選手。それでも昨年末には世界規模のオンラインコンテストで優勝し、またひとつ大きな壁を乗り越えてくれました。今年の彼女にはいったいどんなことが待ち受けているのでしょうか。ラストインタビューでは、延期されたオリンピックに対する想いから、プライベートな話をお届けします。

ライター

吉田 佳央

1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。