『Chatty Chatty』からの影響
ー今回もインタビューに際した自己紹介からお願いします。
藤澤虹々可です。19歳です。スケート歴は13年で、今はスケートボード中心の生活を送っています。なのでよくプロと言ってくださる方もいますけど、私自身まだまだだと思っているので、これからもっと頑張らないとなって思っています。
コンテストでは2019年の全日本選手権で優勝することができたので、東京五輪にむけた強化指定選手に選んでいただくことができました。あとは自分の映像作品を残すことにも力を入れていて、昨年は2つの世界規模のオンラインコンテストで優勝することができました。
ー藤澤選手は過去にも『joy and sorrow 3』や『ReStart』といった作品でパートを残しています。同世代で3本もフルパートも残している人はなかなかいないのではないでしょうか?
それは、ただ私のいた環境が良かったんだと思います。小山のお兄さん方も、小学生の頃からたまにストリートに連れていってくれましたし、フィルマーのユリユリ(村井祐里)に出会えたこともすごく大きかったと思います。
最近ではDOBB DEEPというクルーにも誘っていただいて、赤羽(賢)さんにも撮影していただいてます。そうやって周りに多くのフィルマーがいるのはレアなケースだと思いますし、本当にありがたいなと思っています。
ーDOBB DEEPと言えば、日本のスケートビデオカルチャーの発展に重要な役割を果たした『Chatty Chatty』クルーがルーツですが?
そうなんです! 私、本当に『Chatty Chatty』が大好きで。そのくせ、こういうのはすごく恥ずかしいんですが、中学生くらいまで全然ビデオを見てなかったんです。
でもACTsbSTOREに行ったときに、お店で偶然『Chatty Chatty 4』が流れてたんです。戸枝さんのパートがはじまったら、お台場の有名なステア(階段)をポンポンといろいろなトリックで跳んでいて。
スケートボードをしてきて、他人をカッコいいと思ったことはこれまで何度かあるのですが、その中でも一番の衝撃でした。そこからすぐにDVDを買って夢中で観ていたら、友人から『Chatty Chatty 3』もプレゼントしてもらって。もう何度観たかわからないくらいです。
皆さん本当にカッコ良いし、でもアットホームな感じで、さらにFIREBALLさんとかレゲエの音楽もホームの湘南の雰囲気にすごくマッチしていて、「なんでこんなに素敵なんだろう。」って思ったんです。
そこから今までのスケート観が変わって、カッコ良く滑りたいって思うようになりました。撮影にも自分のこだわりが出てきましたし、スタイルをすごく意識するようになったんですよね。
今はDOBB DEEPでChatty Chattyの方々と一緒に撮影に行かせてもらう機会もありますけど、撮影中の雰囲気もビデオのままですし、そういう世界観も含めてすべてが大好きです。
なんかもうずっと眺めていたいくらいです(笑)。
スケートボードの魅力「多様性」
ーただスケートボードはビデオパートの撮影とコンテストではまったく違う活動になります。藤澤選手はそれぞれをどのように考えていますか?
ビデオパートに関しては自分を表現するじゃないですけど、自己満的なところがあるのかなと思います。
自分がやりたいことをやりたいところでやって、それを繋げていただいて好きな音楽を乗せて創りあげます。
なので作品というよりも、「私はこういう滑りをしますよ」とか、「こういうスタイルですよ」っていう名刺代わりみたいなものだと思っています。
それに対してコンテストは、自分のやってきたことを見せるわかりやすい場所という感じですかね。
ビデオパートは個性が全面に出るので、観る人によって評価は分かれますけど、コンテストは勝ち負けがダイレクトに出ます。だから出る以上は本気で勝ちにいく必要があると思いますし、自己満で終わらせてはいけないものだと思っています。それに勝つためには練習量はもちろん戦略なども必要になってきます。
でも私の場合は他人に勝つというよりも、自分に勝つためにやっている感じです。いかに自分にとってベストな滑りをするのかを意識して、その上で結果がついてきたら良いなと思ってます。
なのでビデオパートはカルチャーで、コンテストはスポーツという感じですかね。たまにスケートボードとは何なんだといった形でカテゴライズするような記事もありますよね。
でも、スケートボードはスケートボードだし、一括りにしないで好きにやりたいようにやれば良いと思います。そういう多要性がスケートボードの魅力ですし、私はどちらも好きなので、どちらも一生懸命やっています。
藤澤虹々可のライフスタイル
ー現在は高校も卒業されましたが、どのようなライフスタイルを送っているのですか?
だいたい朝8時くらいに起きて兄弟を幼稚園に送ったら、午前中に小山公園に滑りに行き、14時くらいには家に戻って、兄弟を迎えに行きます。夕飯を食べたらまた夜に小山に行くっていうのがいつものルーティーンです。
とくに誰かと連絡をとって一緒に滑るというのはあまりなく、1人で行ってその場にいた人と滑っています。だから1人で滑るときもあるんですけど、毎回モチベーションを保って練習するのは意外としんどいんですよ。
そういうときは音楽を聞きながらリラックスして滑ったりしています。それでも気分が乗らないときは、無理してやってもケガをするだけなので、カーブボックスとかリスクの少ないセクションをやるようにしていますね。
リスクのあるトリックは気分がノッてるときに練習するようにしています。あとは季節によっても違いはあって、コンテスト前は自分のできるトリックのメイク率を上げることを意識しています。逆に新しい技を練習したり、まったり楽しく滑るというのはシーズンオフが多いです。
ーではスケートボード以外のトレーニングは何かしていますか?
リハビリ期間中はほぼ毎日のようにジムに行って鍛えてたんですが、治ってからは滑るのが楽しすぎてずっと滑ってばかりなんです(笑)。でも今は寒いしケガのリスクも大きい季節なので、屋内ジムで汗を流すこともちょくちょくやるようにしています。
リハビリ期間中にしっかり身体を鍛えていたら、いざ復活したときもケガをする前と全然変わらない状態で滑ることができたんです。なので、かかりつけの先生に診てもらいながら、効率的な筋トレをするのはすごく重要だと思っています。
気の持ちようで上達スピードは変わる
ーでは次にビギナーの方に対しての質問をしたいのですが、上達するコツって何だと思いますか?
自分の場合は、小さい頃に親が常に見てくれたからここまで来れたと思っています。しかし、それ以上に「継続は力」だとも思います。
スケートボードは確かに難しいですけど、続けていればオーリーは高くなるし、フリップもできるようになります。とにかく練習が大事だと思います。
そこに一緒にやる友達だったり、環境面がプラスされたらさらに上達していくんじゃないでしょうか。ときにはつまらなく感じたり、裏切られるときもありますけど、地道に続けていれば必ず振り向いてくれるものだと思うのでコツコツとでもやってほしいなと思います。
ただ、それでもうまくいかなくて思い詰めながらやっても良いことはないので、オーリーがダメならランプをやってみるとか、リフレッシュしながらやるのもすごく大事かなと。
じつは私も思いつめがちな性格で、こういうことは実体験で感じているので、今壁にぶつかっている人は、そうやって気負いすぎず適度に力を抜いてみたり、環境を少し変えたりして楽しむってことを意識してほしいなと思います。
スケボーは気の持ちようで上達スピードアップが全然変わります。
私が尊敬する人
ー藤澤選手の同い年では西村碧莉選手が世界的に目覚ましい活躍を見せていますが、彼女のことはどう思っていますか?
碧莉に関しては本当に尊敬しかないですね。今でこそ海外のコンテストに日本人が複数人出ることは珍しいことではなくなりましたけど、数年前は碧莉1人っていう状況でした。そういう場にいるっていうだけでも凄いと思います。
それに西村家には個人的にもすごくお世話になっていて、コンテストでわからないことがあったらその都度教えてもらったり、ずっと一緒にいてケアしてくれたりとか、同い年だけど先輩のような感じです(笑)
何ごとにも動じないメンタルのタフさもそうだし、すごくしっかり者でもあるので、雄斗(堀米)君もそうですけど、これが海外のコンテストで結果を出す第一人者なんだなって感じですね。自分も早くそこに追い付きたいなって思います。
ー次はちょっと志向を変えた質問を。藤澤選手といえばメガネがトレードマークですが、なぜコンタクトではなくメガネなのですか?
ただ単に目が悪いというのもありますけど、私はドライアイ気味なので瞬きをしないで見ちゃうんです。
だからコンタクトだとセクションに入る瞬間に霞んじゃうんです。だから眼鏡なんですよね。あとは目が小さいので、眼鏡をすることでそれがカバーできればなって(笑)。
お化粧とかもしたいんですけど、案外めんどくさがりなのでそのままが多くて。でもそこはオンナのコなので、もちろんちゃんと勉強したいなと思ってますよ♡
オリンピックを目指すもうひとつの理由
ースケートボード以外のプライベートは何をしているのですか?
弟と遊んでるって感じですかね。私は4人兄弟の一番上なんですけど、3つ下に妹がいて、さらに3歳と4歳の弟がいるんです。弟2人は母親が再婚してできた子どもなので歳が離れているんですけど、もう本当に自分の子どものように可愛いんです。
それに偶然にも誕生日が私と一緒なんです。兄弟3人が同じ誕生日っていうのはなかなかないので、毎年バースデーパーティーは賑やかですよ。
あとは嵐!
とくに二宮くんが大、大、大好きなので、ひたすら音楽聞いたり映像見たりしてます(笑)。もちろんコンサートも経験済みです。じつは、私がオリンピックに出たい理由のひとつに「嵐に会いたい」っていうのもあるんです。
私が嵐に会うには、オリンピックに出て有名になるのが一番の近道だと本気で思っているので。例えコンテストで嫌なことがあっても「ココで折れたら嵐に会えないんだ!!」って自分を奮い立たせてるんです。それくらい本当に大好きなんです♡。
ー可愛らしいイマドキのオンナのコですね。では話は変わってオリンピックについて聞きたいのですが、藤澤選手はご自身、また日本の現状をどう思っていますか?
日本全体でいうと、みんなに共通していえることは日本人は大会向きだということ。海外の人はノリでやっているというか、「今日は練習しなくていいや」ってのが大会の3日前とかでも普通にあるんです。
印象的だったエピソードがあって、シドニーでやってたX GAMESのとき、会場が屋外だったので日中はとにかく暑かったんです。それでも練習時間は決まってるので、私と碧莉(西村)は普通に練習してたんですけど、結局私たちだけだったんです。
日本人ほど生真面目な人種っていないんですよ、とくにスケートボードの世界では。以前TAMPA AM(※1)について書かれた記事でも同じような内容が書かれていたので、そういった国民性がスケートボードのコンテストと相性が良いんだと思います。
雄斗くんとかを見ててもいつも淡々と上げていってますし、そういった姿勢は諸外国にはない部分です。オリンピックでのメダル獲得も本当に現実味がある話だと思いますし、私も少しでもそこに近づいていかなきゃならないと思っています。
※1 毎年アメリカのフロリダ州タンパで開催されている世界最高峰のアマチュア大会
2021年は大会モードにシフトしてスタイルを磨く
ー現在、注目している選手はいますか?
私からしたら皆さんスゴいので、特定の人はいないですね。あまり周りを見過ぎると凹んじゃうんで見ないようにしてるんです(笑)。
そのかわり、とにかく自分の持ち味を活かすことを心がけてます。それは小さい頃から母親にいわれているスピードなんですけど、スピードがあったら絶対カッコいいからいわれ続けてきたので、意識的に取り組んできました。
だから今もそういった部分が潜在的にあると思いますし、ガールズの中ではそういった迫力みたいなものはある方なんじゃないかなと思っています。だから今年はコンテストでもっと評価してもらえるように、スタイルを磨いていきたいなと思っています。
ーありがとうございました。では最後に今年の豊富と、将来スケートボードでどんなところに関わっていきたいか聞かせてください。
今はまた新型コロナウイルスが猛威を奮っていますが、今年はコンテストが多く開催されると思うので、そっちにシフトして大会モードでしっかりと調整していきたいと思います。
去年はケガから復活してビデオパートで結果を残せましたけど、コンテストとビデオパートの撮影では練習方法が異なるので、しっかり切り替えて”勝つ”ための滑りをしたいなと思っています。
将来に関しては今と同じで変わらずスケボー中心で生活していたいです。どういうか関わり方になるのかはわからないですけど、いつか自分でスケートボードに関する会社を立ちあげてみたいです。
そのためにも、今のうちから必死に、ガムシャラに取り組まなければ道は開けないと思っているので、ベストを尽くしていきたいと思っています。
Profile: 藤澤虹々可(ふじさわ ななか)
2001年11月8日生まれ 神奈川県相模原市出身 スポンサー:adidas skateboarding、meow skateboards、push grip、Lafayette、act sb store。
ガールズレベルを超越したスピーディーかつダイナミックなライディングが持ち味。2019年の全日本選手権で優勝し、東京オリンピックに向けた強化指定選手として活動しているだけでなく、19歳にしてストリートで収録したフルパートを3本も残し、オンラインの世界戦でも優勝するなど映像作品制作とコンテストの双方で活躍するハイブリッド。チャームポイントのメガネルックと温厚かつ人情味あるキャラクターで多くの人物から愛されている日本を代表するトップガールズスケーターの1人。
※このインタビューは2020年12月に取材撮影を行った記事になります。
ワールドワイドオンラインコンテスト優勝から五輪予選へ。 スケートボーダー 藤澤虹々可 Part1
ワールドワイドオンラインコンテスト優勝から五輪予選へ。 スケートボーダー 藤澤虹々可 取材録パート2
ライター
吉田 佳央
1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。