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青木勇貴斗選手と根附海龍選手は、東京五輪スケートボード強化指定選手に選出され、活躍が期待されている若手選手です。今回は取材から彼らの強さの根源にあるものに迫りたいと思います。

2人揃って強化選手に

 

ーまずは簡単におふたりの自己紹介からお願いします
青木:青木勇貴斗です。17歳で出身は静岡県の清水です。スケート歴は11年。小学校6年生の時にAJSA(日本スケートボード協会)のプロライセンスを獲得したので、プロ歴は5年目になります。

昨年は年間ランキング1位を獲得することができました。合わせて全日本選手権も優勝したことで、オリンピックに向けた強化指定選手としても活動しています。さらにSTREET LEAGUEという世界最高峰の国際大会にも決勝に残ることができたので飛躍の1年になりました。

根附:根附海龍です。同じく17歳で出身は静岡県島田市です。スケート歴は10年、プロ歴は4年目です。

去年はAJSAのプロ戦や湘南オープンという国内最高峰コンテストで優勝できただけでなく、TAMPA AM(※1)でも優勝することができたので、飛び入りで強化指定選手に選んでもらうことができました。
※1 全世界から有望な若手が集まる世界最高峰のアマチュアコンテスト。

 

スケートボードを始めたきっかけ

ーではスケートボードを始めたきっかけはなんですか?
青木:父親がダンサーでもともとストリートカルチャーが好きだったんです。その影響で父が観てたDVDにスケートボードのシーンがあって、それを見た時に「なんだコレ! めちゃめちゃカッコイイ!!」って思ったんです。

すぐにおねだりしてトイザらスでおもちゃのスケボーを買ってもらったのがスタートです。5歳の頃です。

根附:僕は叔父がスケボーをやっていたので、物心ついた頃から自然と見ていたんです。だから最初はそのデッキ(ボード)を借りて座りながら乗ったりして遊んでいました。

それがすごく楽しかったから、本格的にやりたいなって思い、地元の島田市というところの河川敷でやっていたスクールに通うところから始めました。それが6歳の頃ですね。

ーどの瞬間に「スケートボードにハマッた!」と感じましたか? スケートボードの楽しさについて聞かせてください。
青木:スケボーを始めた当初は、楽しかったんですが実はそこまでハマっていなかったんです。ただ家の近くにあるエスパルスドリームプラザという場所にあるスケートパークに行くようになって変わりました。

そこで原悠真くんに声をかけてもらったんです。スポンサーがつくくらい上手で凄く顔が広い人だったので、それががきっかけで大人の人達がよくしてくれるようになって、どんどん夢中になっていったんです。

悠真くんとドリームプラザのパークがなければ今の自分はないって言い切れます。

根附:自分は河川敷のスクールでしっかりと基礎を教わることができたからです。ドロップイン(※2)にしても講師の人がしっかり手を持って支えてくれたりとか丁寧に教えてくれたので、オーリーのモノ越えとかも割と早くできるようになりました。

スケートボードは難しいから、楽しいって思えるレベルに到達できずにやめてしまう人も多い中、身近にスケートパークとスケートスクールがあるという恵まれた環境にあったのが大きかったと思います。

※2 テールをコーピングに掛けてプラットホームからアールと呼ばれる湾曲面に滑り降りるトリック。基礎ではあるが最初は恐怖心から腰が引けて転んでしまい、ケガにつながりやすい。

ふたりの出会い

青木勇貴斗 & 根付海龍

ー2人はどんな形で出会ったんですか?
青木:スケボーを始めて1年くらい経った頃、ある程度できるようになったから他のパークにも行きたくなって、お父さんに藤枝のスケートパークまで連れて行ってもらったのが最初です。

その時、海龍は家族と一緒に来てて、一人だけメガネかけてたのがすごく印象的でした。ただ他にも同じくらいの年齢の小さい子が多く滑ってた中で、一人だけいろんなところからドロップしてたり、乗れてる動きでしたね。

根附:自分もその時ははっきり覚えています。確か始めて半年くらいで自分はまだまだだったんですけど、勇貴斗はその頃からフリップとかバンバンやっいて、ただひたすらスゴイなって思って見てました。

だからその時は絶対年上だと思ったんですけど、後々話したら同い年だと知ってすごく驚いた記憶があります(笑)

ー出会った当初からよく一緒に滑ってたんですか? あと2人はどうやってスケートボードを上達させていったんですか?
根付:どれくらいだったかな。でもそんなにすぐではないよね!?

青木:うん。いきなり仲良くなったわけではなくて、その後も浜松にある花川スケートパーク(現 S.L.パーク)に滑りに行った時にもバッタリ会ったりしてたので、その流れで自然と話すようになっていったって感じです。

県内であったスケートイベントにも海龍は必ず来てたし、普段の土日も連絡取り合ってないのに会うしで、見るたびに上手くなってるからそりゃ仲良くなりますよ。

後は、2011年にF2Oパークができたのが大きかったです。F2Oがキッズの育成に力を入れていたのもあって、自分は中坂優太くんというプロスケーターのスクールを受けるようになったんですけど、同じように海龍も受けに来てたんです。

そこで急速に仲良くなっていきました。その後自分は努力を認めてもらってF2Oのライダーになったんですけど、後を追うように海龍もライダーになって、さらに頻繁に会うようになったんです。

当時は静岡の中部地方に屋内パークはF2Oしかなかったので、そこで平日の放課後とかも毎日のように会って一緒に滑るのようになっていきました。そこで2人ともスキルが急激に伸びていったんです。

 

プロ資格はキャリアのスタート

青木勇貴斗 & 根付海龍

ー2人とも幼くしてプロ昇格を果たしましたが、自分がプロ昇格権を得たの気持ちを教えてください。
青木:プロ昇格は全日本アマチュア選手権で予選と準決勝を突破した人に与えられるんですけど、確か準決勝の通過が8人中6位で結構ギリギリだったんですよ。だから嬉しいっていう気持ちよりも、ホッとした気持ちの方が強かったですね。

もしここで昇格権を得ることができなかったら、また1年かけて地区サーキットっていう予選的な位置付けのコンテストから戦う長い道のりになるので。それに自分はその頃から目標というか夢はSTREET LEAGUEだったので、またひとつ階段を上がることができたという意味でも安堵感に包まれた気持ちでした。

根附:当時の自分はプロになることが大きな目標のひとつだったので嬉しかったですよ。それと安心したの気持ちが入り混じってました。

ただもちろんプロになることがゴールではなく、これからが本格的なキャリアのスタートだと思っていたので、すぐに気持ちを切り替えて周りの先輩プロに負けないようにもっと頑張っていこうと思いました。

 

何言ってるんだよ! 出なきゃダメでしょ!!

青木勇貴斗 & 根付海龍ープロに上がるには1年の差がありましたが、お互いが昇格した時はどんな気持ちでしたか?
根附:勇貴斗が上がった年、じつは自分も初めて全日本アマチュア選手権に出たんです。でも初めてというのもあってプロ昇格を狙うと言うよりも、まずは全国のレベルを知るというニュアンスの方が強かったんです。

自分はそんな状態だったのに勇貴斗は昇格したので、純粋にスゴイな。自分もいつか上がりたいなという感じでした。

ただ翌年からは地区サーキットでも勝てるようになってきたし、全国のレベルも一度経験したので、「これならイケる!」 と思って本気で狙いに行って、翌年昇格することができたんです。

青木:当時の自分は海龍を見てる余裕なんてなかったんです。プロ1年目は周りの先輩プロの圧力とスキルの高さに圧倒されて、正直なところだいぶ喰らってて、必死に練習してた記憶の方が圧倒的に強いんです。

でもその前年に自分がプロに昇格した時なんですけど、海龍は出るかわからないみたいなことを自分に言ってたんです。だから俺はその時には、「何言ってるんだよ! 出なきゃダメでしょ!! 」って言って。

自分が昇格することでハッパをかけてやる! と思ったんです。だから1年遅れて海龍が上がってきた時は、余裕がなかったとはいえ、これで静岡がもっと盛り上がると思ったし、一緒にプロ戦に出れるのがすごく楽しみになりました。

それもあって2年目は最終戦で初めて表彰台に上がって2位になることができて、プロでもやっていける!! っていう自信がついたんです。

 

スケートボードのための高校選び

青木勇貴斗 & 根付海龍

ーそこからは2人とも成長して高校生ですが、学校生活との両立はどのようにしていますか?
根附:自分は私立ですけど、スケボーの大会とかがない限り普通に週5日全日制の高校に通ってますよ。でも放課後は毎日必ず東静岡のパークに行ってます。

自分はあの規模のパークが静岡市街にできたからこそ、パークへのアクセスの良さも高校を決めるひとつのきっかけになりました。それに元々サッカーとか野球の強豪校なので、スポーツで優秀な成績を納めた生徒は優遇してくれるんです。

自分がTAMPA AMで勝った時の新聞記事とかも校内に飾ってくれてます。純粋に嬉しいです。

青木:自分はスケボーのために高校を選びました。中学3年生の時点でプロ戦でも結果を残せるようになっていたので、高校生の頃には独り立ち出るくらい稼げるんじゃないかって思ってたんです。

それもあって普通の高校からスポーツ推薦も来ていたんですけど、父親とも担任の先生とも相談して週3で通う単位制の高校に入学することに決めたんです。

今通ってるところは特待生として学費も優遇してくれているので、そういう面でも自分のスケートボードの活動を支援してくれていますね。

 

Profile:

青木勇貴斗(あおき ゆきと)
2003年9月4日生まれ。静岡県静岡市清水区出身。スポンサー:Element、éS、Triple 8、Royal Trucks、SPITFIRE WHEELS、the bearings、XLARGE。

5歳の頃に父の影響でスケ-トボードに出会い、幼少期から様々なコンテストに出場。小学6年生で日本スケートボード協会のプロ資格を獲得すると、中学2年時には初の表彰台に輝く。その後も国内トップ選手として活躍し続け、2019年には世界最高峰のSLSで決勝進出を果たしただけでなく、AJSAでも年間ランキング1位に輝き、WORLD SKATE JAPAN主催の全日本選手権でも優勝。五輪に向けた強化指定選手に選出され、世界を舞台に活動中。世界ランキングも現在13位と五輪出場を射程圏内に捉えている。彼の得意技であるトレフリップを駆使した複合トリックは世界屈指の完成度で、まだまだ伸びしろも十分の期待の若手。

根附海龍(ねつけ かいり)
2003年8月19日生まれ。静岡県島田市出身。スポンサー:HIBRID SKATEBOARDS、DC、INDEPENDENT TRUCKS。

叔父の影響で6歳の頃にスケートボードに出会い、地元の島田市やf2O parkのスクールを通じて飛躍的にスキルアップ。中学1年生で日本スケートボード協会のプロ資格を獲得した後も順調に成長を続け、AJSAプロツアーやCHIMERA A-SIDE、湘南オープンといった国内トップ選手が集うコンテストでも軒並み優勝。さらに2019年には世界中のトップアマチュア選手が集うTAMPA AMでも優勝を飾り、飛び入りで五輪に向けた強化指定選手に選出。逆転での五輪出場を狙うダークホースとして注目を集めている。彼のヒールフリップを駆使した数々の複合トリックは必見で、オリジナリティー溢れるライディングが最大の持ち味。

 

東京オリンピック強化指定選手、競い合い、高め合い、励まし合える最高の仲間。 【スケートボード 青木勇貴斗 & 根附海龍 】取材記②

東京オリンピック強化指定選手、競い合い、高め合い、励まし合える最高の仲間。 【スケートボード 青木勇貴斗 & 根附海龍 】取材記③

スケートボードはまだ学校の部活になるには至っていないものの、昔でいう少年サッカーや少年野球のような位置付けにスクールが存在するようになり、優秀な生徒は推薦で高校に入学できる時代になりました。そして良いスクールとの出会いは、スキルの向上だけでなく、彼らのような一生の友人・ライバルとの切磋琢磨する環境作りにも繋がります。オリンピックを経て一般認知度がさらに上がった先には、中学や高校にスケートボード部ができているかもしれませんね。

ライター

吉田 佳央

1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。