ジビエが流行りつつある裏側では、野生動物の増加による獣害、猟師の高齢化といった深刻な問題が静かに広がっています。その現場の空気を自分の足で確かめるため、猟師の”勢子(せこ)”とともに山へ入りました。冷たく澄んだ空気、落ち葉の上にうっすら刻まれた獣道、そして目には見えない命の気配に耳を澄ませる緊張感——。ジビエの一皿の向こう側には、自然と向き合い、守ろうとする人々の覚悟が確かに息づいていました。この記事では、狩猟の現場で見えてきた、猟師の仕事の意義やジビエがなぜ環境保全につながるのか。その答えを、山での体験を交えながら伝えていきます。
山に入る——勢子と歩いた“狩猟の朝”

猟師の朝は早く、複数人で狩りをする”巻狩(まきがり)”をする場合、勢子は獲物がいるかを確認するために夜明けとともに山に入ります。この日、私は勢子の猟師さんとともに山へ入りました。
勢子とは、猟犬と一緒に獲物を追い出す役目です。獣道や斜面の形、風向きなどを読み、獲物がどこへ逃げるかを予測しながら、射手へと導くように山を動きます。山を読み解く力が求められる仕事だと、教えてもらいました。
猟犬の声が森を揺らす“巻狩”のはじまり
落ち葉が踏む音しかしない山のなかで、猟犬は匂いに反応して素早く走りだし、遠くで声が響きました。その声は甲高いものの、全力で吠え立てるような荒々しさはなく、喉の奥で抑え込むような、緊張をはらんだ吠え方です。
巻狩は、猟犬が獲物を見つけて追い上げ、その動きを勢子や射手が読み合いながら進めていきます。
耳を澄ませると、犬の声が森を移動するように響き、山全体がざわりと揺れ始めます。「鹿が出たな」犬の声の高さで鹿が出たのかイノシシが出たのかがわかると聞き驚きました。狩猟の朝が本格的に動き出したのです。
匂いと足跡と風で読み解く、獣の気配

イノシシの寝床
しばらく進むと猟師さんが足を止め、呟きました。「ほら、これが今朝の足跡だ」
よく見ないとわからないうっすらと残る獣道。なにか獣の匂いがするなと思っていたら「ここが寝床だ」という丸い跡がありました。獣が近くにいるときは、山の空気の“濃度”がほんの少し変わります。
匂い、足跡、風向き、そして犬の声。勢子はそれらを重ね合わせ、獣が逃げる先を読み解くのです。
地図にない道を進む——山が導くままに
猟師さんの後ろを歩いていると、整備された登山道とは違い、そこに道はありませんでした。倒木をまたぎ、背丈ほどの笹をかき分け、斜面に刻まれたわずかなへこみを辿っていきます。
「ここは鹿がよく使うクセ道だ。尾根に上がるときの定番ルートなんだよ」
そういわれなければ絶対に気づけないほど、跡はかすかなものでした。猟師さんにとって山は、線のない地図のようで、地面の起伏や植生のわずかな変化から獣の動きを読み取っているのだと伝わってきます。
勢子はただ獣を追うのではなく、山と獣の動きに自分を合わせて、自然と一体になりながら獣を射手の方向へと導いていく――それが勢子の仕事でした。
緊張が静かに張りつめる、命との駆け引き
犬の声が近づいたと思った瞬間、目の前に鹿が飛び出してきました。「バァン!」テレビで聞く銃声の何倍も激しい音が鳴り響き、思わず声が出ました。血相を変えて逃げる鹿、遠くで再び鳴る銃声。犬の声は遠ざかり、獣は別のルートへ走り抜けたようでした。張りつめていた空気がゆるみ、私はゆっくりと息を吐き出しました。
獣は私たちの存在を察し、こちらもまた命と向き合う姿勢を強いられます。互いの気配だけで動く、短くて濃密な駆け引きの時間でした。狩猟は、獲物を得るかどうかの一瞬だけではありません。その一瞬に至るまでの、「読む」「歩く」「感じる」の積み重ねこそが術なのです。
山を出るころ、空気は少しだけ柔らかくなっていました。勢子と歩いた初めての狩猟の朝は、山の奥深さと、人が自然と向き合う覚悟を静かに教えてくれた時間でした。
なぜ狩猟が必要なのか?里山で起きている環境問題

狩猟というと、「獲るための行為」というイメージが先に浮かびますが、実際には、もっと大きな役割があります。人と自然が共に暮らしてきた里山の環境を守るための“調整”という側面です。
山の猟師さんはこう話してくれました。「獣害が増える前から、狩猟は生態系のバランスを保つ手段として行われてきたんだよ。人の手が入らなくなった山は、逆に一気に傾く」
人が里山の手入れを続けてきたからこそ、動物も人も暮らせる状態が保たれてきました。それが今、崩れつつあるのです。
畑に忍び寄る影——農家を苦しめる獣害
私が今回歩かせてもらった山も、かつては畑と果樹が豊かな土地でした。
「昔はこの斜面一帯がみかん畑でね、向こうには栗の木がずらっと並んでいたんだ」
猟師さんは、今は笹が揺れるだけの斜面を指差して教えてくれました。しかし、鹿やイノシシが増え続け、さらにこの地域では人口が減ったため手入れが追いつかず、畑は徐々に消えていったのです。
山には食べ物が足りなくなり、動物たちは民家や畑へ降りてくるようになりました。柵を設けても突破され、畑が一晩で壊滅……そんな話が珍しくないほどです。農家さんが育てた作物や里山に人が住み続けられる環境を守る上でも、狩猟は必要な役割を果たしているのです。
下草が消え、森が痩せていく
獣害は農業だけではなく、森そのものにも深刻な影響を与えています。鹿が下草や若木、木の皮まで食べてしまうため、新しい芽が育ちにくくなり、森の“世代交代”が起きにくくなっています。私が歩いた尾根でも、鹿が幹を食べた跡がいくつもあり、イノシシが地面を掘り起こした跡も。
「この木は鹿に根っこまで食べられてるから育たないんだ」
猟師さんの言葉に、山の変化の速さを実感しました。下草が消えると土がむき出しになり、雨が降るとそのまま流れ落ち、土砂崩れの原因にもなります。森が痩せていくことは、動物たちにとっても、山のふもとの人々にとっても大きなリスクにつながります。
狩猟は怖いだけじゃない――勢子が語った命との向き合い方

銃や罠、血のイメージから、「狩猟=怖いもの」と感じる人は少なくないでしょう。実際、命を奪う行為が伴う以上、その緊張感や重さから目をそらすことはできません。けれど山に入り、勢子の背中を追いながら話を聞くうちに、その印象は少しずつ変わっていきました。そこにあったのは、力で自然をねじ伏せる姿ではなく、葛藤を抱えながらも山と地域に向き合い続けるひとりの人としての姿でした。
「獲る」という行為の倫理と葛藤
「好きで殺してるわけじゃない。必要だからやってるんだ」その声には、単純な肯定でも否定でもない複雑な感情が滲んでいました。
“生きているものを奪う”という行為は、理屈だけでは片づけられない重さを伴います。撃つ瞬間、罠を確認する瞬間、そのひとつひとつに迷いやためらいがある。それでも猟師は、獣害という現実から目を背けず、山と人の暮らしを守るために、あえてその役割を引き受けているのです。
猟師が語る命の重さと山への敬意
狩猟とは、単に命を奪い、食べるという行為ではありません。それは、山に入る者としての覚悟と姿勢そのものだと、勢子は語ります。
「獣の命は、本来、人が都合よく奪っていいものじゃない」
だからこそ、「山に入らせてもらっている」という感覚を決して忘れてはいけないのだと。
命の重さとは、感傷で語るものではなく、行動で示し続ける責任。山への敬意とは、征服ではなく、互いの距離感をわきまえること。
狩猟という行為のなかには、山と関わるすべての人に通じる教訓が、確かに込められているように感じました。
ジビエが環境に優しい理由

狩猟の現場では、ただ動物を捕るだけではなく、「命をどう扱うか」という姿勢が常に問われています。その答えの一つが、ジビエという循環の形です。
捕獲された命を無駄にしない循環
捕獲した鹿やイノシシは、猟師たちの間で分け合い、余すことなく活用されます。肉は殺菌のために一度冷凍してから料理したり、ジャーキーに加工したりと幅広く使われています。
角や皮はアクセサリーや敷物として新たな役割を得て、残った骨や内臓はその場に埋め戻すことで、野生動物の食料となり自然に還す。こうした一連の流れを知ると、山で失われた命が別の形で生き続けるのだとわかります。
持続可能なタンパク源としてのジビエ
これから人口が減り、輸入に頼る食が不安定になるとき、ジビエは小さくても確かな選択肢になります。自然のなかで育った野生動物の肉は、家畜とは違う生態系の一部。環境負荷を増やすことなく得られるタンパク源として、可能性を秘めているでしょう。
こちらの記事でも詳しく紹介しています。→ジビエ文化から学ぶ。山の命の向き合い方と新たな循環のかたち
狩猟の未来が抱える課題

山を歩きながら、勢子がふとつぶやきました。
「この山を歩けるのも、あと何年かなぁ。そろそろ引退だな。」
冗談めかしていましたが、その声の奥には、静かな焦りのようなものが滲んでいました。
高齢化と後継者不足
今回同行した猟師のみなさんの平均年齢は約70歳でした。ベテランという言葉では足りないほどの経験を持つ方ばかりですが、その背中に積み重なった年月の重さも感じずにはいられませんでした。
山には山ごとの表情があり、どこに獣道が走り、どんな風が抜け、どこに動物が身を潜めるのか──そうした地図にない情報は、長年の経験から体に染み込ませていくものです。しかし、こうした技を受け継ごうとする若い人は決して多くありません。
銃の所持許可を取るハードルの高さ、猟具や保険の経費、そして命を扱う責任の重さ。どれも簡単に踏み出せるものではありません。わが家でも狩猟をするため銃を管理していますが、毎年警察からの厳しい監督を受けています。
「本気でやれる若いやつがいないんだ。でも、誰かがやらないと山は荒れていく。」
勢子の言葉は、深く胸に残りました。
処理・衛生管理の課題
ジビエを”食”として地域に循環させていくためには、徹底した衛生管理が欠かせません。野生動物は病原体を保有するリスクがあり、解体の手順ひとつで安全性が大きく左右されます。
しかし、こうした工程を適切に行うための処理施設は多くの地域で不足しています。捕獲した獣を運び、衛生基準に沿って処理し、冷却・保存・検査……どの工程も専門知識と設備が必要で、猟師にとっては山仕事とは別の大きな負担になっている現状があります。
「もっと流通させたくても、設備が整わないとどうにもならないんだ」
そんな声には、「獲った命を無駄にしたくない」という切実な思いが込められていました。
もし担い手が減り、処理体制も整わないままであれば、里山の環境はさらに悪化し、獣害も、森の崩壊も、今より深刻になってしまいます。狩猟は、趣味や伝統文化でもありますが、同時に、地域の自然と暮らしを守るための大切な営みでもあるのだと、勢子の姿を追いながら強く感じました。
「いただく」から始まる自然への向き合い方

以前からジビエは食べていましたが、森を歩いたあの日から、肉を食べるときの感覚が少しだけ変わりました。その一皿の向こう側に、獣の気配や、人の祈りのような営みがあることを知ったからです。
ジビエを選ぶことは山にいる誰かの小さな支えになり、自然との距離をほんの少しだけ縮める行為でもあります。私たちの「いただきます」は、山と人がこれからも共に生きるための一歩なのかもしれません。
ライター
yuki
幼少期からキャンプや釣り、スキーなどを楽しむアウトドアファミリーで育つ。10代後半は1人旅にハマりヨーロッパや北米を中心としたトラベラー期となる。現在もスキー、スノーボード、ダイビングなど海や山で活動中。「愛する登山」は低山から厳冬期の雪山まで季節問わず楽しむhike&snowrideなスタイル。お気に入りの山は立山連峰!Greenfield登山部/部長の任命を受け部活動と執筆活動に奮闘中。