大原洋人(おおはら・ひろと)。1996年11月14日生まれ。東京2020オリンピック・サーフィン競技の会場となった千葉県一宮町で育つ。8歳のとき、両親の影響から本格的にサーフィンを始め、13歳のときに日本プロサーフィン連盟(JPSA)のプロ資格を取得。その後は世界を転戦し、2015年には歴史あるUS Openで日本人として初めて優勝。2021年には東京2020オリンピックにも出場し、5位入賞を果たした。2024年パリオリンピックでのメダル獲得と、WCT入りを目指して現在も挑戦を続ける。
東京2020オリンピック前とその後
―東京2020オリンピックでメダルには惜しくも届かなかったものの、5位入賞。地元出身のオリンピアンとして活躍しました。その後はこれまでどんな競技活動をしてきたのでしょうか?
オリンピックでのサーフィンは競技日程が短く、ウェイティング期間もなかったので、あっという間に終わったという印象です。その後は少ししてから、ワールド・サーフ・リーグ(WSL)が行うチャレンジャーシリーズ(CS)の大会に出場していました。
CSは、サーフィンの世界最高峰ツアーのチャンピオンシップツアー(CT)に入るために勝ち上がらなければいけない大会。昔からの夢がCTに入ることなので、去年もなんとか戦っていましたが、上位に食い込むことはできなくて・・・。引き続きCTを目指して頑張っていく感じです。
―少し遡りますが、大原選手といえば、2015年に日本人として初めて歴史ある大会、USオープンで優勝を果たしました。そのときもCT入りに近いところまでいきましたよね?
そのときはまだサーフィンがオリンピック競技になっていないころで、自分にとっての最大の目標がCT入りでした。まぁ、今もそうなんですけど。
ただ、その年はUSオープンで優勝した以外は成績が良くなかった。間違いなくCT入りのチャンスだったとは思うんですけど、まだ何かが足りなかったということなんでしょうね。
―その後、CT入りは果たしていないものの、日本人男子のトップサーファーとしての成績を残してきました。
前まではツアーのシステムが今と違っていて、CSというカテゴリーがなく、クオリファイイングシリーズ(QS)のランキングでCT入りが決まっていたんですけど、USオープン優勝の後はずっとQSランキングの30〜50位を行ったり来たりしていました。
自分の中では明らかにUSオープン優勝のころよりも上達しているという実感はあっても、なかなか結果として出なくて・・・。もちろんもどかしさもあります。
やっぱり相手選手もあることだし、自然相手の競技でもあるので、なかなか思いどおりにはいかないですね。それでも自分が選択していること、行動に移していることを信じてやるしかないと思っています。
更なる飛躍のために
―大原選手としては、課題は何だととらえていますか?
うーん、なんだろう・・・。安定感も課題のひとつかなと思います。自分のサーフィンや戦略が、波とかとばっちりハマったときは勝ち進んでいける。だけど、毎回そんなにハマるわけじゃない。だからこそ、ハマらないときでもしぶとく勝ち上がれるサーフィンをしていかなきゃいけないと思っています。
そのためには、自分が苦手な波でも安定したサーフィンをしていく必要があるし、ヒート中にどんなシチュエーションになっても逆転できる戦術を幅広く身につけていく必要が出てくる。そのベースとなるサーフィンのスキルも当然上げていかなきゃいけない。
でも、4人ヒートや3人ヒートだったら、2位通過でもいいんですよね。8点以上のエクセレントスコアを2本まとめて、圧勝で1位通過しても優勝できるわけじゃないですから。そうやって割り切りながら安定して勝ち上がっていける人が、結局CTに入るんだと思います。とは言っても、CSで戦う選手はCT選手だったり、元CT選手だったりするので、簡単じゃないんですけどね。
―プライベートではご結婚もされ、お子様にも恵まれました。
そのことがモチベーションになっているのは間違いないです。家族のために頑張って、結果を残していかなきゃいけない。
今年のCT入りは無理でしたけど、来年に向けてまたイチから立て直していこうと思っています。その先にはパリオリンピックもあります。今度は出場するだけでなく、絶対にメダルを獲りたい。どんな色でもいい。東京2020オリンピックのときは5位に入賞しても、メダルを獲れなかったことの悔しさの方が大きかったですから。
この記事を書いた人
中野 晋
サーフィン専門誌にライター・編集者として20年以上携わり、編集長やディレクターも歴任。現在は株式会社Agent Blueを立ち上げ、ライティング・編集業の他、翻訳業、製造業、アスリートマネージング業など幅広く活動を展開する。サーフィン歴は30年。