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思い起こせばすでに1年近く前。東京2020オリンピックのサーフィン競技が千葉・釣ヶ崎海岸で開催されました。残念ながら無観客となり、フェスティバルも行われませんでしたが、会場内で働いた筆者だからこそ見えた、オリンピック・サーフィン競技の舞台裏を綴っていきます。
執筆:中野晋
プロフィール 
中野晋(なかのすすむ)サーフィン専門誌にライター・編集者として20年以上携わり、編集長やディレクターも歴任。現在は株式会社Agent Blueを立ち上げ、ライティング・編集業の他、翻訳業、製造業、アスリートマネージング業など幅広く活動を展開する。サーフィン歴は30年。

目の色を変えるオリンピアンたち

サーフィン オリンピック

出典 isasurf

オリンピックに出場した選手は、練習やヒートの後、ミックスゾーンと呼ばれるエリアを通過しなければならないという決まりがあります。ミックスゾーンは各国メディアが選手たちに取材をするスペース。つまり選手とメディアが交わる(ミックスする)ゾーンで、だからこそこう呼ばれているわけです。

サーフィン オーウェン・ライト

出典 isasurf

私が働いていた場がここ。普段はメディア側の立場でもありますが、オリンピックのときはスーパーバイザーという、いわばメディアをコントロールする立場でした。それがゆえに、メディア向けではない、選手たちの素顔や本当の感情が垣間見える瞬間に立ち会うことができました。

試合が始まる前、練習日の段階で波のコンディションは腰〜腹 のスモールウェーブ。選手たちはまだ初めてオリンピックという舞台に立てる喜びを噛み締めているようでした。選手同士が和気あいあいとしていて、どこか浮き足立っている。そんな印象は否めませんでした。

しかし、そんな雰囲気も試合が進むにつれて一変。選手たちの目の色は明らかに変わっていきます。メダルを取りたい、金メダリストになりたい。選手たちが本来持っている闘争心が前面に出てくるようになったのです。

しかもオリンピックはこれまでのサーフィンの歴史では珍しい部類に入るワン・イベントでの決着。通常のWSL(ワールドサーフリーグ)のツアーにおいて「次、がんばろう」という気持ちの切り替えは非常に重要ですが、たった一回のイベントで人生を左右するかもしれないほど重大な結果が出る。この事実はオリンピアンたちをいつも以上に本気にさせたと感じました。

 

ツアーでは見られない光景

サーフィン 五十嵐カノア

出典 isasurf

そのことが如実に知れたのは、敗退したときの選手たちの涙です。特に女子選手の中には、人目をはばからず涙を流す選手がいました。経験上、ツアーにおいてひとつのイベントの結果で嬉し涙ではなく悔し涙を流すということはほとんどありません。メディアでその姿が映し出されたかどうかわかりませんが、泣いている選手がいるというのはとても印象に残った光景です。

ブラジル人のガブリエル・メディーナの悔しがりかたも尋常ではありませんでした。彼はこれまでWSLで3度の世界チャンピオンに輝いたスーパースター。当然、オリンピックでも目指していたのは金メダルでしょう。史上初のサーフィン金メダリストになるということは、彼の悲願だったはずです。

それが準決勝で脆くも崩れました。日本代表の五十嵐カノアと対戦し、終始ヒートをリードしていたものの、終盤に打点の高いフロントサイドのエアリアル・フルローテーションを決められ、逆転を許したのです。
敗退したヒート後、海から上がってきたガブリエル。

しかし、いつまで経っても“必ず通らなければならない”ミックスゾーンに姿を現しません。勝ち上がった日本のカノアはとっくに取材対応を終えて、選手エリアに戻っていきました。

ミックスゾーンではガブリエルへのインタビューをもくろむメディアたち、主にブラジルメディアが今か今かとガブリエルを待ち構えています。海ではすでに次のヒートが行われています。「まさかこのまま来ないのか」と思ったころ、ガブリエルがようやく現れたのですが、駆け足でミックスゾーンを通り抜け、取材をひとつも受けずに選手エリアに戻っていったのです。

それも、ブラジルチーム関係者の説得を振り切って。実は、ミックスゾーンを通りさえすれば取材を受ける・受けないは選手個人の裁量に任されているので違反ではないのですが、それまでひとりたりともミックスゾーンで取材を拒否した選手はいません。それだけガブリエルの行動は異例だったということ。

しかも、ガブリエルがブラジルチーム関係者に伝えた言い分は、「喉がカラカラだからすぐに水を飲みたい、水を飲んだら戻ってくる」。もちろん彼がミックスゾーンに戻ってくることはありませんでした。そこに残されたブラジルチーム関係者は「どうにもならない」とばかりに肩をすくめ、ブラジルメディアはお互いに顔を見合わせながら途方に暮れていました。

失意のガブリエルは、次のヒートとなった3位決定戦でもオーストラリアのオーウェン・ライトの前に力なく破れ、金メダル候補の筆頭株はまさかのメダルなしでオリンピックを終えることに。ヒートを見ていても「なにがなんでも勝ってやる」というような気合を感じませんでした。彼にとってみれば、金メダルを獲れなかった時点でオリンピックは終了していたのでしょう。

3位決定戦後、再び同じようにインタビューを求めてブラジルメディアがミックスゾーンに集合しましたが、このときばかりはガブリエルは姿を現しませんでした。明らかに規定違反ですが、準決勝のことがあったので、ブラジルメディアも「そっとしておこう」という雰囲気を醸し出していましたが…。

 

選手たちが見せる舞台裏の悲喜交々

サーフィン 五十嵐カノア

出典 isasurf

一方、ガブリエルに勝ち、銅メダルを獲得したオーウェンは満面の笑顔で多くの取材を受けていました。もちろん銅メダルは最高の結果ではありません。それでも目指すところが違うからこそ、オーウェンの対応はガブリエルとは対照的だったのでしょう。

もしガブリエルがオーウェンに勝って銅メダルを獲得していたとしても、積極的に笑顔で取材対応していたとはとても思えません。

そのオーウェン以上によい結果を残したのがカノアですが、銀というメダルの色は納得いくものではなかったに違いありません。決勝でブラジルのイタロ・フェレイラに負け、ミックスゾーンで日本メディアからの取材を丁寧に受けたあと、私のところへやってきて立ち止まり、しばらく声を出せないまま俯いていました。

サーフィン オリンピック

出典 isasurf

そしてようやく絞り出した言葉が「いや…悔しいね…」という一言。表情には落胆の色がありありと浮かんでいました。彼にとってみれば母国・日本開催のオリンピックで金メダルを獲得するのは宿命だったのでしょう。インタビューを受ける前、ビーチから上がってきたときも波打ち際で膝をつき、うなだれていた姿も印象的でした。

サーフィン フェルナンド・アギーレ

出典 isasurf

銅メダルを獲得して喜びを表す選手がいる一方、銀メダルでも悔しさを隠せない選手がいる。それだけオリンピックは選手たちの感情を揺さぶる大きな舞台だったということでしょう。そんな舞台袖から見えたオリンピックの一幕。これからサーフィンがオリンピック種目に選ばれる限り、こうした場面が見られるのだと思うと楽しみは増すばかりです。
 
サーフライダーファウンデーション

ライター

中野 晋

サーフィン専門誌にライター・編集者として20年以上携わり、編集長やディレクターも歴任。現在は株式会社Agent Blueを立ち上げ、ライティング・編集業の他、翻訳業、製造業、アスリートマネージング業など幅広く活動を展開する。サーフィン歴は30年。