5大会連続出場で目指す金メダルへの集大成 女子スノーボードアルペン代表~竹内 智香~

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5大会連続出場で目指す金メダルへの集大成 女子スノーボードアルペン代表~竹内 智香~ 出典 公益財団法人日本オリンピック委員会

ソチオリンピックでは「美しすぎるスノーボードメダリスト」として注目を浴びた竹内智花選手。金まであと一歩と迫った銀メダル獲得は日本中を沸かせました。平昌オリンピックは自身5度目のオリンピック。人気と実力を兼ね備えた竹内智花選手の魅力をご紹介します。

日本女子スノーボード界のパイオニア

ソチオリンピック銀メダルで、一躍脚光を浴びた竹内智花選手ですが、その活躍は日本スノーボード界のパイオニア的存在といっても過言ではありません。

2002年ソルトレイクシティオリンピックには、北海道のクラーク記念国際高校在学中に代表に選ばれます。

その後、2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピック、2014年ソチオリンピックと4大会連続出場。

平昌オリンピックでは、スピードスケートの岡崎朋美選手、田畑真紀選手、スキーモーグルの里谷多英選手と並ぶ、日本女子選手史上最高タイ記録の5大会連続出場を数えます。

トリノオリンピック後の2007年からスイスに活動拠点を移し、スイスナショナルチームに帯同。

世界トップクラスの環境でアルペンスノーボードの第一人者として成長します。

2008/2009シーズンではワールドカップランキング3位。

2009年世界選手権ではパラレル大回転で4位。

2012年ワールドカップでは1位を獲得。

着実に世界レベルの躍進を続けソチオリンピック銀メダル獲得の快挙を達成します。

スノーボード競技でオリンピックでのメダル獲得は、日本人女子では初の偉業となりました。

またこれにより、アルペンスノーボードを一躍有名にしたことも特筆すべきことでしょう。

2人の選手が並行してコースを滑るスピード感は、スリリングな魅力に見る人を釘付けにします。

ヨーロッパでは人気のアルペンスノーボードですが、日本ではまだ競技人口も少なくマイナースポーツという位置づけでした。

竹内智花選手の活躍は、アルペンスノーボードを日本に認知させるインフルエンスにもなっていると言えるでしょう。

 

 

日本スノーボード選手の環境への挑戦

2010年バンクーバーオリンピック直前に起こった、スノーボード日本代表國母和宏選手の腰パン騒動を覚えている方も多いことでしょう。

國母さんは、テクニカルコーチとしてソチオリンピックで平野歩夢選手、平岡卓選手のメダル獲得に貢献。

2016年にはスノーボード界のアカデミー賞と言われる「RIDRES POLL 18」で、日本人初の年間ベストビデオパート賞を受賞するなど、世界に誇る日本人プロスノーボーダーです。

2010年当時、スノーボードをはじめとするエクストリームスポーツへの認知度は低く、國母さんのファッションやスタイルは、外見やイメージに捉われる日本国内では過剰とも思えるバッシングを受けることになりました。

団塊世代の若い頃、エレキギターを弾いていると不良と呼ばれたことに近いのではないでしょうか。

そんな頃、スノーボード選手のスポンサー活動は困難を極めます。

竹内智花選手も同様で、10代から世界を相手に挑戦する日本を代表するアスリートであっても支援の声を挙げる企業はありませんでした。

バンクーバーオリンピックで13位となった後も、無所属となってしまいます。

そこで彼女は、自ら「ワールドスノーボードフェスティバル」というイベントを企画し、オリンピックメダリストをはじめとした約30人の外国人選手らが自費で参加するに至ります。

このイベントによりスノーボードのイメージを高めることになり、広島ホームテレビが支援に乗り出し、広島ガスとの所属契約に結び付きます。

広島ガスでは竹内智花選手のためにスキー部を新設。

現在でもマネージメントはホリプロ関連のポリバレント株式会社が行っていますが、所属は広島ガスに籍を置いています。

スポンサー企業の少なさを嘆くマイナースポーツは他にもたくさんありますが、自ら状況を打破する逞しさも竹内智花選手の魅力であり、強さなのだと思わされるエピソードです。

 

 

 

 

ソチ銀メダリストとしての活躍と怪我の克服

オリンピックアルペン種目で58年ぶり、女子では史上初の銀メダル獲得は、竹内智花選手を一躍スターダムに押し上げました。

世界最高とも呼び声高い、男子顔負けの力強いターンとアグレッシブな滑りが世界と戦う彼女の武器。

また、そのビジュアルの美しさと、常に前向きな発言にも注目を浴びることになりました。

 

 

雪を求めて世界中を飛び回る一方、雑誌モデルやコラムニスト、スポーツキャスターとしての活動も行っています。

そのすべてはスノーボード競技のため、そして未来のアスリートのため。

競技知名度のアップは、自身のスポンサー活動のみならず、次世代の競技環境をよくするために繋がっていきます。

ソチオリンピック後も世界トップクラスの選手として、平昌オリンピック金メダルを目指す中、2016年ワールドカップドイツ大会で大きな転機を迎えます。

レース中の転倒により左ひざ前十字靭帯断裂という競技人生初の大怪我。

手術を余儀なくされ全治10ヶ月と診断されます。

メダル候補として期待された平昌オリンピックへ黄色信号が灯ります。

しかし、持ち前のポジティブ思考は、辛いはずのリハビリ生活を、体幹や上半身を鍛える肉体改造を図るトレーニングとすることで、2017年復活を遂げます。

復活の2017/2018シーズンは、未だ表彰台には登れていませんが、平昌オリンピックでの完全復活が熱望されます。

 

 

平昌で期待されるリベンジ

銀メダルを獲得した、ソチオリンピックパラレル大回転では、予選を1位で通過。

決勝では、世界ランク1位のパトリツィア・クンマー選手に対し、1本目0.3秒差をつけ逃げ切り、金メダルの期待がかかった2本目、中盤にわずかにリードされたところで転倒。

金メダルにあと一歩まで手がかかった瞬間でした。

この日から竹内智花選手の金メダルへの挑戦が始まります。

ソチオリンピックから4年。

大きな怪我もあり、まだ本来の実力が発揮されていませんが、平昌オリンピックでのリベンジが待ち望まれます。

競技生活を始めた当初、日本人にはメダル獲得が無理だと言われたアルペン競技。

トップの選手にしか提供されなかった良品のスノーボードも自ら作成し、活動費用も自らスポンサー活動をして集めたバイタリティーの集大成が、平昌オリンピックに向けられます。

コンマ何秒の金メダルへの距離を掴み取ってくれることを期待しましょう。

 

 

 

 

まとめ

アルペンスノーボード界で常に日本人として先頭を走り、道を切り開いてきた竹内智花選手は、冬季オリンピック日本女子最多タイの5度目のオリンピックとして平昌を迎えます。前回ソチ大会で、金メダルまであと一歩のところまで迫った銀メダルから4年。大きな怪我から復活し、リベンジを誓う竹内智花選手の集大成を目に焼き付けましょう。

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