サステナブルやエシカルという言葉が広がる昨今、「世界では何が続き、何が変わっているのか」を知りたいと思うことはありませんか? 旅をしていると、理念として掲げる理想とは別の場所で、人の暮らしが静かに積み重なっていることに気づくことがあります。ベトナム北部・サパ。モン族の人々が守り続けてきた“自然と暮らしのリズム”には、私たちが日々のなかで見失いがちな「続けるための仕組み」がありました。今回は、観光地のきらびやかさから一歩離れたモン族の村で見つけた、持続する生活のヒントを紹介します。
観光地の奥にある日常──モン族の村で見えたもの

私が参加したタ・フィン(Ta Phin)村のトレッキングツアーのガイドは、村出身の黒モン族の若い女性。観光案内というより“いつもの道”を歩くように淡々と進むその足取りから、観光の外にある生活の気配がうかがえます。
本稿に先立つベトナム編の2本もあわせてどうぞ。
山の村に根づく、モン族の暮らし

モン(Hmong)族は、中国南部を起源とするモン=ミャオ系民族で、19世紀末にベトナム北部へ移住したとされます。現在はラオカイ省・ハザン省の標高1,000〜1,600mの山岳地帯に集住し、稲作、焼畑、家畜飼育、麻織物を組み合わせた生活を営んでいます。
黒モン族・花モン族など衣装の装飾で細かな分類がありますが、どの村でも共通するのは“自然のリズムに合わせて暮らす”こと。ツアーガイドなど観光収入が増えても、田仕事や手仕事は今も生活の中心にあり、伝統というより日々の延長線として続いていました。
※モン族の起源・居住地域・生活文化については、Hmong American Center「Hmong History」、Vietnam News Agency「Hmong ethnic group」 などの公開情報を参照。
自然とともに動く暮らしのリズム

タ・フィン村へ向かう山道は、天候と季節によって表情を変え、生活の流れもまたその変化に合わせて動いています。その変化の積み重ねが、棚田の姿として現れていました。
収穫後の棚田に見えた時間の流れ
訪れた9月下旬は、棚田の収穫が終わった後。黄金色の稲穂の代わりに、刈り取られた稲株と湿った土が広がっていました。霧が棚田の境界をゆっくり覆い、家々の輪郭が薄れていきます。
「この時期は、少しだけ休める季節なんだよ」と、ガイドの女性が教えてくれました。
犬や鶏、バッファローがゆったりと道を横切り、子どもの声が霧に吸い込まれていく光景は、観光写真では見えない“日常の風景”でした。
天候に左右されることを前提にする暮らし
村では、雨や霧が出れば田畑の作業は止まり、家の修繕や織り物の仕事に切り替わります。晴れれば外の作業を一気に進める。天気は“予定を狂わせるもの”ではなく、その日に選ぶ仕事のメニューのよう。
私たちの暮らしでは、天候に左右されないようにできるだけ便利さを積み上げようとします。一方で、モン族の村では、天気を無理にコントロールしようとせず、変化に合わせて作業を組み替える柔軟さがありました。
雨の日でもできる作業、晴れだから進む作業。それが自然と決まっていくため、天気が変わってもできることがゼロにはならない。この切り替えの早さが、暮らしを止めない力になっているように思いました。
衣装と手仕事の意味

サパの中心地では鮮やかな民族衣装をまとい、刺繍の布製品を売る女性たちと出会います。けれど村で見た衣装や刺繍は、観光とは別の意味を持っていました。“見せる衣装”ではなく、生活を支える道具としての布です。
生活のための衣装──色と模様に込められた役割

黒モン族の衣装は深い藍色が基調で、家族の印や地域の模様が控えめに施されています。花モン族は鮮やかな刺繍を重ねた衣装をまとい、模様には家系や所属を表す役割があるとされています。
藍染めの麻布は、湿気を吸うと少しだけ重さが増しますが、動きを妨げるほどではありません。霧の多いサパの暮らしでは、このわずかな変化も日常の範囲として受け入れ、むしろ、濡れても体に張り付かず、扱いやすいことが重視されてきました。
軽すぎず、適度な重みがあっても動きをじゃましない麻布は、山の暮らしに適した素材だったのでしょう。そうした性質を長い歴史の中で暮らしに合う形として選び取ってきたことが、衣装にそのまま残っていました。
「つくる」・「直す」・「調整する」受け継がれる布の循環
村では麻を織り、藍で染め、刺繍を施し、蝋で艶を出す工程を、女性たちが家事の合間に進めていました。伝統を守る意識ではなく、必要なものを必要なときにつくる生活の段取りです。
観光用の製品が増えた今も、「昔より少し簡単な柄にしただけ」と、ガイドの女性は笑って話してくれました。変えすぎず、無理のない範囲で調整する。そんなフレキシブルさが、手仕事を続ける仕組みになっているようです。
旅で見えた“続く暮らし”から持ち帰れること

モン族の村で過ごした時間は、サステナブルやエシカルという言葉より前にある、“続けるための暮らし方”を示していました。理念ではなく、日々の選択の積み重ね。その視点で旅を振り返ると、日本の生活にもつながる気づきがありました。
“環境にいい”の言葉にどこか安心していないか
「環境に良さそうだから」という理由で、私はよく物を選んでしまいます。けれどその“正しさ”の根拠を、深く想像できていたかというと心もとないのが本音です。
サパの村はその逆。誰も「環境にいいから」と行動しているわけではない。雨が降れば屋内でできる作業に切り替え、晴れたら田畑に出る。壊れたらその場にあるもので直す。
行動の出発点は“良し悪し”ではなく、“今日の暮らしを無理なく回すための段取り”。その現実に根ざした判断の確かさに、ハッとさせられました。
“続ける”とは、余力の残し方だった
霧でも体に貼りつかない麻布の衣装も、天候に合わせて作業を組み替える段取りも、「これなら今日も困らない」という理由で続いてきたもの。気合いや理想ではなく、生活の条件に沿ってきただけ。
私はつい“続ける=がんばること”にしてしまうけれど、村にはその力みがありません。その自然さに、ちょっと笑ってしまうくらい肩の力が抜けました。
小さく動かすだけで、暮らしは変わる

モン族の暮らしは特別に見えて、実は私たちの暮らしにも持ち込めます。
壊れたものを気が向いた日に直してみる。
長く使えそうなものをひとつだけ選ぶ。
天気のいい日に、外でできる家事をひとつ入れてみる。
そんな小さな調整だけで、暮らしは軽くなるはず。“ちゃんとしなきゃ”の呪いより、よっぽど健全な気がします。
サパの村を歩きながら、私はいつの間にか“正しさ”ばかりを気にして選んでいた自分に気づきました。何かにつけ理由を求め、答え合わせのように暮らしていたことが、急におかしく思えたのです。
その小さな違和感が、これからの一歩の向きをそっと変えてくれる気がしました。
言葉より先に、行動の方向を決めるだけでいい
「エシカル」「サステナブル」という言葉が先に走る社会で、私たちは“正しさ”に追われがちです。
モン族の暮らしが教えてくれたのは、続けるには言葉よりも“方向”が重要だということ。その感覚を日本に持ち帰るだけで、暮らしは少し軽くなるのかもしれません。
モン族の村で見た暮らしは、サステナブルやエシカルといった言葉より前にある、“続けるための仕組み”そのものでした。後編では、観光地化が進むカットカット村を訪れ、子ども、村の大人たち、観光客 が同じ場所で生きるその“あいだ”を描きます。善悪では語れない現実と、そこで働く人々の誇り。観光が暮らしをどう変え、何を残そうとしているのか──その輪郭を追っていきます。
ライター
Ryoko
ひとり海外旅行と海外トレッキングを愛し、自然や文化に触れる旅をライフワークにするライター&エディター。猫と音楽にも目がなく、心惹かれる音や風景を文章で切り取るのが得意。国内外のフィールドで得た体験を、読者と共有することを楽しみにしている。