30年ぶりに訪れたハノイは、懐かしさと変化が入り混じる街でした。かつて感じた“アジアの熱”は薄れ、整いすぎた街並みに時の流れを感じます。そんな中、旅番組で見て以来、ずっと心に残っていた場所があります。少数民族のモン族が暮らすベトナム北部の山岳地帯・サパ。都市の発展と、自然の中で続く生活、その間にある人のレジリエンス(困難から立ち直る力・しなやかさ)を見つけた旅。本稿は、その記憶をたどる連載の第1回です。
ハノイから北へ──再訪の動機とサパへの道

映画『青いパパイヤの香り』や『シクロ』。90年代、アジア映画がミニシアターを席巻していた頃、私はスクリーンの向こうに、見たことのない色彩と、肌にまとわりつくような湿度を感じていました。
その世界に感化され、20代の私は何度もベトナムを旅しました。ホーチミン、ハノイ、ダラット、フエ—。どの街にも、混沌とやさしさが同居していて、若かった私はその“熱”を全身で受け止めていたのだと思います。
年月を経て、あの頃の自分が感じた“熱”をもう一度確かめてみたくなった。
それが、30年ぶりにハノイを訪れた理由でした。
降り立ったハノイは、記憶の残り香をわずかにまといながらも、高層ビルが並ぶ“現代の都市”へと姿を変えていました。
変わる街、変わらない熱─ハノイの“今”

バイクは途切れることのない川のように流れ、クラクションが街の鼓動を打つハノイ。その合間をぬって、バイクタクシーの客引きが声をかけてきます。この雑踏と喧噪こそ、昔から変わらないハノイの“生活の音”です。
けれど街は、確かに変わっていました。
強引な客引きは減り、カフェの看板には英語や日本語が混在。ラテアートを撮る観光客が増え、“映えカフェ”という言葉が、この街の景色にすっかり溶け込んでいました。
かつては異国の香りだったものが、今ではハノイの日常の一部になっている。新しい時代の価値観が、静かにこの街の呼吸の中に同化していました
でも私は、やっぱり路地へ向かってしまうのです。
地元の人に混じって、路面に迫り出したテーブルとプラスチックの椅子に腰かけ、ハノイ名物のブンチャー(焼き肉のせつけ麺)をすすります。

「衛生面?知らん」と言いたくなるようなローカル食堂。湯気の中には昔と変わらぬ“ハノイの味”がありました。
「安くておいしければそれでよし」
そんな価値観が、今もハノイの人々の中に息づいている。そこに、旅人としての私もまた、共感してしまうのです。
サパへ向かう理由──変化の先にある暮らし

ハノイで感じたのは、「変わっていくもの」と「変わらないもの」が、同じ街の中で共存していることでした。その境目にこそ、今のベトナムのリアルがあるのでは—。そんなことを考えていたとき、ふと北部の山岳地帯・サパの名前が浮かびました。
かつて旅番組で見た、霧に包まれた棚田の風景。モン族の女性たちが手仕事をしながら笑い合う姿。都市の発展とは対照的に、自然とともに時間がゆっくりと溶け合っている。その映像がずっと心に残っていたのです。
棚田の風景やインドシナ半島最高峰のファンシーパンがあるサパは、観光地として知られる一方で、人々の日々の営みがそのまま“生活の景色”になっている街。自然と人のあいだにある暮らしのリズムを、自分の目で見てみたい。
翌朝、私はハノイの喧噪をあとに、北へ向かうバスに乗り込みました。
山を覆う台風─サパ行きのバスで考えたこと

ハノイからサパまではバスで約6時間。出発の朝、ホテルのスタッフが「北の方に台風が近づいているよ」と、教えてくれました。
天気予報のアプリを見ると、渦を描く雨雲が北部にゆっくりと迫っています。安全のため、夜行の予定を昼便に変更し、寝台バスに乗り込みました。このときの私は、不安よりもこれから始まる“山の時間”への好奇心のほうが少し勝っていた気がします。
サパ行きのバスの車内は上下二段の個室。足を伸ばせるリクライニングシートが並んでいます。小さな枕とブランケットが添えられ、まるで移動するカプセルホテルのよう。
30年前のベトナムを知る私には、この快適さが少し意外でした。当時、ベトナムでバスといえば硬いシートと埃まみれの車内が当たり前だった記憶があります。今は海外からのツーリストも増え、交通手段もどんどん整備されているのでしょう。変わりゆくハノイの街と同じように、移動の風景にも時代の流れを感じました。
文明の快適さに包まれながら、行き先は自然の只中にあるサパ。その奇妙な落差が、旅の始まりにふさわしく思えました。
バスの窓から見た風景

郊外に出ると、窓の外に黄金色の稲穂が見えます。9月の田んぼはすでに実りの季節を迎え、日本の秋の風景を思わせます。
泥をはねながら歩く人々、家々の軒先で干される洗濯物。その一つひとつが、「人の暮らしは天候と切り離せない」という当たり前の事実を思い出させてくれました。
グレーの雲が低く垂れこめ、川が音を立てて膨張していきます。スマートフォンの電波が途切れるたびに、私は“自然の時間”に少しずつ引き戻されていくような気がしました。
■寝台バス(昼便・夜便ともにあり)
所要時間:約6〜7時間(道路状況により変動)
料金目安:片道25〜35万ドン(約1,500〜2,000円)
設備:・上下2段ベッドタイプのリクライニングシート
・USBポート、ブランケット付き
・冷房が強めなので羽織ものがあると安心
■寝台列車(ハノイ〜ラオカイ間)
所要時間:約8時間
料金目安:片道40〜50万ドン(約2,500〜3,000円)
快適な寝台個室タイプもあり、静かに移動したい人におすすめ。
※ラオカイ駅からサパ中心部まではバスで約1時間(乗り継ぎ)
【予約サイト】
12Go Asia(英語・日本語対応)
Vexere(ベトナム最大手)
・9〜10月の台風期は運休・遅延の可能性があります
・天候による道路封鎖もあるため、出発前の運行確認を。
土砂崩れで止まった帰路─“動けない時間”の中で見えたもの

バス会社から送られてきた土砂崩れ現場の画像
サパの滞在は、霧と雨に包まれた数日間でした。詳しくは次回で触れますが、山の天気の気まぐれと、それに寄り添う人々の暮らしに、何度も心を動かされました。
私がベトナムを訪れた2025年9月下旬。台風「ブアロイ」が北部を直撃し、記録的な豪雨が続いていました。各地で洪水や土砂崩れが発生し、サパのあるラオカイ省でも国道やオークイホー峠付近が一時通行止めになるなど、大きな被害が出ていたようです。
そして帰路の朝。ハノイへ戻るためのバスに乗る予定でしたが、発車を待つ待合室に緊張が走りました。運転手がバス会社の端末を確認し、静かに告げます。
「ハノイ行きは、すべて運休になりました」
ざわめく乗客たちの間に、落胆と戸惑いが広がります。スマートフォンで帰国便の振替手続きをしていると、バス会社からの通知に1枚の写真が添付されていました。茶色い泥が道路を覆い、倒木が斜面に引っかかっているその光景は、ほんの数日前まで歩いていたサパの穏やかな山とは、まるで別の場所のように見えました。
「土砂崩れのため通行止め。復旧作業中」
短いメッセージの下に添えられたその写真を呆然と見ていると、スタッフが淡々と乗客を誘導する声が聞こえてきます。不思議なことに、そこには焦りや苛立ちの気配はありませんでした。
雨は相変わらず降り続いていましたが、待合室には次第に静けさが漂い始めます。誰も声を荒らげず、ただその時間を受け入れるように座っている―。その光景が、今でも印象に残っています。
結局その日はホテルに引き返すことに。夜が明ける頃、復旧作業が完了したとの知らせが届きます。“動けない時間”を受け入れること。それが、この国の人々の“強さ”のかたちなのかもしれない。
雨音が遠ざかり、夜を包んでいた静けさが少しずつ朝に溶けていく中で、私は「立ち止まること」もまた、動くことの一つなのだと気づきました。
“待つ力”という強さ─サパの人々が教えてくれたこと

バスの運休で足止めになったあの日、私は改めて待つことの意味を考えました。それは、ただ立ち止まることではなく、次に動くための時間でもあるのだと。
自然の前で「耐える」でもなく、「克服する」でもなく、サパの人々は待ちながら、動きながら生きていました。雨がやまない日も、彼らは市場に立ち、屋根の下に野菜を並べ、火を起こし、鍋の湯気を絶やしません。
「雨がやんだら、また歩けばいい」
と、笑うその姿は、“待つことを恐れない強さ”そのもの。
彼らにとって「待つ」とは、暮らしを続けることです。道が塞がれたら、別の道を探す。雨が降れば、屋根の下で商いを続ける。自然の機嫌に合わせて形を変えながら、暮らしそのものを止めない。それが、サパの人々にとっての“待つ力”でした。

日本では、自然災害は非日常。たとえ1日でも交通が止まれば不安や苛立ちが生まれます。けれどサパの人々にとって、台風や雨は“季節の一部”。焦るでもなく、嘆くでもなく、「また動けるときに動けばいい」と受け入れる。その穏やかな強さが、土地の呼吸のように暮らしの中に息づいていました。
電車の遅延に苛立ち、通信の途切れに不安を覚える。便利さや効率の向こう側で、私たちはいつの間にか“待つ力”を手放してしまったのかもしれません。
“動けない時間”の中にも、確かに生きる力はある。
そのことを、サパの人々が静かに教えてくれました。
ライター
Ryoko
ひとり海外旅行と海外トレッキングを愛し、自然や文化に触れる旅をライフワークにするライター&エディター。猫と音楽にも目がなく、心惹かれる音や風景を文章で切り取るのが得意。国内外のフィールドで得た体験を、読者と共有することを楽しみにしている。