高校や大学の山岳部の歴史について
日本の登山の歴史
まず日本における登山の歴史に触れてから高校や大学の山岳部にうつりたいと思います。
前人未踏の標高の高い山々、とくに北アルプスなどの詳細な調査がおこなわれたのは江戸時代に入ってからです。
北アルプスに領地を持つ、加賀藩、松本藩、飛騨藩、高遠藩、尾張藩らは、山奉行を設けて人が立ち入れないような急峻な領地の管理をさせました。
この頃、立山から針の木峠を経て鹿島槍、白馬へと連なる縦走路や野口五郎岳から三俣蓮華を経て薬師岳を結ぶ縦走路を調査して記録されています。
近代的な登山の幕開けは明治にはいってからで、イギリスの外交官であるアーネスト・メイソン・サトウや、同じくイギリスの冶金技師ウイリアム・ガウランドらが、立山、乗鞍岳、槍ヶ岳などに登山し、このエリアを日本アルプスと呼ぶようになります。
さらに1888年に来日したイギリスの牧師、ウォルター・ウェストンは、北アルプスや南アルプスの未踏の山々を次々に登攀し、日本における登山の父と呼ばれました。
ウォルター・ウェストンは、岡野金次郎や小島烏水といった日本の登山の先駆者と交流を深め、日本山岳会の設立へとつながっていきます。
日本山岳会から高校や大学へ伝播
日本山岳会草創期のメンバーのなかには、高校や大学の教師が多く、次々に山岳部が誕生していきました。
1907年(明治40年)に北海道大学のスキー部、1913年(大正2年)に旧制1高(現在の東京大学)の旅行部、旧制三高(現在の京都大学)山岳会が設立されました。
そして1920年(大正9年)に旧制二高(現在の東北大学)山岳会、1921年(大正14年)には慶應義塾大学山岳会、1926年(大正15年)には早稲田大学山岳会などが誕生しています。
このように大正末までに多くの大学や高専、高校に山岳部が設立されました。
山岳部として一度は登りたいあこがれの山は?
筆者も単独でジャンダルム越えに挑んだことがありますが、自分の技術では無理だと判断して途中でひきかえした経験があります。
ちょっとしたミスで命取りになるような山への登山は、正直おすすめできません。自分の命だけでなく、ほかの登山者をまきこむような事故につながるおそれがあります。
難しいコースを踏破して認められたい、一目おかれたいといった風潮がありますが、そのようなくだらないプライドに流されないようにして、慎重な判断のもと安全な登山につとめましょう。
この記事を書いた人
Greenfield編集部
【自然と学び 遊ぶをつなぐ】
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