私がジビエに関心をもつようになったのは、一頭のイノシシの命と向き合った経験がきっかけです。人手と労力をかけ、ようやく実った稲が、一晩でイノシシに荒らされ収穫ゼロに。悔しさと無力感に押されながらも、翌年は被害を防ぐためにやむを得ずハンターに捕獲をお願いしました。人間の都合で失われた命に、せめて意味を持たせたい。今回は、そんな視点からジビエを見つめ直し、暮らしの中でどう関わっていけるのかを一緒に考えてみませんか。
自然と向き合って得られる命のかたち

「ジビエ」というフランス語は、狩猟で得た野生の鳥獣の肉のこと。きれいに処理された肉をスーパーで買うのが当たり前の現代、ジビエと聞いても、どこか遠い存在に感じるかもしれません。
もともとジビエは、人と自然のつながりから生まれた食文化です。ここでは、世界や日本で育まれてきたジビエの背景を見ていきましょう。
世界に根付くジビエ文化
ヨーロッパでは、狩猟は古くから文化の一部として受け継がれてきました。中世の時代には貴族の社交の場でもあり、現代では、地域によっては季節の恵みとしてカモやシカなどを味わう習慣が残っています。
ドイツでは狩猟免許を取得する際、野生動物の生態や自然保護に関する知識、解体・衛生管理の技能を学ぶことが義務づけられており、「食べること」を通じて自然と向き合う姿勢が重んじられています。
オーストラリアでも、カンガルーやワニといった野生動物の肉が伝統的な食材として扱われてきました。これは単なる珍味ではなく、地域の自然と人との関係を映し出す食文化のひとつといえます。
さらにアフリカの熱帯林地域では、多様な野生動物が日常の食卓にのぼり、栄養源としてだけでなく、人々の心のよりどころとなる“ソウルフード”として親しまれています。地域によっては、狩猟が生計や共同体の絆を支える役割も担っています。
ジビエは単なる「野生の肉」ではなく、その土地に根ざした自然環境と人の暮らしのつながりを物語る食材です。飼育された家畜肉が主流になった現代でも、その精神は世界のあちこちで生き続けています。
(参考)
現代日本における獣肉食文化の文化人類学的研究
日本鹿研究第11号
日本におけるジビエの背景
日本ではいま、野山から届く“命の恵み”があらためて注目されています。かつてシカやイノシシの肉は、縄文の時代から人びとの暮らしを支えてきたたんぱく源でした。
時代の流れのなかで肉食が禁じられた時期もありましたが、自然の恵みを受け取る文化そのものは、細く長く、生活の奥に息づいてきました。
近年「ジビエ」という言葉が広まりを見せる背景には、増え続ける野生動物による農作物被害という現実があります。命を奪うだけで終わらせず、食材として循環させよう—。そんな思いから、捕獲した獣を地域の資源として活かす取り組みが各地で進められています。
ただ、野生の肉を食卓にのせるまでの道のりは決して容易ではありません。捕獲の瞬間にかかるストレス、血抜きや冷却のタイミング、そして解体を担う人の技術や衛生意識…。どれかひとつが欠けても、「おいしい命」にはならないのです。
いま、全国で解体施設の整備や流通ルートの確立が進み、料理人たちがその肉を新しい表現でよみがえらせています。レストランで味わう一皿の向こうには、自然と人とがもう一度、静かに手を取り合おうとする姿があるのです。
ジビエの魅力

野生の肉には、ひとつとして同じ味がありません。どんな植物を食べてきたか、どんな環境で生きてきたかによって、風味や肉質が異なります。それはまさに、自然が描く“一期一会のひと皿”。
家畜のように管理された環境で育つのではなく、野生動物は季節の移ろいや土地の恵みとともに生きています。そのため、年齢や性別、解体や熟成の工程までもが、味に個性を与えます。その土地でしか味わえない希少性こそが、ジビエの最大の魅力といえるでしょう。
また、山を駆けるシカやイノシシの肉は、筋肉がよく発達し、鉄分やミオグロビンを多く含みます。噛むほどに赤身肉の深いコクと野生特有の香りが静かに広がる。脂肪は控えめながら、しっとりとした口当たりがあり、滋味深く、身体の芯に染み込むような余韻を残します。
それは単なる“おいしさ”ではなく、自然と命の営みをまるごと味わうこと。どこか原始的で、どこか神聖なその体験が、人をジビエへと惹きつける理由かもしれません。
命を無駄にしない、新しい“地域資源”としてのジビエ

日本の山や里ではいま、人と野生動物の関係が大きく揺れています。シカやイノシシによる農作物の被害は全国で広がり、生態系そのもののバランスも崩れつつあります。
こうした現状のなかで注目されているのがジビエ料理です。やむを得ず捕獲した命を“廃棄”ではなく、“資源”として活かす。それは、単なる食のトレンドではなく、自然と共に生きるための新しい知恵でもあります。
生態系のバランス崩壊と農林被害の増加

増えすぎた野生動物は、里山の生態系や農作物に大きな影響を及ぼしています。
農林水産省によると、令和5年度の野生鳥獣による農作物被害額は約164億円(出典:農林水産省|農作物被害状況)にのぼり、丹精込めて育てた作物が一夜で荒らされるケースも後を経ちません。こうした被害の背景には、いくつもの要因が重なっています。
かつて日本の森にはオオカミがいて、シカやイノシシを捕食して自然に数を調整していました。しかし、オオカミは明治時代に絶滅。狩猟文化も衰退したことで、大型の野生生物には天敵がほとんどいなくなりました。
一方で、少子高齢化や離農の進行により、人の手が入らない里山や耕作放棄地が増加。野生動物が人間の生活圏に近づきやすくなっています。
こうして、サルやイノシシが田畑を荒らし、クマが住宅地に現れるなどの被害が相次ぐようになりました。各自治体では、獣害対策として野生動物の捕獲や防護策などの対策を進めていますが、その過程で奪った命をどう扱うかという新たな課題も生まれました。
(参考)
レッドデータブック|ニホンオオカミ
地域の新しい資源として
山で捕獲された命を、ただ「駆除」で終わらせない。そんな思いから、地域の中でジビエを活かす動きが各地に広がっています。
地元で捕獲したシカやイノシシを、衛生管理の整った施設で解体・加工し、地域の飲食店や学校給食へと届ける取り組みもそのひとつ。子どもたちが「自分たちの町の自然から生まれた食材」を口にすることは、食育であると同時に、命の循環を感じる学びにもつながっています。
こうした活動は、単に“肉を利用する”ことにとどまりません。野生動物と人の距離が変わった現代だからこそ、地域が一体となって自然とどう関わっていくのか—。その問いへのひとつの答えが、ジビエの利活用です。
地域に根ざした仕組みとして、捕獲・加工・提供のサイクルを自らの手でまわす。そこには、土地の恵みに敬意を払いながら、未来へ暮らしをつないでいく力があります。
ジビエは地域を映す鏡であり、人と自然の関係をもう一度つなぎ直す「資源」となりつつあるのではないでしょうか。
(参考)
農林水産省|ジビエ利活用の取組事例集
ジビエ料理を味わう方法―体験からはじまる、命との向き合い

ジビエ料理に興味はあっても、「どこで食べられるのか分からない」「食べてみたいけれど、ちょっと怖い気もする」と感じる人もいるかもしれません。最初の一歩を後押ししてくれるのが、命と食をつなぐジビエ体験イベントです。
私が訪れたのは、炭火を囲んでたイノシシ肉を味わう催しでした。料理人がナイフを滑らせ、皮を剥ぎ、骨から肉を外す。その動きはどこか儀式のようで静かに見入ってしまいました。
肉が火にかけられると、炭の香ばしい煙が立ち上り、噛むほどに赤身と野生の香りが広がります。人との軋轢で死んだイノシシを“食”として活かすまでの過程に立ち合うことは、罪滅ぼしにも似て心が少しだけ軽くなり、ジビエがさらに身近に感じられました。
こうしたイベントをはじめ、最近では専門店や地域のレストラン、オンラインショップなどでも手軽にジビエを楽しめる機会が増えています。ここからは、実際に“味わう”ための入り口を紹介します。
店で味わう
ジビエ料理を初めて体験するなら、まずは専門店がおすすめです。野生動物の肉は部位や状態によって扱いが難しく、プロの料理人が最適な方法で下処理をし、調理することで、香りや深い旨みが引き出されます。
なかにはは、どこで捕獲された肉なのか、その背景や経緯まで丁寧に伝えてくれる店もあります。どこで、どんな経緯で獲れた肉なのかを知ることで、私たちは「食べる」という行為の奥にある、命の重みを深く感じ取ることができます。
また、道の駅や地域のレストランなどでも、地元のシカ肉を使ったカレーやハンバーガーなどを手軽に味わえることがあります。旅先でそんな一皿に出会うのも、ジビエの世界への小さな入口。
特別な料理ではなく、日常のなかにある「野の恵み」として味わうこと—。それもまた、命と向き合うひとつの形です。
(参考)
農林水産省|ジビエ利活用の取組事例集
通販やイベントで試す
自宅でも気軽にジビエを試してみたい—そんなときはオンラインショップをのぞいてみましょう。
全国各地の猟師や加工所が丁寧に処理した肉や惣菜を届けてくれます。箱を開けた瞬間、遠い山の空気まで届いたように感じるのは、そこに“命を預かった人”の手仕事があるからでしょう。
調理済みのハンバーグやカレーなどを選べば、難しい技術がなくても家庭で楽しめます。ふるさと納税の返礼品として扱う自治体も増え、食べることが、地域の自然や暮らしを支えることにもつながっています。
遠く離れた土地の課題や恵みを、日々の食卓で感じられる—オンラインショップのジビエにはそんなあたたかい循環があります。
そして、もう一歩踏み込みたい人は、各地で開かれるジビエフェアや体験イベントを訪れてみてください。地域ごとの味の違い、調理の工夫、その土地の香りや風土を五感で味わうことができます。
気に入ったひと皿に出会ったら、次はその土地を訪れてみるのも楽しそうです。ひと口のジビエ料理が、見知らぬ町と自分をつなぐきっかけになるかもしれません。
料理教室やワークショップも増加中
ジビエは食卓で味わうだけのものではありません。自分の手で触れ、切り分け、火にかける—その過程にこそ、命の重みを感じとる学びがあります。
各地で開かれる料理教室やワークショップでは、プロの料理人や地元の猟師が、肉の扱い方や狩猟の背景を丁寧に教えてくれます。炎のはぜる音、湯気の向こうに見える赤身の艶。それらはすべて、命をいただくという行為の現実を静かに語りかけてきます。
森の中で行われる体験会では、解体や調理を経て、火を囲みながら食卓を囲むこともあります。自然の匂い、獣の息づかい、そして焚き火の明かり。その空間では、“食べる”ことが祈りに変わる瞬間があります。
都市の暮らしでは得られないこの体験は、自分の中に眠っていた感覚を呼び覚まします。ジビエをもっと深く知りたい人にこそ、料理教室やワークショップという“体験の場”を訪れてみてほしい。きっと、食べるという行為が少しだけ違って見えてくるはずです。
ライター
曽我部倫子
東京都在住。1級子ども環境管理士と保育士の資格をもち、小さなお子さんや保護者を対象に、自然に直接触れる体験を提供している。
子ども × 環境教育の活動経歴は20年ほど。谷津田の保全に関わり、生きもの探しが大好き。また、Webライターとして環境問題やSDGs、GXなどをテーマに執筆している。三姉妹の母。