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東京五輪での大躍進を経て、急速に環境整備が進むスケートボード。今やスクールも多種多様です。なかでもPretty Solid skate schoolは、組織化された緻密な育成システムによる、学校のような環境で人気を博しています。代表の松尾裕幸さんの言葉から、その全貌を解き明かしていきましょう。

トップスケーターとして活躍した20代

Pretty Solid 松尾裕幸

ーまずは簡単に自己紹介からお願いいたします。

松尾裕幸(まつお ひろゆき)です。長野県出身の38歳、スケートボード歴は今年で26年になります。20代の頃はプレーヤーとして生計を立て、その後、30歳という節目を迎えたタイミングで、スケートボードのスクールを始めました。

スクール業は、今年で8年目になります。プレイ以外でも自身の経験や知識、技術を人々に伝えることで業界へ貢献し、また次世代のプレーヤーのためにとの思いで始めました。今はPretty Solid skateparkの経営をしながら、子供たちにスケートボードの魅力や楽しさを教えています。

ー20代の頃はどのようにスケートボードで生計を立てていたのですか?

当時は、スポーツメーカー・アパレルブランド・スケートボードブランドなど、複数のスポンサーがついており、それぞれでライダー契約を年間で結んでいました。プロ野球選手やプロサッカー選手でいう、年俸のような形で収入を得ていたんです。

ほかにも日本各地だけでなく、世界各国もまわり、デモンストレーションや映像撮影を行う活動をしていました。

ー幅広く活動されていたのですね。

そうですね。ビデオパートと呼ばれる、自らのライディングをまとめた映像作品を出したりもしました。雑誌などのメディアに露出した際に、メディアボーナスをもらう契約も結んだりしていましたね。

自分をブランディングすることの大切さ

Pretty Solid 松尾裕幸

ースポンサーとの契約金はどうやって決まるのでしょう?

まず、サポートしてくれるブランド・企業にプランニングやプレゼンを行います。その際、自分がやりたい活動に対して、どのくらいの費用が必要なのか概算を出します。そこに自分の報酬も含めて、契約金額を算出するんです。

ーなるほど。あらかじめ必要な費用を考慮しておくのですね。

はい。その金額を元にスポンサーと交渉を行い、契約を結びます。

スケーターとして滑ることに専念するのは当然なのですが、自らの活動を具体的に社会に示していくこと、そして自分をどうブランディングしていくのかは、スケートボードを仕事として行っていく上で必要なスキルだと思っています。

ー今の若い世代にとっても、すごくためになるアドバイスです。

近年、日本人のスキルはすごく上がっていると感じますが、自身のブランディングについては、プレーヤー側はもっと考えたほうがいいと思うんです。より良い条件下で、プレーに専念できる環境をつくっていく必要があるのかなと。

そういった部分を考えて、Pretty Solid skate schoolの設立につながりました。自分のような経験をしてきた人間が、若い世代に伝えていってあげるべきだと思ったんです。

Pretty Solid 松尾裕幸

ーセカンドキャリアを考えた時に、自らの手で社会的な立ち位置をつくっていく必要があるということですね。

自分たちで社会的ポジションをつくっていかなきゃ、何も変わらないですからね。

「プレーヤーのセカンドキャリアとは何か?」を考えた時に、「スケートボードのスキルをそのまま活かせる仕事がスクールだ」という結論に至り、この事業に取り組み始めました。

現役引退後の受け皿があることは、プレーヤーがスケートボード業界で長く活躍できるだけでなく、スケートボードシーンの向上にもつながると考えています。

大きな変革期にあるスケートボード界

Pretty Solid 松尾裕幸

ースケートパークをつくるきっかけとなった出来事はあったのですか?

スクールに通う子供たちの向上心と挑戦心を強く感じ、その気持ちに応えるためには、専用の施設が必要だと考えました。元々モノをつくることが好きな性格なので、自らパークの設計・施工も行いました。

-とくにこだわった部分を教えてください。

インストラクターが教えやすいよう、専門の道具を置いています。また、習う側にとっては段階的にステップを踏めるように、セクション(障害物)も工夫しています。

あと、スケートボードはケガのリスクが大きいので、できる限りケガをしないで上達できるような設計にしました。

ーそういったコンセプトがあると初心者もチャレンジしやすいですね。今の時代には必要なことだと思います。

今はスケートボードの歴史の中でも大きな変革期にあって、すごく大事なタイミングだと思っています。スキルの向上や認知の広がりで、スケーターの数が増加してシーンが盛り上がっていく可能性がある反面、さまざまな問題点もあります。

ー壁にぶつかったときは、どのように解決していくのでしょうか?

時代の変化を見定めて、スケーターならではの発想を加えること。そして流行を織り交ぜながら、新しいことに挑戦していく気持ちが大切だと思っています。

スケーターのクリエイティブな発想力、流行りを生み出す力を集約し、皆で大きなうねりへと発展させていくことができれば、さらにスケートボードシーンを盛り上げられると考えています。

Pretty Solid 松尾裕幸

ー実現するために必要なことはなんでしょう?

まずは、イケてるスケーター、カッコいいスケーターを生み出すことですね。また、単純にスケーターの数を増やすことも大切です。そのためにはスケート環境の整備が必要です。

これらを意識しながら、Pretty Solidではさまざまなことに取り組んでいます。

ー最終的な目的の達成のために、必要なことを逆算した結果がスクール業であり、自らの経験をそこに落とし込み、教えるためのノウハウにしたと?

はい。というのも、スケートボードは皆さんの想像以上に難しく、ケガが多いんです。「痛い、怖い」という部分だけを感じて、初期の段階で離脱してしまう人がたくさんいるんですよ。

そこを無理なく導いてあげれば、続ける人も増えると思うんです。誰もが最初にぶつかる壁を考慮して、自分の経験をもとにレッスンのカリキュラムを考えています。

 

練習用のスクール専門スケートパーク

Pretty Solid 松尾裕幸

ースクールは基本的に一般開放されていませんが、なにか理由はあるのですか?

練習を目的としたパーク設計にしているからです。トリックごとに段階を踏んで、効率よく習得できるようセクションを工夫しています。

ちなみに、全く一般開放していないというわけではなく、グループ貸しやイベントを行ったときは、一般の方がいらっしゃることもあるんですよ。

ー具体的にはどのような部分が、練習やスクール専用の設計になっているのでしょうか?

セクション(障害物)の種類・大きさ・長さ・角度など、少しずつステップアップしていけるところですかね。

実はレールやボックスには、いろいろな形状があり、高さもさまざまなんです。レベルや教える内容にあわせて、自在に付け替えられるようにしています。いろいろな組み合わせが自由にできるので、発想力や想像力、表現力が養えます。

さらに、内装には壁面アートが描かれていて、デザインやアートを身近に感じながら感性を磨くこともできるんです。これもスケートボードから学べる大切な要素のひとつだと考えています。

Pretty Solid 松尾裕幸

ー確かにコンクリート製のスケートパークだと、なかなか中身を変えられないですしね。

そうなんです。パブリックのスケートパークでも、定期的にリニューアルしたり、レベルやニーズごとの専用パークがあったりしてもいいのではと思うんです。

もちろんコンテストで世界を目指すような人に向けた、最先端のセクション構成でエリートが集まるような場所も必要です。でも、スケーター全体の数からしたら、ごく僅かですよね。もっと簡単に滑れる場所が増えればいいなと思います。

たとえば初心者とか、趣味の範囲でスケートを楽しむ人にとっては、よい路面で屋根が付いていて、さらにライトもあって…。あとはちょっとしたセクションがあれば十分かなと思っています。

Profile:松尾裕幸(まつお ひろゆき)
1985年5月31日生まれ。ホーム:横浜
スケールの大きなライディングで、現役時代は数々のスポットレコードを更新してきた国内屈指のハンマートリッカー。現在はPretty Solidスケートスクールの代表として後世の育成に励むとともに、より安定したスケートシーンの構築に向けて、常に新たな試みを実践。自らをネクストステージへプッシュし続けている。

20代の頃は、日本を代表するスケートボーダーとしてシーンを牽引してきた松尾さん。長年の愛好者であれば、その名前を知らない人はいないでしょう。そんな彼が30歳を機に立ち上げたPretty Solid。今のスクールの活況を思うと、まさに出来るべくして出来た施設なのかもしれません。”練習用”のパークには、彼の豊富な経験とアイデアが詰まっています。パート2ではスクールの概要から詳細な中身まで、さらなる魅力に迫っていきます。

ライター

吉田 佳央

1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。フォトグラファー兼ジャーナリストとして、ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。