サーフィンの起源
サーフィンを発明したのは、ハワイやオセアニアの古代ポリネシア人によって、漁に出た船で波に乗って帰ってくることが初めと伝わっています。
その船はアウトリガーカヌーと云い、左右に浮きが付いていて転覆しづらく安定性に優れていたそうです。
漁から戻る際にアウトリガーに乗って帰って来る際、波に乗れる楽しさが娯楽にも楽しまれるようになり、木製のオロやアライアといった小さな乗り物で楽しまれるようになったのがサーフボードの原形としても伝えられています。
サーフィンが伝わったきっかけ
オセアニアを航海するイギリスの探検家ジェームス・クックにより、ポリネシア諸島が発見され、そしてポリネシア人が波に乗る姿を目撃され、彼の航海日記からヨーロッパに伝わるきっかけになりました。
その後、ポリネシアの島々はヨーロッパからの文化や宗教に影響されていきます。
布教の邪魔とされたサーフィンは宣教師によって禁止され、ここで起源とされた古代サーフィンは終焉を迎えてしまうことになります。
近代サーフィンがはじまり広まったきっかけ
近代サーフィンがスタートしたのは、ハワイからと言われています。
古代サーフィンが終焉を迎えた後、20世紀に入るとハワイでサーフィンを楽しむ動きが再び始まりました。
当時ハワイにはアメリカやヨーロッパからの移住者が多く、原住民だけでなく移住者の多くもサーフィンを楽しむようになったそうです。
その後世界各国にサーフィンを広げるきっかけとなったのがデューク・カハナモクです。
彼はサーフィンだけでなく、水泳競技のアスリートとしても有名で、オリンピックでの100メートル自由形競技で世界記録を達成し、一躍注目を浴びる選手にもなりました。
その知名度を利用して、世界各国でサーフィンも伝え普及に努めました。
現代サーフィンの進歩
ロングボード主流の時代
デューク・カハナモクにより世界的にサーフィンが広まった1900年代はじめ。
サーフボードはロングボードが主流となっていました。
当初は木製でしたが、1950年代に入るとバルサ材で作られたロングボードが主流となっていきました。
1950年代後半になると、今でも主流となるウレタンフォーム主流の時代に移り変わります。
この素材革命によりサーフボード製作効率が一段と高まったことにより、形状、長さなどの自由度発想の幅広さも高まるきっかけにもなりました。
ショートボード化でコンテスト時代に突入
ウレタンフォームの自由度の高まったサーフボード制作が可能となった1960年代に入ると、ロングボードよりも動きやすく何かと効率も良いサーフボードのショート化の時代に入ります。
このショートボード化革命により、サーフィンも益々アグレッシブ化をし、世界各地で多くのコンテストも開催されていくようになります。
そして1970年になると世界のNO.1を決めるプロツアーIPS(1982年にASP2015年にWSLに改名)も1976年にスタートします。
シングルフィンが主流に残る時代
コンテスト時代に突入した1970年後半、ロングボードからの進化もあり、シングルフィンを使用する選手が主流でした。
大きな波では利点が多かったのですが、小さな波のコンディションではコンテストで高得点を得られるパフォーマンス性にデメリットがありました。
この時、世界のトップに君臨していたサーファーでありシェイパーでもあったオーストラリアの二人のトッププロサーファーにより、フィン革命も進むことになりサーフボードも更なる進化していくきっかけにもなります。
ツインフィンブームへ
コンテスト時代に突入した1970年後半、多くの選手がシングルフィンのボードで競技を争っていました。
しかしシングルフィンは小さな波での動き回るサーフィンには向いておらず、ハイパフォーマンスを得たいコンテストサーフィンでは思うように実力を破棄できないといったデメリットもありました。
そんな中、オーストラリアの選手であり、また自らにボードもシェイプしていたマーク・リチャーズがツインフィンのサーフボードを生み出し、そのボードで7年連続の世界チャンピオンとなり、それがきっかけとなり一気に左右のレール側に2つのフィンをセッティングしたツインフィン主流な時代に突入となります。
スラスター(トライフィン)革命
そんなツインフィンが主流となった時代、そのツインフィンでは相性が合わず、新たなフィンセッティング開発を進める、やはりオーストラリアのアスリートでありシェイパーでもあったトップサーファーが居ました。
サイモン・アンダーソンです。
彼は大柄な体型で、パワフルなサーフィンが強みでもあり、よく動きながらもルースなフィーリングの強いツインフィンはどうも合いませんでした。
そこでシングルフィンのドライブ性の良さとツインフィンの回転性の良さと、両方のメリットを活かせるフィンセッティングを誕生させます。
それが今でも主流となる3本のフィンをセットしたスラスター(トライフィン)です。
スラスター誕生後、サイモン・アンダーソン自身、また様々な選手がスラスターセッティングで多くの活躍を見せるようになり、1980年代にはツインフィンセッティングブームは消え去り、スラスター主流の時代へと変わっていくことになります。
日本のサーフィンの歴史
日本にサーフィンが伝わったのは、戦後駐留軍の軍人が湘南や千葉でサーフィンをしているのを見かけた、今やレジェンドと言われる方々が、手作りのボードで見様見真似でサーフィンをはじめたのがきっかけとなっています。
その後、そういったレジェンドサーファーが海外に行ったり、雑誌などで海外のサーフカルチャーが日本にも浸透していき、エクイップメントやカルチャーに大きな影響を与えるようになって行きました。
1980年代に入るとテレビでも日本で解されたサーフィンの世界選手権が放映されるなど、サーフィンブームが手伝って、一気にサーフィン人口を増やして行きます。
このメディアやサーフマーケットの影響もあって、日本では長年シャープで細いパフォーマンスショートボード主流な時代が続きます。
しかし、サーファー高齢化やブーム衰退の影響もあって、サーフマーケットとしては新たなブームを生ませるため、レトロフィッシュなどのオルタナティブ系サーフボードのマーケティングに力を入れるようになります。
それをきっかけに、現在では自由度が広く間口も広いサーフカルチャーに至っていると言っても過言ではなでしょう。