愛犬との時間をもっと豊かにしたい——そんな思いから始める人も多い「ドッグヨーガ」。しかし、日本ドッグヨーガ普及協会主宰・大沼則子さんが20年以上伝え続けてきたのは、犬をしつけたり、コントロールしたりするためのメソッドではありません。「変わるのは犬ではなく、人」。その考え方は、若き日の動物愛護活動やヨガとの出会いを経てたどり着いたもの。ドッグヨーガ誕生の背景には、人と動物がともに幸せに生きるための、深い問いがありました。
ドッグヨーガの原点。「生き物って面白い」から始まった動物へのまなざし

「なんででしょうね」
子どもの頃から生き物に惹かれた理由を尋ねると、則子さんは少し考えてからそう答えました。
昭和の横浜には、畑や田んぼ、藪や森が身近にあり、遊び場は自然そのものでした。虫を追いかけ、ザリガニを捕まえ、兄と一緒に虫取りへ出かける日々。カマキリや昆虫の不思議な姿を見ながら、「なんだこの生き物は」と興味を抱いていたといいます。
「今だから思うと、いろんな命があるんだなっていうところに惹かれていたのかもしれないですね」
犬や猫も、当時は今よりずっと身近な存在でした。野良犬が町をウロウロしているのも珍しくない時代。特別な出来事があったわけではなく、生き物がいる暮らしが、ごく自然に日常の中にありました。
「動物を守りたい」。ドッグヨーガにつながった動物愛護活動
20代半ば、美術館で目にした動物実験の写真が、則子さんの人生を大きく変えます。あまりにも衝撃的な光景に心を動かされ、動物実験反対を訴える団体でボランティアを始めました。さらに阪神・淡路大震災では、被災した犬や猫の里親探しにも携わります。
その後は、動物保護法改正を目指す団体で、自治体への働きかけや企業への抗議活動などにも参加。当時は子犬を景品にした懸賞企画や、動物を命として扱わない風潮がまだ残っていました。
「命を命として扱わない人間が、こんなに多いんだと思いました」
社会を変えたいという思いで活動を続ける一方、次第にある葛藤が生まれていきます。法律を変えようと訴えても、問題は繰り返される。
「なんだか、もう途方に暮れちゃったんですよね」
犬ではなく、まず人が変わる。ドッグヨーガが生まれた理由

転機となったのは、友人の何気ない一言でした。ヨガが好きでインストラクターの資格を取得した則子さんに向かって、「犬と一緒にやってみたら?」と提案したのです。その瞬間、これまでの経験が一本につながりました。
ヨガは心を穏やかにするもの。もし人の心が穏やかになれば、動物との関わり方も変わるのではないか——。
「動物をどうにかするより、人間の心を穏やかにする方が先なんじゃないかと思ったんです」目指したのは、犬を救うことだけではありません。
「人間と動物の歪んだ社会を、もっと幸せな関係にしたい」そのためには、人を責めたり、ルールを増やしたりするだけではなく、人自身が変わるきっかけをつくることが必要だと考えました。
「まず人間だよね。それが結果として動物たちにつながるんじゃないかって」
こうして約20年前、日本ドッグヨーガ普及協会の活動がスタートします。犬を変えるためではなく、人が自分自身と向き合うために。その発想は、今も変わることなく、則子さんが伝え続けているドッグヨーガの原点となっています。
犬を飼った経験がなくても見えていた「人と犬の関係」

現在一緒に暮らす保護犬の「ゆめちゃん」
ドッグヨーガを始めた当初、則子さんには一つの大きな特徴がありました。それは、自身では犬を飼ったことがなかったことです。レッスンでは、犬の代わりにぬいぐるみを使って指導をしていました。
「先生、犬を飼ったことがないんですか?」
そんな質問を受けることも少なくなかったといいます。一般的に考えれば、犬と暮らした経験がない人がドッグヨーガを教えることに驚く人もいるでしょう。しかし、則子さんは幼少期に野良犬をかくまってご飯をあげたり、猫は鳥とはずっと一緒に暮らしていました。
犬がより人間に寄り添う性格ということもあり、ドッグヨーガを軸にしていますが、犬や動物を扱う技術を教えたいのではなく、「人と動物との関係性を見つめる時間を届けたかった」のです。
ヨガで呼吸を整え、自分の心と向き合う。その時間を犬と共有することで、お互いに安心できる関係が育まれていく——。その考え方は、犬を飼っているかどうかとは別のところにありました。
当時からレッスンを受けていた人たちも、次第に則子さんの考え方そのものに共感するようになっていきます。「先生の考えや価値観が好き」そう言って通い続ける人も増え、犬を飼った経験の有無よりも、「何を伝えている人なのか」が支持される理由になっていきました。
犬のしつけより、まず飼い主の心を整える。ドッグヨーガが大切にすること

ドッグヨーガと聞くと、「犬をおとなしくさせる」「しつけに役立つ」といったイメージを持つ人も少なくありません。しかし、則子さんが伝えたいことは、その逆です。
「基本は、飼い主さんの呼吸や感情が伝わるんです」
実際に、子犬を迎えたばかりで育犬ノイローゼになりかけていた飼い主が、ドッグヨーガを体験したエピソードがあります。
「犬が急におとなしくなったんです。なんでだろうと思ったら、自分が穏やかになっていたんですね」犬だけが変わったのではありません。
飼い主自身が呼吸を整え、気持ちに余裕が生まれたことで、その空気を犬が感じ取り、自然と落ち着いていったのです。
「犬に限らず、一緒に暮らしている家族や子どもにも、自分の感情、心の状態は伝わります。だから、まず自分の体を整え、呼吸を穏やかにすることが大切なんです」
犬をコントロールするのではなく、自分自身を整える。その結果として、お互いが心地よく過ごせる関係が生まれる——。それがドッグヨーガの考え方なのです。
取材協力:日本ドッグヨーガ普及協会 代表 大沼則子さん
ライター
朝倉奈緒
ファッション誌の広告営業、音楽会社で制作やPRを経験後、フリーランス編集&ライターとして独立し、カルチャー・アウトドア・自然食を中心に執筆。現在Greenfield編集長/Leave no Traceトレーナーとして、自然を守りながら楽しむアウトドア遊びや学びを発信。キャンプ・ヨガ・野菜づくりが趣味で、玄米菜食を実践中。