標高1,350mの高原に広がる会場で、2025年10月4日〜5日の2日間にわたり開かれた野外リスニングフェスティバル『EACH STORY』。静かな自然の景観とともに、“音を聴く”・“空間に身をゆだねる”という体験に特化したこのイベントは、今年で5周年を迎えました。国内外から集うアンビエントミュージックを中心としたラインナップの中、筆者も実際に参加。ここでは、会場の空気、音、時間の流れから見えてきた“リスニング・フェスの新しいかたち”をお伝えします。
“あえて”コロナ禍にスタート。空間を楽しむ贅沢なフェス

メインのLAKE(レイク)ステージ。池のほとりにチェアを置き、ゆったりと演奏を楽しめる
『EACH STORY(イーチストーリー)』は、2021年のコロナ禍真っ只中にスタートしました。人との距離が求められる状況の中でこそ、「自然の景観に合わせて音楽と食を楽しむ」という構想が活きると考えた実行委員の大形氏・市川氏は、あえてそのタイミングで開催に踏み切りました。
フェスといえば、知名度の高いアーティストを呼び、集客を増やし、利益を上げるーーというのが、主催者目線での一般的なフローですが、EACH STORYは来場者がゆったりとしたスペースで音楽を楽しむことを優先。お客目線のなんとも贅沢な設計です。
世界でも珍しいアンビエントミュージックに特化

EACH STORYは、世界中の「アンビエントミュージック」を中心としたアーティストがライブをする、国内外でも稀少な野外フェスでもあります。
アンビエントミュージックとは、空間演出によく使われるジャンルの音楽。美術館や空港、ホテルのロビーのBGMとしてや、ヨガの瞑想タイムに流れていることもよくあるので、知らぬ間に耳にしている人も多いはず。音自体は主張されず、“空間を整えるためのデザイン”として機能することが多いのも特徴です。
座ったり寝そべってもOK!自由なスタイルで音楽を楽しむ

HILL(ヒル)ステージ。アップテンポの曲に、踊る人の姿が見られることも。
空間=「自然の景色」を主役に、音楽や映像演出、デコレーションが施され、厳選された食やクラフト雑貨、レコードショップなどが集約するフェス、EACH STORY。
会場では芝生の上で寝転んだり、読書したり、仲間とおしゃべりしたりする来場者の姿が目立ちます。アーティストのライブが始まると、自然と顔が上がり、音に集中していく。“音楽に合わせて身体を揺らす“というよりは、“音に包まれるように静かに耳を澄ます”。それはまさに”没入体験“という表現がぴったり。筆者も目を閉じて、音の中に深く沈み込むような感覚を何度も味わいました。

アンビエントのほかにもポストクラシカルやジャズ、ワールドミュージック、インディーフォークなど、ジャンルではひとくくりにできない音楽が登場します。はるばる海を超えて集まったアーティストたちが、それぞれの個性を反映させたスタイルで演奏するのも、このフェスの魅力のひとつです。
マルチタスクなシンセサイザーにギターやベース、ピアノの電子音。ときにはマリンバといった打楽器の生音や控えめなボーカルが、会場の木や葉を揺らし、湿った空気を通じて全身に伝わってきます。日常ではインテリアのように、空間に溶け込んでいる音楽。生身の人間が演奏していると、まるで芸術作品を鑑賞しているような不思議な錯覚にさえ陥ります。
食+体験+自然。会場空間をデザインする音楽以外の要素
フェスの主役は音楽だけではありません。LAKE/RIVER/HILLの3ステージでは、転換時間を除き絶え間なく音が流れていますが、ときには遠くに聴こえるアンビエントをBGMに、会場を歩きながら空間そのものを味わうのも心地よい時間の使い方です。
何を食べてもおいしい。ここでしか味わえないフードにサウナまで

まずは、なんといってもおいしいごはん。カレーにラーメン、ピザ、焼き肉、おでん…一見すると定番のメニューにも思えますが、スパイスや食材、お店のコンセプトなど、一つひとつが厳選されまくりのラインナップです。

2日で3杯も食べたドライグリーンカレー。複数のスパイスで煮込まれたひき肉が噛むほどに味わい深い
エスニック料理が好きな筆者は、この日もまずはドライグリーンカレーを。とはいえ、フェス飯は「いい匂いがしたほうへ」つい吸い寄せられるもの。気がつけば麻婆豆腐丼やピザにも手を伸ばしていました。お腹に余裕があれば、ラーメンにも辿りつきたかったです。
中でも印象深かったのは30分ほど並んで手にしたドリップコーヒーと和菓子。雨の中、川沿いのRIVERステージでドローン(音楽のジャンル)に没入し、まどろんでいたときのことです。連れが差し入れてくれたコーヒーはキリッとした苦みが立ち、一緒に口にした和菓子のやさしい甘みが身体に染みわたりきました。

ナチュラルワインの飲み比べも。テイスティングセットはグラス1脚と3杯つきで2,000円とお得。
食以外では、機能性とデザインを兼ね備えたアパレルや、贈り物にも喜ばれそうなクラフト雑貨、さらにフェスでは珍しい選りすぐりのレコードショップ※が、全国各地から出店していました。筆者はそこで帽子を選びましたが、どれもこだわりの詰まった品ばかりで、訪れるだけでも感性が刺激される空間です。
※一般的なフェスでは、アーティストがCDを直接販売することが多い。ここでは、レコードショップを通して販売することで新たな循環を生み出している

子ども向けにはベルテントの移動図書館があり、家族連れでも飽きずに過ごすことができます。さらに、タイミングが合えばテントサウナの体験も。標高が高く、日中も気温上がらずの会場で、まさかのサウナハットとタオル1枚で過ごす来場者の姿が。ほかほかの体でビールを飲む様子に、羨望の眼差しを向ける人も多かったです。
散歩だけでも楽しい五光牧場オートキャンプ場

EACH STORYの会場となったのは、長野県野辺山高原にある標高1,350mの五光牧場オートキャンプ場。10月上旬の開催時は気温が10℃前後まで下がり、朝晩は冬の装備が必要なほどでした。
一方で、高地ならではのロケーションは抜群!自然の地形を活かしたこのキャンプ場の敷地は広く、散歩するだけで1日楽しめそうなくらいです。とくに丘の上のオートキャンプサイトからは八ヶ岳の山々を一望でき、ステージ近くの平地よりも広々と使えるので、子ども連れや犬連れの来場者の姿が多く見られました。
雨も演出のうち。気まぐれな天候が生む“音の余韻”

RIVER(リバー)ステージ。森の中で、自然と音に包まれている感覚が一番味わえる
EACH STORYはこれまで5回開催のうち、4回が雨。土砂降りではないものの、今回も2日間、雨が降ったり止んだりを繰り返す空模様。野外イベントなので晴れに越したことはありませんが、アンビエントミュージックはもともと、川のせせらぎや波・風の音、鳥や虫の鳴き声といった自然音を録音(フィールドレコーディング)し、音源の素材として使うことが多いジャンル。ライブ中の雨の音や景色が、とても似合うのです。
昨年のメインアクトを務めたドイツのジャズピアニスト、ヘニング・シュミート氏も「僕は雨が大好き。雨の日には必ず散歩するんだ」と語っていたように、しとしとと降る雨が重たい低音に重なったり、曲が明るく転調した瞬間、奇跡的に晴れ間が見えたりすることがあります。天気さえも味方にしてしまうアーティストの才能かもしれませんが、自然の気まぐれさも演出として楽しめてしまうのが、このフェスの醍醐味かもしれません。
五感を開くことでこそ味わえる

洗練された演奏、大地のにおい、雨の感触、雄大な景色、素材にこだわった食事。五感をフル活用することでこそ、EACH STORYを心から味わい尽くせるでしょう。「ライブを全部見たい!あれもこれも食べたい!体験したい!」と欲張る必要はありません。見逃したり、やり損ねたり、忘れたりしてもOK。“隙間”や“余白”があるからこそ楽しめるのだと、このフェスは教えてくれます。
ライター
朝倉奈緒
ファッション誌の広告営業、音楽会社で制作やPRを経験後、フリーランス編集&ライターとして独立し、カルチャー・アウトドア・自然食を中心に執筆。現在Greenfield編集長/Leave no Traceトレーナーとして、自然を守りながら楽しむアウトドア遊びや学びを発信。キャンプ・ヨガ・野菜づくりが趣味で、玄米菜食を実践中。