近年、全国で熊の出没・被害が急増しています。山菜採りや登山だけでなく、渓流に立つ釣り人もそのリスクと無縁ではありません。釣り人の間では「早朝の沢で笹が揺れた」「足跡を見た」という話を耳にすることも増えています。本記事では、環境省や自治体の公的資料をもとに、熊の行動パターンと釣り人特有のリスクを踏まえ、遭遇を避けるための行動・装備・心構えを徹底解説します。
熊被害が増加するいま、釣り人が直面するリスク

全国的に熊の出没が増加しており、2025年度は4月から9月末までに人的被害が99件・108人、死亡者は過去最多の7人に達しました(出典:環境省「R07年度におけるクマの人身被害件数[速報値])。
秋の渓流は静かすぎて、鳥の声すら聞こえない。そんなときほど熊の気配を感じる—。といった話を耳にしたことはありませんか?
被害は登山者や山菜採りだけでなく、渓流釣りを楽しむ人にも及んでいます。実際に2025年8月には、群馬県吾妻郡の渓流にて、釣行中の男性が熊に襲われる事故も発生しました(参考:クマによる人身被害調査報告書|群馬県)。
このように、「自然との境界が薄れる時代」である現在、渓流釣りを楽しむ人も十分な熊対策が必要です。
釣り人が熊に狙われやすい理由

静寂を求めて渓流に立つその場所は、熊にとっても生きるための道。人と熊の境界は思いのほか近く、同じ沢を共有していることもあります。ここでは、釣り人の行動がどのように熊の習性と重なってしまうのかを掘り下げてみましょう。
川沿いや渓流は熊の生活圏
熊は水辺を好み、木の芽や山菜、魚などを求めて渓流沿いを移動します。釣り人が好む静かな沢や人里離れたポイントは、熊にとっても格好の餌場や通り道なのです。
熊の生活圏に釣り人が安易に踏み込むことが、リスクの根本的な原因といえます。
釣り人の行動が熊を引き寄せるケース
静寂を楽しむ—それは渓流釣りの醍醐味でもあります。しかし、その“静けさ”が熊には「気づかれない存在」として働くこともあります。釣り人の行動が熊を誘引するケースも少なくありません。
とくに、以下の3点に注意が必要です。
- 音:魚を警戒させないよう静かに行動するほど、熊に気づかれにくくなります。
- 匂い:釣った魚や調理中の食料の匂いが風に乗って届くこともあります。
- 行動:単独での行動や無音移動はリスクを高めます。
ある釣り人は「息を潜めて竿を出していたら、背後の藪が揺れた」と語っています。静けさを守ることが、時に命を危険にさらすこともあるのです。
釣行前にやっておくべき熊対策

渓流に入る前の10分が、生死を分けることがあります。「自分は大丈夫」と思う瞬間こそ、油断が潜むとき。ここでは、出発前にできる最も効果的な備えと心構えを紹介します。
最新の出没情報を必ず確認する(環境省・自治体・アプリ・SNS)
釣行前の準備で、もっとも大切なのは「行く場所を知る」ことです。熊の出没状況は、季節や地域で変わります。釣行前には、以下の情報源をチェックしましょう。
- クマに関する各種情報・取組「出没情報・人身被害件数・捕獲数(速報値)」|環境省
- 各都道府県・市町村の公式サイトや防災アプリ(一例:ツキノワグマの目撃情報が一目でわかるスマートフォンアプリの運用を開始しました|長野県
- SNS(Xなど)での地元情報共有
単独行動を避け、できれば2人以上で行動する
複数人で行動すれば音や気配が自然と増え、熊に人の存在を伝えやすくなります。釣り仲間のあいだでは「二人で歩いているときのほうが熊に出会いにくい」と言われています。
単独行動は判断も遅れがちです。仲間と声を掛け合いながら釣ることが、安全への第一歩です。
熊対策グッズを携帯する(鈴・スプレー・ベル・ホイッスルなど)
渓流釣りで、必ず携帯したい装備は以下の通りです。
- 熊鈴・ベル・ホイッスルなど音が鳴る熊除けアイテム
- 熊撃退スプレー:使用距離・風向き・携行位置を事前に確認し、実際に手に取って練習しておくこと。
- 大音量のポータブルラジオなど音を出す機器:爆竹は自治体により使用が禁止・非推奨の場合があります。地域の指示に従ってください。
実際に北海道では、熊撃退スプレーを使って助かった事例も報告されており、装備の有無が生死を分けるケースもあります(参照:ヒグマによる人身事故発生状況(令和5年度)|北海道)。
釣り中・移動中に意識すべき行動

渓流釣りの最中、背後の笹が一度でも揺れたことがある人なら、あの独特の緊張感を覚えているはずです。熊は、人の気配を感じ取るよりも早く、こちらの存在を察知しています。
ここでは、釣りの最中や移動中に「自分の存在をどう伝えるか」を中心に、行動のポイントを解説します。
音で存在を知らせる
渓流釣りでは、魚に警戒されないように音を極力立てないのが基本ですが、その行動が熊に遭遇してしまうリスクを高めています。音を出しながら竿を出すのは難しいですが、移動中はこまめに鈴を鳴らす、大声を出す、手を叩くなどして“人がいる”ことを伝えましょう。
静かな釣り場ほど危険だと感じる人は多く、「鈴の音が一番の安心材料」と話す釣り人もいます。静けさを守ることも大切ですが、命を守るときには音を出す勇気が必要です。
匂いを出さない・残さない(食料・魚・調理)
渓流釣りでは釣った魚をその場でさばくことがありますが、熊は数キロ先の匂いも察知できるといわれています。実際に、釣り場に残された魚の内臓に熊が寄ってきた例も報告されています。血抜きや処理はなるべく自宅で行い、その場では“においを残さない”工夫をしましょう。
また、食料や調理器具も、匂いを出さないように密閉した状態で保管するようにしましょう。
テント泊・車中泊時の注意点
夜間は熊の活動が活発になる時間帯です。釣り人の中には「夜中にクーラーボックスを荒らされた」「足跡が残っていた」という報告もあります。
テント泊や車中泊では、食料やゴミを外に置かず、においを出さないようにしましょう。
釣果処理・道具運用で気をつけたい“釣り人ならではの対策”

熊の嗅覚は犬の数倍ともいわれ、わずかな魚の血や残り香にも反応します。ここでは、釣り人だからこそ気をつけたい「匂い」「残渣」「道具」の扱い方を紹介します。
いずれも、環境省「クマ類の出没対応マニュアル-改定版」や米国ADF&G(アラスカ州魚類野生生物局)の「Bear Safety for Anglers」など、公的資料をもとにしています。
魚の血・残渣・匂いの管理
釣った魚の処理は、できるだけ速やかに行いましょう。内臓や血などの残骸は密閉できる袋に入れて必ず持ち帰ります。「草むらに残した魚の内臓に熊が寄ってきた」という報告は、各自治体の野生動物対策課でも確認されています。
そのため、現場では捌かず、自宅や専用施設での処理が最も安全です。血抜きも可能な限り水中で行い、匂いが周囲に広がらないようにしましょう。
ストリンガーの使用に注意
ストリンガーに魚をつないでおくと、暴れた際の水しぶきや血の匂いに熊が反応することがあります。米国ADF&G(Bear Safety for Anglers)でも、「水辺に長時間魚を吊るす行為は最も危険」と警告されています。
魚は活かしておかず、できるだけ早くクーラーボックスに収納するのが基本です。また、クーラーボックスを開ける際も、周囲に魚のにおいが広がらないよう注意しましょう。
タックルバッグ・クーラー管理
釣行後の道具にも、熊を引き寄せる“残り香”が付着していることがあります。とくにタックルバッグやネット、ウェーダーの袖口などは、魚の粘液や血が付きやすい部分です。使用後は中性洗剤でしっかり洗い、乾燥させることが大切です。
また、クーラーボックスは「ベアレジスタント」認証のある製品を選ぶのが理想です。「ベアレジスタント」とは、熊がこじ開けたり壊したりできない構造であることを公式に認証された製品を指します。(参照:U.S. Interagency Grizzly Bear Committee “Certified Bear-Resistant Products List”)
食料やゴミを守るために設計されており、アウトドアでの熊被害を防ぐ重要な装備です。車中泊やキャンプを伴う場合は、ボックスを車外に出さず、密閉した状態で車内に保管しましょう。
もし熊に遭遇したら——命を守る行動

熊に遭遇したとき、頭が真っ白になる—。そう話す釣り人は少なくありません。その一瞬の判断が、生死を分けることもあります。ここでは、熊との距離ごとに冷静に命を守る行動を整理します。
落ち着く、走らない、目を逸らさない
熊と遭遇した場合、最初に必要なのは“落ち着くこと”です。決して走って逃げず、熊から視線を外さずにゆっくり後退して距離を確保しましょう。急な動きを向ける行為は、熊に「捕まえられる相手だ」と認識させてしまうことがあります。
至近距離での対応
熊が接近してきた場合、熊除けスプレーを構え唸り声や地面を叩くような威嚇サインを見逃さないようにしましょう。その場では慌てずに身を低くし、背を向けずにゆっくりと後ずさりすることが原則です。
最終的に命を守るための判断とは
もし熊の攻撃を避けられないと判断した場合、まず熊除けスプレーを噴射します。それでも攻撃してきたら、首や腹部を守る姿勢を取り、両腕で顔面と頭部を覆い、うつぶせになることが重要です。この対応は、顔面・頭部が攻撃目標になりやすいという報告に基づいています。
地域やクマ種(ツキノワグマ/ヒグマ)によっては推奨される対応が異なる場合があるため、あらかじめ確認しておきましょう。
熊は人にとって脅威であると同時に、同じ自然の中で共に生きる命でもあります。渓流に立つ私たちは、その世界を一時的に借りているにすぎません。だからこそ、正しい知識と装備で自分の命を守ることは熊を守ることでもあるのです。自然と野生を尊重する姿勢が、釣り人としての誇りにつながります。安全な備えと敬意を胸に、川の音に耳を澄ませて竿を出しましょう。
【参考資料】
環境省自然環境局:クマ類の出没対応マニュアル 令和3年(2021年)3月
米国ADF&G(アラスカ州魚類野生生物局):Alaska Department of Fish and Game(ADF&G)「Bear Safety for Anglers」
ライター
阿部 コウジ
釣り歴30年以上のアウトドアライター。自然豊かな清流や渓谷に魅せられ、環境と共生する釣りの魅力や自然を大切にしたアウトドアの楽しみ方を発信。釣った魚を食べるのも好き。将来はキャンピングカーで車中泊しながら、日本各地の釣り場を巡るのが夢。